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映画「96時間」米

元秘密工作員だった男はカリフオルニアで引退生活を送っている。
唯一励みになるのは離婚した妻側に残して来て、今でも交流が頻繁にある17歳になる娘だった。
この娘自分の誕生日に、実の父の目の前で、彼からもらったプレゼントを放り出して忘れてしまい、母の再婚相手の老富豪がくれたプレゼントの馬に夢中になって大はしゃぎするような、空気の読めない娘である。
実の父はしょんぼり帰宅し、溺愛する娘の幼いころからのアルバムの写真を引っ張り出しては、毎日眺めて暮らしている。
宿泊場所を偽ってでも女友達と2人で羽を伸ばしに行きたがる娘のパリ行きを、大富豪の老人と再婚した妻の説得もあって、許してしまったのが、この父親が前の仕事をフルに生かして大活躍するサスペンスアクションの始まりであった。
007並みのスピード感のある切れの良いアクションにはわくわくさせられ、こちらまで力がみなぎってくるようであった。


娘たちは、空港に着いてすぐに全く知らない若い男たちから声をかけられ、迂闊にもホイホイと同じタクシーに乗り込み、宿泊するホテルを知られ、パーテイーにいっしょに行く約束までしてしまう。
この男たちはアルバニア人グループの人身売買組織の者たちで、少女たちを誘拐し、麻薬を注射し、売春宿に売り飛ばし、処女は競りにかけて個人に売り飛ばしている連中である。
空港でハンサムな男に声をかけられたからと言って、すぐに同行し、パーテイに呼ばれたからと言ってベットを共にしょうと舌舐めずりして待っている少女たちの父親が、娘のためにならエッフェル塔をも崩す勢いでパリにのりこむ。
娘のための素晴らしいアクション、殺人、拷問、法律違反、元仲間の妻に対する発砲などすべてやりつくして、娘を保護することにのみ専念し大成功する。
父親にとって、娘は自分の一部であり、溺愛の対象物である。
見つけ出した娘から「来てくれたのね。命がけで守ってくれたのね」と言われて抱きつかれる。
しかしこの娘の自己防衛力は、これから育ってゆくだろうか。
娘さんがたよ、奥さんがたよ、身体能力や権威や経済力を持った男たちや対処能力のある女たちに、鼻から出す甘声で助けを求めるだけでなく、しっかりしするところはして欲しい。
私の母のように夫の後ろに隠れてしまう妻たちには、豹柄を着たしっかりした働き者の大阪のおばはんになれとは言いません。
八方美人でその場の状況によって強い男についてゆくと言うのは、子孫を残すための本能かもしれないけれど、相手によって、毎回言うことが違っていて、見分けにくい嘘が混じっているとがっかりします。
同性との友情なんか軽く見ているので、同志的な友情なんか育たないことをせめて知って下さい。


娘さん、最悪の無法地帯と言われている空港で、疑うことを知らない幼児のように浮かれて、知らない人について行ってはいけません。
96時間(4日間)という題名は、データ上失踪者を奪還できる時間のこと。
それを過ぎると永遠に失踪者は戻ってこない。

この父親は、助けを求められると必ずや全力で、依頼した人間を守り抜く男だ。
近所や親戚にこのような人がいてくれると助かるとつくずく思うことがある。

今、目の前で、暴漢や変質者に暴行を受けている人間がいるとする。
「大変ですね。頑張って下さいね」と誠実な声かけをした後、笑顔を振りまき、知らん顔をして何事もなかったように立ち去って行く人がいる。
この場合、誠実な声援だけで、何の関わりも持とうとしない人に対して、殴られている方は違和感をもつ。
世間はそんな通過人を理解力のある親切でよい人と呼ぶ。
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烏賊刺し

北九州には玄海灘があって、刺身が新鮮だ。
しかも安価で食べられる。
何日か前に食べた烏賊刺しが、新鮮で旨みがあって大変おいしかった。
飲めないはずのビールも焼酎も烏賊刺しがうまかった勢いでたくさん飲んでしまった。
それにお酒の前に飲むと悪酔いをしないと強く勧められていた常備のサプリメントを飲んでみたのだった。
悪酔いもなく体のすみずみまで嬉しくなって、翌日は朝の競歩に上機嫌で出かけることができた。
半年以上前からのサプリメント使用で、肝臓腎臓の機能がよくなって負担がかからなくなったのだろう。
ふとやってきたよいと言われることには何かあるに違いないので、かなり強制的な親切だったがサプリメントを試して続けて見てよかったと思う。
以前はコップに3センチビールを飲んでも苦しく、次の日には頭痛と吐き気がしていた。
金属や皮アレルギーが無くなったので、イヤリングを付けたり、皮のサンダルが履ける。

