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七癖・難癖 おばさんの一人ごち

昔、男たちだけで売り出した一世風靡セピアと言う歌手グループがいた。
男臭く力強い歌と踊りでたいそう人気者であった。
その中の一人に柳葉敏郎と言う歌手兼俳優がいた。
俳優業の仕事は、徐々に獲得していったのではないかと思う。
売り出すきっかけは、スマップや嵐などの男性アイドル歌手グループと同じで、かっこよさを気に入られて、テレビドラマや映画に抜擢され、次第に演技の技を磨いて、鑑賞に耐えられるようになって行ったものだろう。
柳葉は、今でもますます健在、「踊る捜査網」「容疑者 室井慎次」など刑事役で熱く活躍している。
しかし私は素敵で素晴らしい彼らのフアンでもなんでもない。
彼らの踊りも歌も男前ぶりも、苦手な部類に入る。
柳葉敏郎については、インタビユーを受けたり、テレビ出演した時にたまたま見かけるくらいだった。

柳葉敏郎はテレビで話している時に、しっかりした立派な舌を、ぐるりと回す。
話の合間に舌先で、べぺろぺろと唇を何回もなめる。
これが私には、ダメなのである。
この舌技は妖怪じみて見える。
道ですれ違いざま、「ガガガ、ゴゴゴ」と喉を鳴らして、私の前に痰を吐くおじさんを思いだす。
舌先で唇を素早くなめる歌手やお笑い芸人は、又かと思いつつ、他にも何人かテレビで見たが、名前を思い出せない。
妖怪映画、怪奇映画ならどっぷりはまって見ているので、いくら奇妙な舌あしらい映像でも平気なのだが、普段は、妖怪じみたものを見るのはお断りしたい。

人気者の日本の女性フィギュアースケート選手は、流石に、演技中は、唇をなめたりはしない。
その代りに口をずーっとゆるく半開きにしていることがたびたびある。
初めから最後まで、口のあたりが、ぽかんとだれている人もいる。
笑顔を作ってくれて、美しい歯が見える時はとてもいい。
時々、きりりと唇を閉じてくれたら、もっとほっとするのだが。

蒼井優の「百万円と苦虫女」・タナダユキ監督(5)

ある町の花屋のスタッフとしてはたらくことになった鈴子は、同い年(21歳)の大学生の中島青年(俳優・ダンサー 森山未来)と出会う。
2人は愛しあうようになる。
中島青年と書くよりも、個人的な好みで、未来君と呼びたくなる青年だ。
つまり大学生の中島君と俳優の森山未来君は、同一人物に見えてしまう。
未来君は、「佐藤さんはいつも困ったように笑う」と言う風に鈴子をしっかり観察していて、鈴子がどんな話をしても驚かない。むしろどこまでも追ってくる。
彼が、鈴子を追う時の目と体の動きが一心で、その願いの糸を切らないようにするために、つんのめりそうになりながら真剣そのもので、可哀そうになってしまうくらいだ。


彼らは、躊躇しながらも、付かず離れずの状態から、段々に寄り添ってゆく。
チューリップや葱の中のほのぼのとした明かりの中で、笑い合っていたりする。
2人はスーパーで偶然会い「ご飯を作ってくれない?」と未来君は鈴子に頼む。
観ていて美しい。この美しかったことを思い返すために、ここまで長く話を引っ張って来たともいえるのではないか。

その間にも鈴子の通帳には、お金が貯まってゆく。
急に未来君は鈴子に「5万円貸して」と言ってくるようになり、デートの支払いは、すべて鈴子にお願いするようになる。
後輩の女の子とお茶を飲み、通りがかった鈴子に1万円を借りたりする。
観客は、未来君の心変わりを疑うように仕向けられる。
鈴子は未来君の所に直談判にゆく。
鈴子は「あなたが私と付き合うのは、私がお金を持っているからでしょ」と言って、花屋を辞めてしまう。
花屋に鈴子が挨拶にやってきた朝、未来君は、鈴子に借りたお金をそっくり返す。
あれよあれよと言う間に、鈴子は駅へ向かう。
このままだと未来君は、鈴子を裏切ったどうしょうもない男になってしまう。


