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興福寺の阿修羅像周辺・私感 (別ブログより再投稿)2008・12 [エッセイ風]

多くの人を惹きつけてやまない興福寺の阿修羅像について調べているうちに、阿修羅像は少女なのか少年なのかと言う謎の解釈も人によって違い、様々なとらえ方があることを知り面白くなってきた。
作家も歌人も思い思いにそう居て欲しい(居るに違いない)願いを、阿修羅像に見つけ出す。
堀辰雄と井上靖は阿修羅像に少年を見出し、司馬正太郎と三浦朱門は少女を見出している。
また女流歌人や女子高校生は阿修羅像を通して少年に出会い、ある男性の歌人は少女に出会っている。
異聞としては、シルクロードを渡ってきた異国の少年などがある。
私は、阿修羅像に、中性的な魅力を持った少年を見出し、どこからともなく、くゆってくる魔人めいた不思議さに対する怖れを感じる。
同時に守護神の勤めを受け持つ身に対する畏れと敬いを持たされる。


三面六臂の阿修羅像は、奈良興福寺の、乾漆八部衆の中の1体である。
阿修羅像の面は3つあり、眉毛を寄せたその中の1つは、清純な中に悲しみをたたえ、苦悩しているようにも張り詰めているようにも見える。
細く美しい腕が6本あり、2つの掌はあわされて合掌し、後の4本は空中に伸ばされ広げられている。
阿修羅像の胴は引き締まっており身長は153センチ。

古代インドでは、鬼神であったが、仏教に帰依して仏法を篤く守護するようになった。
阿修羅像以外の、興福寺の八部衆(乾漆立像)の、異形の魅力も捨てがたい。
難しいことを言わずに、異様な魅力を発散する彼らと一緒に異界に遊ぶと、いろんな話が聞けるに違いない。
大蛇を神格化した畢婆加羅(ひばから)は横笛を吹く。
象の冠をかぶり、胸から下の体を持っていない五部浄(ごぶじょう)
迦楼羅(かるら)は金翅鳥で、龍が食べ物、一切の悪や毒を食いつくす。


阿修羅像と言う異神の中の人間的な部分を強いて取り出して言及すれば、少女の体をしながら、少年の心を持つ像とも言えるし、少年の体を持ちながら少女の心を持った像とも言える。
そのどれをも含んで、こちらの思いの範疇さえ超え、時によって見る側の見たいように見えて来ると言うことは、ある種の宇宙的鏡像であろう。
見る人の意向や願いを投影して、それぞれが人間的な思いで、嘗て見たことのある少年や少女をその中に見出すことができる。
しかし守護神でもある阿修羅像からは、人智では計りがたい、振動が響いて来る。


光明皇后(701〜760)の依頼で興福寺の西金堂が完成したのは、母である橘三千代(665〜733年1月11日没)が亡くなった1年後の734年1月9日だった。
光明皇后は、亡き母の追善供養のために、母の命日の1月11日に一周忌の落慶式を行なった。
阿修羅像他を作成したのは、渡来人(百済系)の天才仏師、将軍万福だった(将軍位とは関係ない)
阿修羅像は、光明皇后の母である橘三千代や光明皇后の娘の阿部内親王(718〜770)また光明皇后をモデルにしたのではないかと言われているが詳しいことは分かっていない。
光明皇后は仏師の将軍万福の工房を訪れたことがあり、お互いの気迫を理解しあったとも言われている。
天平のドナテッロと言われた天才仏師の将軍万福が、外観だけのモデルを使い、それに似せて、いわゆる写真のような記念像を、機械的に造るはずはない。
共通するものを見抜いて抽出し、それを精神性にまで高め、個性豊かな異神(守護神)乾漆像に結実させたのではなかろうか。





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