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お食事処の髪の毛・この1年

グリーンサラダの、細かいキャベツのしげみの中に混じった長い頭髪。
こんなものに出くわした時は決して笑えない。
しかも茶色に染めてある。
いままで食べていたものが、一瞬にしてゴミに感じられる。
急に食欲が減退する。吐き気の一歩手前になる。
「あら〜すみません。別のをお持ちします」って言われても
別のと言っても今のと同じボールの中でミックスしたグリーンサラダでしょ。
持ってくる時に、毛が入ってないかどうかさぐって見るんでしょ。


白いシャツに黒いパンツのすらりとした店員さんがいるカレー屋さんでも、長い黒髪がライスの中にとぐろを巻いて入っていた。
これも「別のをお持ちします」だった。
別のライスと言っても同じ電気釜のライスでしょ。
頭髪が入った原因が必ずある。
人為的なものだろう。
頭髪がライスに紛れ込んだ原因は、こうなると単なるうっかりではなく、敵のカレー店の回し者かも知れませんよ。

虫がお茶の中に入っていたこともある。
足が生えていた。
茶色のテントウムシっぽかった。
そう言えば、にぎりずしの中に丸められた頭髪を見つけたこともある。
れっきとした、暖簾のかかったお店でした。


気づかないで食べてしまった頭髪もあると思う。
ああ考えるといやだなー。
誰が食べるのか分からない料理に、料理人さんも、いま一つ身が入っていないのではありませんか?
使い回しがばれて店を閉めたお食事処もありましたね。
お気を付けください。


10人くらいでランチにステーキを食べに行った。
ごった返していてすぐにはできないので、全員ハンバーグにした。
私のところにきたハンバーグが、みんなのものより一回り小さいことに気ずいたが、大人げないので黙って食べた。
硬くてぱさぱさしていて下が焦げていた。
スパゲッティーを持ちあげると乾いて軽くなっていて、蚊取り線香のように持ち上がった。
朝作ったのか、昨日の残りものかもしれない。
この頃お食事処もおかしくなった。
ま、ご報告まで。

バッドマン映画「ダークナイト」のジョーカーと言う怪物

映画「ノーカントリー」に出て来る殺し屋のシガーは、仁義を通さない相手や理屈の通らない相手、哲学的な問いを吹っかけても答えられない相手、習慣にたよって自分で何も考えようとしない相手を、すぐさま銃をぶっ放して殺した。
観客の私には、シガーに人が殺される原因と理由は、シガーの意に反した相手側の人生にたいする安易な楽観やあなどりだと感じられた。
でも殺すことはないではないかと普通は思う。
暗黒神話から生まれた神であったシガーにとっては、真実でないものは、ごみと同じであったのだ。
映画「ノーカントリー」では、無表情の殺し屋シガーの殺しが、理不尽であると言う判断を、観客はまだ持つことができた。


疲弊したアメリカの架空都市ゴッサム・シティのダークナイト(暗黒の騎士)であるジョーカー。
映画「バットマン」で、ジョーカーは、バットマンが究極の善人をあらわすとすれば、究極の悪人をあらわす。
ジョーカーは、バットマンの敵であり、悪者であるが尋常な悪者ではない。


バットマンは、役目を果たすために悪に入り込むので、市民には誤解されやすく、嫌われることがしばしばある。
バットマンに味方するとすれば、虎穴に入らずんば虎児を得ずのことわざがぴったりだ。
ジョーカーがゴッサム・シティに現れるのは、宿敵のバットマンがいるからだと言って、バットマンを憎む市民もでてくる

手を汚さない平和主義者の市民の多くは、自主防衛もせず、その覚悟もなく、いつもバットマンに助けられるのは当たり前のことだと主張し、バットマンが市民を助けることができなければ怒って罵倒する。




ジョーカーは何も要求しない。
マフィアから奪った金をうずたかく積んで火を放つ。
金にも名誉にも地位にも一切関心がなく執着しない。
それらをもうすでに手に入れているので執着せず、安泰な暮らしができているから関心がないのではない。
ジョーカーは、顔を白く塗り、幼いころ父親にナイフで切られたと言う裂けた口に赤い色を塗っている。
赤い口が耳まで裂けた、あぶない顔をしている。
ジョーカーには悪を働く説得力のある積極的な目的など何もない。
罪悪感が欠如しており、新種の狂人のようだが頭脳は明晰である。
自身を善人と思いこむ人間を、根底から暗闇に突き落とし、破壊する過程を極悪非道に楽しみ、その最後を哄笑しながら冷酷に見届け味わうのだ。