未来君は走り始め、自転車に乗って鈴子を追いかける。
お金を鈴子から借りていたのは、100万円貯めてこの町から出ていってほしくなかったから。
未来君は、駅に着いたけれど鈴子はどこにもいない。
鈴子は途中でドーナツを1個買って口にくわえ、重いキャリーバッグを抱えて、階段を登っている。
一瞬2人の目が合いそうになるが、鈴子がくるりと後ろを向き「そんなわけないか」と言いながら立ち去ってゆく。
しかし未来君は、彼女を見つける。
ここで映画は断ち切られ、終了となる。
観客は揺さぶられたまま、茫然となるのだ。

— 完 ー

蒼井優の「百万円と苦虫女」・タナダユキ監督(4)

いよいよ追い詰められると「前科者ですから」と言って、その場を立ち去ってゆく鈴子。
前科がついては、就職もままならず、孤独感も一塩だろうが、こう言う時に限って、優しく声をかけてくれていた周りの人間たちは、死ねと言わんばかりに、小さな難癖をつけて鈴子から、離れゆくのが常である。
流れてゆく先で、何も知らず、鈴子に声をかけてくれる人と、鈴子の間には、全く声が届かない暗い溝が横たわっている。
心を静かに揺さぶられてときほぐされ、温かい自由さを感じられる関係が成立しない限り、一方的に詰め寄っても、鈴子は、何も話し始めないだろう。


海の家で働いていた時、青年が、鈴子に声をかけてきて、パーテイにさそった帰り道でも、鈴子は、「私のこと何も知らないのに」と言って立ち去ってゆく。
人の好さに付け込まれて、うかうかと刑務所に入れられてしまった鈴子の悔しさや絶望を、受けとめてくれる深さを持った人は小学生の弟以外まだ誰もいない。


福岡のコピ—ライターの矢野寛治さんが、11月23日に「なりきり映画考」と言う本を出版されたが、その中に「日本映画人ダイアリー」がある。
古今東西の日本のスターや監督や映画音楽を紹介してくれている。
その捕まえ方の温かさにしみじみとしたものがあって泣かされる。
8月17日の所に蒼井優のことが書かれている。
抜粋させていただくと、「(蒼井優と)話をすると、利発で聡明で、よく古い映画も観て勉強をしている〜「ニライカナイからの手紙」では、竹富島の自然に負けない爽やかさ、可憐さ切なさを自然体で演じた。大竹しのぶ以来の天才出現を予感した。」

・・・・・続く・・・・・

蒼井優の「百万円と苦虫女」タナダユキ監督(3)

海の家で、若い娘が、かき氷や焼き烏賊、ホットドッグ、焼きそばなどを作って手渡してくれるとなんとなく嬉しく美味しく感じるものだ。
どこに行ってもしっとりとしていて魅力的な鈴子には、必ず男性が言い寄ってくる。 
海の家でも、鈴子を見て大声で騒いでいた茶髪のあんちゃんたちの中から、鈴子にいたずら半分に声をかけてきた男がいた。
海の家は、若者にとっては、ナンパの場所としては、もってこいの場所かもしれない。
彼らは、鈴子自身と話したいのではなくて、女の娘(こ)とつきあいたいだけである。
鈴子は、とっくの昔から軽々しい男の遊び半分の気持ちをみぬいていた。
鈴子の心情を理解することなく、いい加減に近づいてきて気を引こうとしても無駄である。
しばらくして、うるさくなりそうなので百万円たまった鈴子は、何の未練もなく、あっさりと海の家を後にする。