それで今日も、仕事の帰りに烏賊刺しを食べることにした。
駅の近くの庶民的なお寿司屋さんで、フグ刺しと烏賊刺しのセットで、ビールかお銚子、又はご飯とお吸い物のいずれかを選択できるようになっていて、1680円だった。
ところが、烏賊刺しとごはんの方を下さいと頼んでみたところ、本当に烏賊刺しとごはんだけが出てきた。
あとからフグ刺しとお吸い物とお新香が来るものとばかり思っていたが、食事が終わりかけても出てこなかった。
催促してみようかとも思ったのだが、イライラ感が込み上げて来て、図太くすれた中年の雰囲気を漂わす女店員さんに訂正したり欲求したりするのがもう面倒になっていた。
お寿司つくりの板前さんも、目の前にいるお客に対して気を配る様子もなく、全体的に目配りのある店ではないのだった。
自分の店に来たお客さんが、烏賊刺しとごはんだけで食事をして、変だとは思わないのだろうか。
お客が充分に満足しているかどうかの表情やしぐさを解することなく、自分の店から不満足なお客を帰らせてしまうことに対しての自尊心もなく、もてなしの誇りも皆無であった。
やはり隠れ家的な心ある店でなくては、いきとどかないのだろう。
もう餌的な食事はしたくないと思う。
烏賊刺しとごはんとさしみ醤油の代金は1100円だった。
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萩尾望都「メッセージ」・「貴夫人メッセージⅡ」

髪と瞳と衣装に共通する凝った美。
モトちゃんの漫画で、今はこれが一番しっくりきます。
少女と異色の男性(鉤爪が生えた青い右手を持つ、人間になりたい魔物)とのふれあい
長じて小太りの貴婦人になった少女と男性(鉤爪が生えた青い右手を持つ、人間になりたい魔物)とのもつれあい。

少女はただただ信じ、貴婦人は異質のものとの禁断の恋を、信仰を持って拒絶する。
相手の動きによって、かすかなさざ波が立ち、押さえた激情に揺り動かされ、悲しみや憧れや畏れが一瞬一瞬の変化を見せる。
安っぽい恋が充満する現代において、深い霧で覆われた森の中をさ迷う心地。
ガラスの破片が突き刺さるような魔物の悲しみがある。
拒否されて佇む魔物の男の切なさに陶酔感を覚える。


メッセージ
〇魔物
あなたを心から愛しています
信じて下さいあなたを愛しています

〇少女
私これから眠れない夜は
あなたのことを思い出すわ
そしてあなたのメッセージを抱きしめる



「貴婦人メッセージⅡ」
〇魔物
お見苦しいものをお見せしてもうしわけありません
その御手にキスを


〇貴婦人
近寄らないで その手はどうなさったの?その青い手は
もしかして悪魔?あなたは。
甘い言葉を並べてわたくしを誘惑しようと?

その手は罪の証しなのではなくて?


〇魔物
蒼白になりながら(館主加付)
愛することをお許しいただきたいのです
この貧しいわたしめに


「あなたを愛せないとわたしは人間になれないのです。わたしは、人間になりたいのです。あなたには何も求めたりしません。あなたを愛しています。ただそう伝えたいのです」と少女に言っていた魔物は不安にかられていた。
貴婦人の貧しい者への施しや、センチメンタルな善行をほめたたえる魔物は、少女から貴婦人育って行く女性によって変えられ、本当に貴婦人を愛するようになっていた。


貴婦人は、欲望や恐れを感ずることにたいする罪悪感で、ひたむきで必死な魔物と2人で歩く道を自ら引き裂き踏みつけた。
星笛館主は、「貴婦人さん、あんたが不潔とみなすこの魔物よりすぐれた男が人間界にいるのですかい」とせむし男になって訊ねよう。
貴婦人に拒絶されたあとの魔物のかなしみと失望の余韻。
でもどちらかと言うと映画「愛の流刑地」の男女の方が好きだし、荒々しい態度をとる貴婦人の信仰に疑問を持つ。
夜な夜な蛇精の男が、村の女性を訪ねる話が日本にもあるが、魔物とわかればめった刺しで殺してしまうのはいかがなものか。
モトちゃん!この貴婦人と魔物の続きを必ず描いて下さいね。
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朝の散歩道

気力がわいてきて目覚めも早いので、川べりの道と団地内をまっすぐに通っている道を歩いて朝の空気を吸うことにした。
帰宅しても勢いがついて、怠っていた掃除が瞬く間にすんでしまうのが嬉しい。