楳図かずお原作「おろち」映画監督・鶴田法男(4・最終回)

たとえれば戦士の休日のような朝、つややかな高音のさえずりに交じってとぼけたカラスの声が聞こえる。
カラスの声を目指してゆくとそこには人や獣の死体がある。
容姿の崩れが29歳すぎると始まる受難の門前家の姉妹、姉の一草(かずさ)と妹の理沙は、毎朝鏡を見ながらおびえ、鳥たちの声を死刑の宣告のように聞いていたに違いない。



母のいまわのきわの遺言を聞いたのは、妹の理沙だった。
理沙の説明によると、母の遺言では姉の一草だけが、29歳を過ぎると容姿の崩壊が起こる門前家の血を受け継いでおり、妹の理沙はもらい子だそうだ。
この地点で優しいものの言い方をする理沙を疑う者は一人もいなかった。
それを聞いた姉の一草は自分の運命を呪い苦しみ、妹の理沙を妬んで、理沙が運んできたコップの水を理沙の頭にあびせ、髪をつかんで引きずりまわし、殴るけるなどの乱暴を働いた。
家具にもめちゃくちゃに当たり散らし、自分の容姿が崩れることしにしか関心がない。
内容がこれだけだと、普通の女性の嫉妬物語の映画なので、急用を思いだせば劇場をさっさと出てしまうだろう。
だが、おろちの生まれ変わりの家政婦のよし子と門前家を見守るおろちの同時間上の登場で、観客は先の予測がつかず、展開への興味からイスから立てなくなる。
澄まし顔の予定調和とは程遠い結果が現れることを期待し充分に報われるのだ。


よし子の血と姉の血を入れ替えれば姉が助かると、異様な個性を持った男優の嶋田久作扮するところの冷酷な執事に聞き、やさしく装われた妹の目に妖しく残忍なベールがかかる。
姉も妹も執事もカエルを狙う蛇になる。
しかしよし子が姉と同じ血液型だと言うのは、お屋敷で働きたかったためについた嘘だった。
血液型が合わなかった姉は輸血の途中で苦しみ、かろうじて助かる。
よし子は姉の一草に故意に突き飛ばされて階段から落ちて死ぬ。
姉は怒り狂って誕生日が来る前に、自分で額や頬に焼け火箸を押し付ける。


思慮深く優しそうな妹の笑いが、勝利を得た者の高笑いにだんだんと変化してゆく。
妹の理沙がみんなにかくしていた姉妹にかかわる秘密がそろそろわかってくる。
つまり、本当は妹の理沙のほうが、門前家の血を受け継ぎ、姉の一草が貰われてきた子供であったのだ。
自分の容姿は崩れないのに、顔に焼け火箸をあててしまった姉の一草は見るも哀れに絶叫する。
たった5人の観客からおやおや、あ〜あと言うため息が漏れる。
お屋敷の暗がりで、29歳を過ぎた妹の理沙と、焼け火箸で顔が醜くなった姉の一草が老婆のようにうずくまって暮らしている。
おろちは見るべきものを見て西洋館を立ち去ってゆく。


誰もが、姉妹と同じ運命にあれば少なくとも荒れるだろう。
嫉妬や妬みが分かりやすい暴力に変わって出現するか、分かりにくい、いじめになるか、知的ないけずになるかの違いだろう。
そう言うことから離れていたければ、自分のいけずが出てくる機会を自覚し、別の豊かなものに変えてゆく訓練が必要となってくる。
じゃないと意識しないで、いけずお化けに自身を乗っ取られるだろう。
特に品行方正でなにが起こっても平和的で優しそうに見え、予期せぬ戦いを強いられぼろぼろに傷ついたことのない人が危ない。