次の桃つくりの農家でも、母と息子(40代〜50代)が鈴子を大歓迎する。
喜びの余り、かどうか分からないが、息子は、鈴子が風呂に入っている時に限って、戸の向こうから話しかけてくる。
鈴子がほんの少し寝過ごすと、朝早く、無断で部屋に入り込み蒲団に寝ている鈴子のそばに来て、真上から顔をのぞいて声をかける。
好かれようとしても、これでは逆効果である。
距離感のない人なのだ。なんとなくもの欲しそうにまとわりついて気味が悪い。
深く傷ついている鈴子にとっては、欲望を持って近づこうとされても、受け入れられないだろう。
マスコミを使って全国的に桃をアッピールするために、桃娘にさせられそうになった鈴子は、「前科者ですから」と言って立ち去る。
女優の蒼井優の可憐な立ち姿は、見る者を慰め、鈴子と一体になって切ない影を曳く。


・・・・・続く・・・・・

蒼井優の「百万円と苦虫女」・タナダユキ監督(2)

佐藤鈴子(女優・蒼井優)は、出所した日、1人で刑務所の高い壁に沿って歩きながら「娑婆だ〜」とつぶやく。
歩を進めながらポピュラーソングを「シーャバーダ・シャバダバダ・シャバダバダ・シーャバーダ・シャバダバダ」と口ずさむ。かすかな笑い旋風が起こる。
世間的に成功していない姉をいつも小馬鹿にしている小学生の弟は、学校では陰湿ないじめにあっている。
鈍感な教師は、いつも遠くからざわついている鈴子の弟の周辺に向けて声だけで注意し、一歩もいじめの現場に踏み込もうとはしない。
鈴子の弟は、給食のご飯の上にゴミをのせられ食べるように強制され、夢中でかっ込んだあげく吐き出すが、何も知ろうとしない教師は、鈴子の弟の不手際を怒る。
浮いた教師がアホに見える瞬間の1つだ。
貧困や心の病などで、先行き真っ暗な生徒の将来を一時的に嘆く熱血漢の教師はいないこともないが、順送りで生徒は卒業してゆく。
後には家を建て、他人に寄付などもできる生活を保障された教師が残る。


鈴子が同級生から、刑務所に入っていたことをネタにいじめを受けた時、力強く自分を守ったのを弟が見ていて、鈴子にすり寄って来る。
2人は手をつないで家にもどる。この家は、両親の影が希薄である。
このこと以来、鈴子が家を出ても弟との包み隠しのない文通が始まる。
2人が手紙を読む場面では、こみあげてくるものがあって劇場のそこここではハンカチがつかわれる。
鈴子は家を出て、海岸にある海の家にたどりつく。

・・・・・続く・・・・・

蒼井優の「百万円と苦虫女」・タナダユキ監督(1)

33歳のタナダユキ監督がインタビューに答えて言った。
「終わった後、観客が席を立てなくなるような映画を作りたい」
映画「百万円と苦虫女」は本当にそんな映画だった。

場面は、佐藤鈴子(すずこ・蒼井優)21歳が、刑務所を出てくるところから始まる。
一皮むけた感じで、さばさばしている。
繊細な羞恥心を持ち、普段は敵を作らずおっとりとした頼りない物言いをしている鈴子だったが、出所後は、世間様からいわれのないいじめを受けると、怒りの間欠泉を吹きあげさせて自分を守ることができるようになる。
啖呵を切り、買い物袋の中の卵や豆腐を、道端で悪態をつく同級生たちに投げつける。小気味よい。
いじめは、最後に残された人間同士のコミュニケーションなのか?

