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気付け薬としての映画

夜の先行上映で、「ハプニング」を観てきた。
アメリカ全土からミツバチがいなくなり、公園でくつろぐ人や通り過ぎる人々が突然、自殺をし始める恐ろしい場面が現れた。
監督は映画「シックスセンス」や「ヴィレッジ」の、インド生まれでアメリカ育ちのM ナイト シャマラン監督である。
人間の自殺の原因は、動けない植物が身を守るために発する毒素によるものであり、それが木々や草をそよがせる風の動きで見てとれ、観衆に分かるようになっていた。
車で逃げるために同乗した人たちが、死人を見て恐怖にうちふるえている時、その状況を乗り越えるために、その中の一人の数学者がみんなに数学の問題を出し、気をそらせようとしたのだが、眼前の問題を見て見ぬふりをするのは、計算の答えを出す声が震えていてどこか変でおかしく、無駄な努力に終わってしまい、結局、数学者も無残な自殺に追い込まれてしまった。
科学者(教師)は、人数の多い方が、植物たちに感ずかれることに気が付き、少人数で逃げることになったが、「自然界ではどんなことが起こるのか、自分には計り知ることができない」と畏れを述べた。
この態度には非常に好感が持てた。
次々に人間が自殺をすると言うような狂った現象は、ピークを迎えると急激に衰えてゆくので、持ちこたえてほしいと言う老科学者のテレビ報道が流れ、狂気の自殺は1日間だけで済んだのだが、今度はフランスに飛び火し映画は終わる。
次々に国を変えた映画が何編も撮影できそうだ。




ハンデイカメラでドキュメンタリータッチでとられている話題作「クローバーフィールド」(マッド・リーヴス監督)も観てきた。
内容は突然マンハッタンに、ザリガニと恐竜を合体させたようなエイリアンがゴジラ風の大きいのから、犬くらいの小さいものまで現れ、次々に人間を襲ってゆくと言うもので、男女の愛も絡み全員衝撃的に死んでしまうものだった。
たとえ一瞬の真実に出会えたとしても、出会えなかったとしても、死によってすべてが無に帰してしまうことを思うとすべてが虚しく感じられる。
そう言うことに重きを置かず、魂の世界を信じられたとしても、肉体は焼いてしまえば2度と同じものは出現しない。
さて
即座に人間を喰うエイリアンと話し合いなどできるはずもない。
如何に紳士淑女風の礼儀正しい筋の通った対応をしようとしても、相手が受け入れることのないエイリアンなのだから仕方がない。
人間の兵器でエイリアンがやられる場面だけを見て、自虐的に暴力反対なんて言ってはいけません。


世の苦しみを再考し、思考の楽しみを得、自己を再構築するためにさまざまな映画を観た。
いずれ「ランジェ公爵夫人」「山桜」「靖国 ヤスクニ」などのことも書くことにしたい。