即興コンサート後の空中遊泳感覚はいつまで続く

2時間続いた半ばジャズの3人のコンサートが終了した。
面白かった〜ωあ〜〜Ω。生きている心地がした〜。 静いーずーかーに歩めたし、たぎるものをセーブしながら時には燃え上がらせ、強弱の足踏みをすることもできた。
オカリナ大中小・弥生土笛・石笛・ピアノ・打楽器(アフリカ・韓国・貝殻・木の実・ホース)使用。
白夜から紺碧へ、茜色から暗闇へ・・・白夜から紺碧へ・・・の中にたたずんだ変化に富んだつややかな水分を含んだ木目の浮かんだ肉(クジラ)。
辛子やわさび、柚子胡椒やバター。旨いお刺身の行列。
川の中に浮かぶ木々。母たち。
雨だれ落雷、エメラルドの木漏れ日が落ちてくる。妖精たちの肢体の各部分の登場、トムとジェリーの追いかけっこ、月夜の子守歌など音が連なってあふれ、透明になりながらぶつかり合って鳴りあって音楽となった。
後で思い返して音の断片を命名しただけであるが。
鳴り響いていたものが、意識的に鳴りやまされた後は、笑みの世界がおとずれた。
そして何もなくなった。
この時間は昔からずっと続いてきた主時間で伸縮自在にもなる。
そこから戻ってくることが、即興の醍醐味であり、生きる力を今、活かすことになる。


2日たった後、こう思った。
「まだ誰も思い浮かべたことのないもの、言葉には決してならないもの」
これについて考えて見よう。
試みたが意識には上らない。
見えない、感じたことのないものが、音になって現れる即興。
意識的な動作から無意識へ。
移り変わりの隙間から
自ら鳴り響いている母海が姿を見せた。
アマテラスのようにクジラのように。

今年最高の映画「12人の怒れる男」(ロシア映画)

この世に起こる人間的なすべての事柄とその原因が、全部詰まっているような見応えのある映画だった。
会話の重厚さには完全に満足を得た。
12人の怒れる男と言うのは、12人の陪審員のことである。
ロシアのある町の裁判所では12人の陪審員の評決を待つばかりとなっていた。
ロシア軍将校だった養父を殺した罪で、チェチェンの少年が第1級殺人の罪に問われている。
市民の中から選ばれた12人の男性によって、評決を下すために、3日間の審議が終了後、初めは形式的な挙手をするくらいの軽い気持ちで、改造中の陪審員室の代わりに小学校の体育館に集まった。
ただし全員一致で有罪もしくは無罪にしなければならない。
検察側は最高刑の終身刑を求めている。
初めは11人が有罪、1人が無罪を主張。
有罪に同意できないたった1人の男の理由は「結論を出すのが早すぎないか、挙手をするだけで有罪、無罪を決めて終わりにしてもいいのか?」と言う指摘だった。
この意見が後ほど、殺人を犯していない少年を助ける方向へと向かわせる。
1人だけ少年の無罪を主張した彼は、新型ダイオード発見者の研究員だったが、企業に相手にされず、自暴自棄から路上生活者になった体験を持つ。
彼を救ったのは、子供を連れた1人の婦人で、「あの人は変な人ではなく、さみしいだけだ」と子供に言って聞かせるのを聞いたことで、立ち直ることができた。


携帯電話を一時預かりにされた後、長い長い話し合いが展開される。
12人が12人とも辛い過去の体験談をあぶり出されるようにして話し始める。
とにかく文化が違い、嗜好や体験もそれぞれ違う人の話にも、熱く耳を傾けると言う稀な行為に遭遇することができた。
上映時間は、延々2時間40分。
ニキ—タ・ミハルコフ監督自身が、12人の陪審員役の1人として男優として登場する。
彼は、元将校で引退後に画家となり、陪審員会では司会をつとめている。
監督は、思慮深さの点においても表情の美しさにおいてもすぐれている。
男たちの職業は多様である。
息子に折檻をしていたタクシードライバー。
父がドイツ将校の妻と恋に落ち、奇跡的に結婚できたことを恨むどころか、そのことを素晴らしい奇跡として認めて受け入れているユダヤ人。
墓地の管理責任者の男は、墓地に仕掛けをしてわざと被害をこうむらせ、遺族から高い手数料を取ってホームレスの慈善や学校設立や自分の嗜好品を買うことに費やしている。
旅芸人は、何でも軽く笑ってごまかすか、受け流すかして、お笑いにして済ませてしまう人々をののしる。
今の日本はこの傾向にあるのでビシビシきた。、
旅芸人の笑いの原点は、瀕死の祖母を笑わせるために、助けが来るまでの間、必死で形態模写をして、祖母を笑わせた経験からくる。
医者である男は、少年と同じ出身地であり、犯行に使われた美術品的なナイフを、ステップを踏みながら踊るようにして見事に使いこなして見せ、「ナイフは国の文化だ」と言い、心臓を一突きにするのが自分たちのやり方であり、少年は犯人でないと言う。
また、犯人目撃者の関節リュウマチの老人は、犯人を目撃できるほど早く歩けないことを、男たちに実演させて証明する。
有罪10対無罪2になったり、意見が分かれて有罪8対無罪4または、有罪2対無罪10になったりし、男たちの意見も変わる。