短大を出ても、職なし、特技なしでフリーターを続ける鈴子。
21歳で刑務所に入るようになったことの発端は、仕事先の女ともだちとルームメイトとして暮らすつもりが、知らないうちにルームメイトの恋人と3人で一緒に住むことにさせられていたことによるものだった。
死ぬほど驚き、嫌でたまらなくても全く抗議できない鈴子は、仕方なく部屋に荷物を運び込むが、ルームメイトは恋人とけんか別れをしたとかで、鈴子に無断で部屋を借りないことになり、いつのまにか友達の恋人の男だけが鈴子とアパートを借りることになった。
鈴子に何の断りもなく、アフターケアーもないひどい女ともだちだ。
恋人の男だけが隣の部屋を占拠し、鈴子に乱暴な口のきき方をする。
無茶苦茶な話だが、鈴子は困ったような苦虫笑いをするだけ。
ここでアパートを引き払って実家に逆戻りするか、別のアパートを探す気にならなかったのは、まずお金を持っていないことと、両親の仲が崩れていて、帰る場所である家庭らしい家庭がないからだった。
雨の日に拾った子猫の餌を買いに行っている隙に、男に子猫を捨てられ、子猫は雨の中で車にひかれてつぶれてしまう。
日頃、にこやかでおとなしく何をされても黙っている鈴子の怒りの爆発はすごく、目の前から消えて欲しい男の荷物をすべて廃棄していまい、刑事事件として訴えられ、二十万円の請求を受ける。
男を消してしまわなくてよかったと思う。
浮気をしている父母はお互いをなじりあい、鈴子のことは放置した状態で、刑務所には迎えにも来ず、小学生の弟からは馬鹿にされる。
一人暮らしのための敷金と礼金、当座の生活費などを考慮した上で、親子4人が集まった食卓で、鈴子は百万円貯めて家を出ることを宣言する。
フリーターとして旅をし、海の家、桃つくりの農家、花屋などをめぐってゆく。
シリーズものにして様々な職を転々とする続編映画を作って欲しい。
鈴子は「自分探しの旅をしているの?」と旅先で恋人になった青年に聞かれて
「むしろ探したくないです。探さなくってもいやでもここにいますから」と答える
なかなかいい答えである。気に入りました。

・・・・・続く・・・・・

映画「七夜待・ななよまち」河瀬直美監督

美しくてほっとする題名と、汗をかいても泥をかぶっても、なおすっきりと美しく魅力を増す長谷川京子主演の映画だった。
しかしこの映画は、竜頭蛇尾に終わったと言うのが個人的な感想。



彩子は1人でタイの空港に降り立つ。
目的は一切分からない。彼女は、タイ古式マッサージのことも知らない。
監督からは、その日の行動だけを書いたメモを渡され、ただ自然な行動をしてくれと言われてカメラをまわされたらしい。
服装は、初め下はスカートでいつの間に着替えたのかジーパンになっていた。上はノースリブの胸の大きく空いた肩ひもつきTシャツ。勿論ノーブラ。
彩子は、空港からホテルまで乗ったタクシーの運転手に、肩や胸にオイルを塗っているところをじろじろ見られ、不安を感じたまま疲れて眠ってしまう。
危険信号が点滅中なのにうかうかのし過ぎ。
案の定、彼女は、異様な雰囲気を感じて、タクシーから飛び降り、森の中を運転手から追いかけられる。
無防備である。悲しいほど疑うことを知らず、危機感も何もない。
素直で従順なお金持ちの1人旅の日本人女性は危険がいっぱいだ。
事前に注意すると、いたずらに危機感をあおりたてているように受け取られる。
こちらがいくらいい人で人を騙さなくても、相手の泥棒や強姦魔にはそんなことは通じない。


彩子は、森の中を、油であげられる前に、細かいピ−ナッツやアーモンド、胡麻をつけられたたかき揚げの具のようになって、転げながら逃げる。
森の茂みには何が生息しているか分からないので、観光客は気をつけた方がよい。
日本の田んぼのあぜ道も、繁殖期になると蛇が何匹も絡みついて、のた打っていることがあるので、何も見ないでドスドス歩いていてはいけない。
ボストンバッグはタクシーの中、ショールダーバックも首からかけず、肩にかけているだけだったので、体から外れて失ってしまう。
こんな致命傷的なおバカさんな彼女の行為に腹が立った。
パスポートも、お金も、下着もすべて失って森の中を逃げ惑う。


