不空羂索観音像の銀の宝冠(
東大寺法華堂)は、翡翠、
水晶、真珠、琥珀、瑠璃玉で飾られている。
水晶の玉を合掌する手で包んでいるそうだ。
個人が身につける
ジュエリーは、気晴らしや憧れにとどまる二次的なものと思われても仕方がないが、仏像の場合は、皆のための希望の光(仏の教え)を具現化したものだと言える。
鶴岡真弓さんは、阿修羅像では、少年のような表情と六臂の
アクションがあまりにも全面的に言及の対象になりすぎている。ジュエリーが見落とされ胸飾りが
写真に撮られていない場合もある。
ジュエリーや
コスチュームの文様の神々しい「装飾の輝き」によって、阿修羅像の超越性や神秘性が強まり、こめられた祈りが昇華されていると言う。
ジュエリーが、仏の神々しさやありがたさを納得させる表現であることを見逃したら、仏像を拝み見たことにはならないそうだ。
天平時代の日本にもたらされた洗練されたジュエリーや花の文様は、メソポタミアや
ギリシャやペルシャでも育ち、合流しさらに手が加えられたものだ。
ジュエリー一つでこんなにも気の遠くなるようなところへ来てしまった。
あまりにも
調べることが多すぎて、収集が付かないが、幸せ感がある。
阿修羅像の合掌した手には、僅かばかりに隙間がある。
不空羂索観音像のようにその両手の中に
宝石を包んでいたかもしれない。
阿修羅は乾漆像で、ジュエリーは本物の宝石類ではないが、他の手には、太陽と月を掲げ、弓と矢を持っていた。
~~続く~~
参考文献 「阿修羅のジュエリー」 鶴岡真弓