話し合いのなかばから、1羽のすずめが外からバタバタと飛び込んで来て、羽を休めて立ち止まったリ、男たちの周りを飛び交う。
時々カメラが遊ぶすずめを追いかけるので、男たちとすずめの対比が面白く、すずめ好きにとっては嬉しかった。


有罪1、無罪11となり、少年が無罪になりそうになった時、1人だけ有罪を主張した司会者の陪審員長が、「有罪になり牢獄に入った方が安全だ、釈放されたら行く所もなく、住む家もなく殺される恐れがある」と述べる。
しかし最後に全員無罪の評決を下す。
多忙な男たちがチェチェンの少年の面倒をみられないので、判決後は、陪審員長が少年の身元引受人になる。


この殺人は、建設に絡む地上げ行為のために計画されたもので、チェチェンの少年の養父は何者かによって抹殺されたと思われる。
アパート建て替えで立ち退きに従わなかった養父は、マフィアがらみの犯罪組織の陰謀に巻き込まれたのだ。
映画の内容とは関係ないが実例では、チェチェン戦争のことを伝えようとした女性ジャーナリストのポリトコフスカヤが2006年に暗殺されている。


今回のニキ—タ・ミハルコフ監督の「12人の怒れる男」は、アメリカで1957年に作られた名作「12人の怒れる男」のリメイクで現代ロシア版。
日本語の字幕は、バックが寒色か黒の場合は、はっきり読み取れるが、白になると全く分からなくなる。
字幕のバックを黒にしてくれないか提案したい。


すずめはどうなったかって?
新型ダイオード発見者で今は、日本と合弁会社を作っている男が、窓を開け、「とどまるも飛び立つも自分で選べ」とすずめに言う。
彼は、マリアとイエスの小さな聖画を持ち歩いていて、体育館に忘れた聖画を取りに戻り、大事そうにキスをする。
信仰を持っているとは思えないが、マリア的な母性も世界には必要なことを教えてくれる。
すずめがどうなったか知りたい人は、映画を見てください。

楳図かずお原作「おろち」映画監督・鶴田法男(3)

ある夜、家政婦のよし子は、行ってはいけないと言われている門前家の3階から、うめき声が漏れてくるのを聞きつけ、引き寄せられるように階段を上る。
部屋をのぞいて見ると姉妹の元女優の母が、ベットの上からすき透った布が垂れ下った薄暗い床の上で、苦しんでいる姿があった。
よし子は母親の、ふた目と見られぬ恐ろしい姿に飛びのく。
妹の理沙も駆けつけると、母親は、瀕死の状態であった。
母親は、醜い姿で上体を起こしながら、理沙の耳元でとぎれとぎれに、何か大事なことを告げ、亡くなってしまう。
理沙は複雑な表情をするが、何食わぬ風を装う。

理沙役の中越典子は、鬘もぴったり、時代劇で落ち着いた娘役のいい味を出している。
「御宿かわせみ」の真野響子、「陰陽師」「トップセールス」の夏川結衣の後を継げそうだ。