タイ古式マッサージを習いに来ているフランス人のゲイの青年やタイ古式マッサージを教えている女性と日本人との間に生まれた子供、彩子を脅したタクシーの運転手どうしの交流が始まる。
タクシーの運転手は、ボストンバックもショールダーバックも返そうとはせず、盗んだのかどうかも映画では、説明もなく分からないので、呑気さかげんにイライラする。
着たきりすずめのままだった彩子は、ボストンバックをうしなったまま、誰にTシャツを借りたのか、いつの間にかTシャツの色違いを着ている。
最初は黒、途中で緑、次に袖つきの紫のTシャツになる。パンツも変化する。
撮影日によって、長谷川京子がTシャツを個人的に変えたのか、ストーリーを考えてその流れによって服装が変化したのか、ごちゃまぜでよく分からない。
タイ語と日本語とフランス語が滅茶苦茶に乱れて垂れ流され、無秩序に雑然と行きかう。
タイのようなのんびりしたおおらかな土地で、泥棒も被害者もあるものか、心を解き放って身一つでがんばれと言う状態なのだが、ストーリーの軸が見えない。
状況が把握できず、危機的な状態に置かれているのに、汚れた服のままとりあえず乾くのを待って見ようか、そのうちどうにかなるさと言うのんびりした感覚を押し付けられている気がした。
いなくなった子供をみんなで探している時、フイルムを無造作につなげたのではないかと言う空間から、子供が、不自然にぼこっとあらわれたのも、そろそろ劇場を退散しようかと腰を浮かす原因の一つになった。
ようよう最後まで見たが、なにも変わらなかった。

寸々(ズタズタ)

父の、1周忌の命日の1日前に、幼いころよく山に連れて行ってくれた一番下の叔父が癌で亡くなった。
叔父の訃報を受けたその夜から、吐き気と腹痛と頭痛で3日間寝込んでしまった。


映画や避けられない世間の荒波の中で、聞くたび、見るたびデリカシーのないあからさまな嫌な男たちに出会う期間が続いていた。


映画の中の女性の主人公たちは、女性であることで見くびられ、へらへらしながら雑談を持ちかけられたあげく、性のはけ口にされ、子を産むために利用され、いらなくなると遠ざけられ打ち捨てられた。
映画「宮廷画家ゴヤは見た」の中のロレンソ神父。
彼は、ユダヤ教徒だと言いがかりをつけられ投獄された無実の少女を、両親に頼まれて牢獄に何度も訪ね、自分の子を身ごもらせてほっぽらかし、外国へ逃れて別人になり済ました揚句、成長して娼婦になったわが子を、自分の身の安全のために外国へ追放しようとする。彼は、やがてはみじめな最後を遂げることになる。
映画「ブーリン家の姉妹」のイングランド国王ヘンリー8世。
国王は、男の子欲しさのために、夫がいようがいまいが子供の産めそうな女性に次々に手を出す。
あの赤ら顔といやしい顔になるための役作りは成功している。




電車の中で畳語(じょうご)の漢字問題を出しているポスターの「努々」や「態々」「虚々」の読み方を考えていると、早足で駆け込んできた手足の長い若いウサギがいた。身長185センチくらい。
ホーエン・ザルツブルグの金髪青年よりもみずみずしく神秘的。
唇が上品な花弁のように盛り上がっていて清潔。
髪は神楽の毛のように立ててあり、なびいている。
靴の紐や白シャツに彼の体温が伝わり、ものがすみずみまで彼と化している。
色あくまでも白く切れ長の眼は黒、ス—ツを着て体を広げ、しどけなく眠りに落ちているところが、厳しい美しさを保ち続けられる麗人のガクトと違ってかわいい。
きっと背中に羽がかくされているに違いない。
さわやかなプレゼントにやっと元気が戻ってきた。



努々・ゆめゆめ
態々・わざわざ
虚々・うかうか

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