もうすぐ29歳の誕生日を迎える姉の一草(かずさ)は、女優だった母が作った映写室に籠っている。
容姿が崩れてゆくことに脅え、荒れに荒れている。
一草(かずさ)は、母親が亡くなった時にその場に居合わせなかったので、妹の理沙から母の遺言を聞く。
その遺言とは、妹の理沙は貰われてきた子供で、門前家の血を受け継いでいるのは姉の一草(かずさ)一人だけと言うものだった。
29歳を過ぎると、容姿の崩壊がおとずれると言う、門前家の女性の忌まわしい運命は、姉の一草(かずさ)だけが背負わされているということだった。
一草(かずさ)のやり場のない恐怖と妹に対しての嫉妬は、暴力と言う形で発作的に現れる。
妹の髪をつかんで引きずりまわし、殴る蹴るを疲労するまで、毎日続けるのだ。
妹の理沙は、あらがいもせず暴力に甘んじている。
家政婦のよし子に対しても徹底的にやさしい。
何かおかしいではないか、この一歩引いた態度は。
とにかく理沙は姉にも、よし子に対しても優しすぎるくらいやさしい・の・だ・が・・・・・

<次回に続く>


★楳図かずおの恐怖文字には、毛が生えていたり、振動していたり、先がいくつにも分かれていたりで、その場の雰囲気がよく出ている。
漫画の中の妹の理沙は、20代なのに小太りの中年体形なっていて、家政婦のよし子に対しては映画とは逆でつらくあたる。
姉の一草(かずさ)は美しいままで病で自宅療養をしている。
映画と漫画の違いを知るのもとても面白い。

楳図かずお原作「おろち」・映画監督・鶴田法男(2)

美少女おろちは、嵐の夜、門前家(もんぜんけ)にたどり着き、人に見られずに、部屋の暗がりや、カーテンの後ろから、門前家の女優の母親や仲のよい少女姉妹を眺めつづける。
勘が鋭いおろちが滞在すると言うことは、足を止める理由があるわけだが、門前家には、1歳違いの少女姉妹、一草(かずさ)と理沙がいる。
母親は女優で、主演の映画を撮らせるような美貌の持ち主であるが、いつも何かに脅えていて、周囲の者に言いがかりをつけ絡みながら、すぐさま突き放すようなヒステリックなものの言い方をする。


隠されている秘密から先に言ってしまおう。
門前家の秘密とは、女が29歳を過ぎると美貌が崩れ始め化け物のような顔になってゆくことだ。
額の隅に粒状のみにくいできものが現れ、いずれ全身に増殖してゆく。
今は指にも同じものが現れている。
門前家の女性には、生やさしい慰めや説教はかえって不安をあおりたてることになる。
おしきせの理屈など一切通じず、きれいごとは一笑にふされる。
でもちょっと言わせてもらおう。
遺伝子が原因しているか、「風土病」では?


29歳の誕生日に、できものの兆候に気付いた女優(姉妹の母親)は酒をあおり、狂ったように車を運転し、お屋敷に続く道を暴走する。
美少女おろちは、車の横に飛び乗り、車をとめようとするが、2人とも崖下に転落してしまう。
腕を怪我し血だらけになったおろちは、急に眠気を催し、自分の肉体を野良犬などから守るために、安全な場所を捜している途中、洞窟に落ち込む。
おろちが眠っている間に20年の歳月が流れる。


その間に、ストーリーのつなぎとしてか、もう一人のおろちが、普通の女の子としてよし子と言う名前で登場する。
この卓抜な展開には驚きを覚えた。
女優の谷村美月がおろちの2役をやっている。

よし子は、酒場を流して歩く夫婦の血のつながらない天涯孤独な娘として、ギターの伴奏で「新宿烏」(しんじゅくがらす・楳図かずお作詞)を歌い歩く毎日を送っている。
この歌が悲しくみじめなツボにはまっていてとてもいい。
おばさんは日頃の不幸を、よし子に暴言を吐き顔を殴りつけることで解消している。

よし子は、美しく成長した門前家の妹の理沙に300万円で買い取られ、門前家の家政婦として働くようになる。
何のために理沙が、よし子を家政婦にするのか、どんでん返しに向けての、その恐ろしい魂胆は後からじわじわ分かってくる。
成長した姉妹の執念と裏切りは執拗であり、すさまじいバトルが繰り広げられる。
容姿の崩壊に脅える女性の嫉妬の残忍さを見せつけられる。




美少女おろちは、門前家に戻り、もう一人のおろちであるよし子を陰で見守っている。
1歳違いの姉妹は27歳と28歳になっていて、容姿が化け物のように崩れる29歳は目の前にきている。





門前家の玄関から中に入ると中央に2階に上がる美しい階段があり絨毯が敷かれ、その上に母親と子供が戯れる絵画がかけられている。
美少女おろちは、絵画の母親の目に自分の目を植え付け、玄関の部屋で繰り広げられる光景を見ることができるようにする。
絵画の女性の目だけが、きょろきょろと動くさまは、お化け屋敷の見世物を思わせる。
おろちが颯爽と超能力を発揮する前後には、どこからか吹いてきた風に髪があおられて美しい。


女優でもある母親役と姉の一草(かずさ)役は木村佳乃が演じた。
この人は妖しさをおいてきぼりにして、役を軽快にこなしてしまう。
かつらをかぶる時代ものの映画出演時は、どうしたの!とびっくりしてしまうほどおでこが縦に異様に長く、気になってしょうがない。
個人的な好みの類です。
妹の理沙役の中越典子の甘い声と容姿はとてもよい。

姉妹の共通の恋人になって醜態を演じる監督の役は、山本太郎がやっているが、かなりなおじさんになっていて、ずるい役もぴったり、癖のある汗をかいていそうだ。
姉の一草(かずさ)から、洋弓を向けられた時に、監督は妹の理沙を盾にして身を守り、ごろげるようにして逃げ出す。
その姿はぶざまでうっとうしい。


楳図かずおの漫画おろちは1集〜4集あり内容は8話。
漫画では、顔面や体中にできものができるのは、18歳を過ぎてからになっている。
映画の29歳の方が18歳よりも、あでやかになっていて、美貌が崩れていくことに対しての抵抗もすさまじい。
映画「おろち」は、その中の1集の「姉妹」と4集の「血」をミックスさせて作られ、脚本は、「女優霊」「リング」などを手がけた高橋洋。



<次回につづく>

楳図かずお原作「おろち」 映画監督・鶴田法男 (1)

「おろち」と言うのは、大蛇のことで美少女の名前だ。
おろちと言うおどろおどろしい名前は、美少女にはふさわしくないが、並々ならぬ暗黒の中でのたうちまわるさまを見れば、暗い底力を持った瞬発力のある大蛇とはよく言ったものだとうなづける。
おろちは、100年間不老不死の体を維持することができ、回復させるためにしばらくの間、眠りにつくことがある。
美少女おろちは、草木の黒い影が揺れるあらしの夜の風雨を避けるために、西洋館の門前家に足を踏み入れる。衣装はひるがえる赤。
そこには残酷な運命を背負わされた姉妹と、医者だった召使い(帝都物語の顎の長い強烈な男優・島田久作)、3階に住む病に伏した母親が暮らしている。
門前家の女に背負わされた運命とはいかなるものか、あわてず騒がず追々分かる時が来るまで待とう。

おろちは超能力を駆使し、深い関わりをもって人の惨劇に介入し、助力を惜しまず、ことがおさまると立ち去ってゆく。
人の不幸を黙って立って見続けるだけの傍観者の群れを描いた映画「ギヤザリング」のような意味では、悪魔的に不気味ではない。がしかし。
楳図作品にはおなじみの、プラズマ渦巻く昼なお暗き空が、物語の行く手を暗示している。


<次回に続く>

★おまけ★ 楳図かずおは口の中にある歯に影をつけ、とがっているように見せて怖がらせる。
それも自分の口内と歯を撮影に提供している。ほんとに怖い。
赤と白のストライプの洋服を着るだけではなく、吉祥寺の閑静な住宅地に、赤白ストライプの西洋館まで建てて、物議をかもしている。でも訴えているのは2人のおばさんだけ。
まことちゃんの顔のガラス張りの塔があり、そこから外を眺めては構想を練るそうだ。
めげずにさざえ堂とか雅叙園の100段階段めいたものも作って欲しい。
彼の漫画は文学だそうだ。
        

「白い馬」「赤い風船」・監督アルベール・ラモリス

白と赤の題名が付く、こう言う稀有な悲しく美しい映画詩の場合、押し寄せてくるさみしさでいっぱいに満ちた川の中に浮かんだ透きとおった夢の風呂に入った感じになる。
特に「赤い風船」の時は、術にかかったように本当に時々眠ってしまうのだった(20秒か30秒だろう)
以前見た時も、同じところで眠ったようだ。
「白い馬」に出てくる馬は、野生馬。
牧童に追われて疾走する長い白いたてがみ、柵の中へ閉じ込められて抗うところ、白い馬と仲間の馬のすさまじいが美しい決闘シーン、白い馬に引きずられる痛そうな少年などでは、ハラハラして目が離せないので眠りに落ちることはなかった。
それでも湿地帯やローヌ川の流れを見ているとボーっとしてきて眠くなった。
牧童や少年や教師に姿を変えて追いかけて来る崩し屋たちは、いつの時代にもいて、いつもいつも、価値など分からずに、高慢な笑みを浮かべてあざけりながら崩してゆく。
相手に「こんな風にしたいのだけれど あなたはどう?」とは、決して聞かない。
黙っていれば何でもかんでも公共心さえなくやってしまう。


意志を持っているように感じられる白い馬や赤い風船は何の象徴だろう?
美しい唯一の魂を持った別の世界から訪れた命とでも言っておこう。
少年だけがその意思と通い合うことができる。
素晴らしいと思うけれど、はいりこむ余地がなくて、こっちはがっかりしてへたへたと座り込み2日〜3日元気がなくなる。
手に負えない、どうかすると始末に負えなくなる純粋さだ。
天使は地上には住めない。
「白い馬」の少年が上を向いた一瞬、首と顔の筋肉が見て取れた時、少年の20年後の美しい姿が分かる気がした。
「赤い風船」の汽車のけむり(蒸気?)と赤い風船の取り合わせはみごとだった。
風船の扱いも、どうしてあんな風に飛べたり、部屋に出たり入ったりできるのか驚嘆するばかり。



「白い馬」の少年は、捕まえた兎を焼いている時に、牧童から踏み荒らされ、一緒に暮らしている老人と弟に食べさせてあげられなくなる。
食べ物はウナギなどの川魚なのだろうか、調べてみると水鳥やビーバーとかきつねもいるらしい。
たぶん蛇だっている。
湿地帯を利用した米の水田まであり、ラムサール条約(湿地帯と生物を守る条約)も結ばれている。
馬の背に乗り、川の彼方に消えてゆく少年。
少年と白い馬は、自死に追い込まれ、水中に没した先の別の国でなければ生きていけない。
本当に悔しくて悲しい。
このままだと追慕の情に引きずられて、後追いするような人も出てくるかもしれない。
そうしないですむ人は、何がいったい制止力になっているのだろうか。



赤い風船は、一度悪童のゴム鉄砲で撃たれ、しぼんでしまう。
そのあと色とりどりの風船がパリの街から集まってくる。
少年を沢山の風船が呼びに来て、空のどこかに運ばれていってしまう。

もし「白い馬」の少年と「赤い風船の」少年が、助けられてこの世に戻ったとしたら、夢のような体験をどこかに種として持ちながら、現実の大人として生きていけるだろうか。
「白い馬」に出演した美少年アラン・エムリー(当時は素人)はブログ(2次配信禁止)に載っていて、多くの彼の写真を見ることができる。TVや映画3作品に出ている。
アルベール・ラモリス監督は「恋人たちの風・1970年」を撮影中、ヘリコプターの事故で45歳で死亡。
監督の映画は、全部見たいがほかには「素晴らしい風船旅行・1960年」「フィフィ大空をゆく・1964年」「パリの空の詩・1967年」と言う風に空が舞台となっている。

原作・楳図かずお「赤んぼ少女」監督・山口雄大

嵐の夜の稲光、幽霊屋敷と呼ばれている瀟洒な西洋館、レースのカーテンと房を下げた風格のある分厚いカーテン、彫像のある廊下、葉の影がさした胞子が飛び交う暗い庭、不気味な絵、草に覆われた古井戸、得体のしれない召使い、と言うようにホラーになくてはならない道具立てはそろっている。

<時には角度を変えて、悲しいほどに蠢く邪悪な感情に翻弄され、その広がってゆく波紋を味わってみるのもいいのではないでしょうか。タマミのために流す一滴の涙は、かえってあなたの心情の陰影を深くしてくれ、今まで見えにくかったものが姿をあらわしてくれるかもしれません>

醜い顔をした赤んぼのままで成長が止まっているタマミは、15歳。
タマミには、赤んぼの肉体と異様に伸びた茶色い右腕しかなく、しかも指は節くれだって変形していて爪も悪魔の爪のようにとがっている。
タマミには、天井裏をはいずりまわり、壁をリスのようにピョンピョン飛び、西洋館周辺の執拗な探索をすることによって、15年もの間鍛えられた怪力が備わっている。
黒くとがった歯の生えた口を開けて赤んぼの声で泣きつづけ、気に入らない者には、「ビヤー ビヤー ビヤー」(否定語のいやーいやーいやーか?)とひしゃげた高音を口内で発して、相手に飛びつきざまに噛みつく。
西洋館を訪れた者が井戸をのぞくと、中へ隠れていて怪力で引っ張り込み、異常に強い指の力で首を絞めて殺す。

南条家には15歳の2人の姉妹がいる(双子だったのか、年子なのかつまびらかではない)
美形の少女葉子と、深いしわと醜いとがった歯を持つ醜悪で残忍な赤んぼ少女タマミ。
葉子は、戦争中、父に抱かれていて爆撃にあい、はぐれて生き別れになる。
母親は、赤んぼの時にいなくなった葉子の代わりに、15年たった今でも、ぬいぐるみを抱いてあやしている。
孤児院で育てられていた葉子が見つかり南条家に戻って来ても、母親は、葉子に「あなたは誰?」と繰り返し聴くばかりでわが子に出会えた実感がない。つまり気がふれている。

奇形に生まれたタマミは、病院で死んだと思われていた。
母親がタマミを父親に内緒で、仏像の裏に秘密の隠し部屋を作って育てていた。
母親役はエキセントリックなきつい声の浅野温子でよかったのかもしれないが、気品ある奥様風の雰囲気を出せる村松英子だったら、爬虫類系の冷たい生臭ささにおいても、数段ぴったりだったかもしれない。
タマミの生存を知った父親は、タマミを鞄に詰め川へ投げ込むが、タマミは鋭い爪で鞄を破って、野良犬を殺しその生皮をはいだ首を父親の部屋に投げ込む。
タマミは、ほとばしるような邪悪な憎しみを、他の人間に正直に向ける以外に、人と関わる方法を知らない。

タマミは醜くく生れついた自分に納得することができず、同じ日?(かどうか定かではないが)に生まれた葉子の美しさに嫉妬し、葉子を盗み見している。
父親は、葉子に女の子らしい鏡台や花の形をした蓋のついた口紅などの化粧品やクロアゼットいっぱいのレースやリボンの付いた乙女っぽい洋服などを与え、展覧会に出すための美術品の磨き方など教える。
タマミは葉子の口紅を自分の魔物のような唇に塗りつけた後、おのれのあまりの醜さに怒り狂って、鏡を割り口紅を投げつけ葉子の部屋を滅茶苦茶にする。
葉子の美しい一部始終を隠れて見ているタマミは、葉子を憎んで、ものすごい勢いで飛んだり、這ったりしながらどこまでも葉子を追いかけて来て後ろから首に食いつき殺そうとする。
奇声を発しながら、美しいものや自分を受け入れない者を、父親であろうと、姉妹であろうと、殺そうとするタマミの怨念は悲しい。


燃えさかる西洋館の中へ、気のふれた母親に抱かれながら戻ってゆく醜いタマミ。
「オ・カ・ア・サ・ン、ゴ メ ン ナ サ イ」とつぶやき死んでいくのだった。
母に抱かれたタマミの死体が哀れ極まりない。


楳図かずおのように、嫌と言うほど執拗に憎しみや怨念や狂気を描いて見せる漫画家も珍しいが、読まずにはいられない吸引力がある。 とことん悲しいまでに悪意を描いて見せる。
「赤んぼ少女」は1日1回20時40分から上映、土曜日の夜だと言うのに2組のアベックと私を入れて2人の女性しか観客がいなかった。