ところが、同じ時刻に散歩したい人がたくさんいて、狭い散歩道で、ひっきりなしにすれ違う。
うしろから足音で追い立てられる。
「おはようございます」の連呼に加わりたくない、歩きながら考えをまとめたい日もある。
かわいいマスコット犬を連れている人への賛辞、こちらが下駄を履いていることへの御意見など朝から聞くのが、少々うるさくなって来た。
帽子を深くかぶって競歩ですりぬけることにしたが、足元しか見えなくなるのでご老人が斜めに歩いたり、足の悪い方がよろけているとぶつかりそうになってしまう。
マスコット犬が、15倍も伸びるゴムを引き伸ばして走り寄り、怒り声で噛みつこうとする。
帽子を少し上げて、どれだけの人が歩いているのかこっそり見て見た。
視野に6人~7人が入ってきた。かなり年配者で混んでいる。
若い人は全くいない。
ふわーふわ‐と浮かびながら、こっちからあっちまで、何の目的もなく、まるでゾンビのように歩いているように見えてしまった。
今度は、夜歩きに変えてみようと思う。
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ほん怖わ

3か月前に胸騒ぎがして、知人2人に電話で免疫力アップのサプリメントの知識を伝えようとした。
2人とも、糖鎖の意味も分からず、試してもないのに怖がって即座に知ることを否定する気持で膨れ上がり、今までの自分の体験から一歩も出ず、逃げ口上で断わる理由を考えているのがよくわかった。
昔のどのような体験が、彼女たちをそうさせるのか、こちらを軽視し、嗤いながら一方的にひきつらせた話がかみ合おうとしなかった。
会話後の沈黙のざらつきと、けんもほろろの不信感が不愉快だった。
予防の知識さえも得ようとしない怠惰な居直り。
もう親しい知人でも友人でもなくなっていた。
飛行機に乗る時に、落ちた時のために保険に入ることは、日本人には受け入れがたく苦痛に感じられ、目をつぶって通り過ぎることが多いと言う。
それには、都合のよい言霊信仰も影響して来ている。


3ヶ月後の今日また胸騒ぎがするので、2人に電話してみた。
1人は乳がん、もう一人は肺がんを1日~2日前に宣告されていた。
気弱に楽観的な希望を述べ、力なく笑っている。
夫君の後ろに隠れても、病ばかりは変わってやっつけてもらうことはできない。
どうして真剣に耳を傾けて予防することを考えなかったのだろう。悔やまれる。
蛇に呑まれそうになっている子ウサギ。


遅い指使いと噛み合わない息使い。滅茶苦茶のテンポ。時々痙攣する。
話しているとなんとなく寒い怒りが伝わって来て、ヒヤッとする。
即座に新しいことを拒む姿勢は、体液の流れがスムースではないからなのか。
新しい試みに対して自分を閉じる。
自分の意識でおびき寄せたものが、手の施しようもなく彼女たちを重くしている。



そんな中、思い返す映画
「ナイトミュージアム2」は、どたばたしたカーニバル
「湖のほとりで」は、事実関係の奥に人がかくしている闇。犯人探しで村人を追及する老刑事が、自身の闇を追及することとなった。
途中で何度か眠ったが、ストーリー理解には、さほど影響はなかった。
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鱈おさ(胃)料理その後

お盆がすんでからも、大分県や北部九州に伝わっている、鱈(たら)の胃(おさ)料理について、何かにつけて話題にしていた。
そんなものがあるのかと面白がって聞く人、1回食してみたいものだと言う人がほとんどであった。
中には、この世にそんなものあるはずはないと言い張り、まったく信じない人がいる。
「きっと鱈のすき身のこと言っているんでしょ」と言って、自分が見たことがないことを理由に、あの異型の鱈の胃の存在を打ち消す。
これはその人の貧弱な想像力の問題である。
自分が見たことのないものはこの世にはないと言い、あらゆる未知のものがあることを信じることを喪失してしまった現況を、人前にさらしているにすぎない。
「あんたが言うことなんてどうせ確かなもんじゃあないでしょう」と言う関係しか結べていない聞き手側と話し手側の信頼関係の問題である。
写真を見せても、鱈の胃の干物の現物を見せても、「これは名もない何かの干物だ」と言い、食しても「スルメでしょう」とかたくなに言い張るんだろうな。
自信たっぷりで生きてきた人が、鱈の胃があることを知らなかったことが悔しく、人から知らされたことにも歯がゆさが増すのであろう。
老夫人の中の扱いにくい人の典型である。
今まで憎まれ口ばかりきいてきて、誰からもほめられたことがないのであろう。
これからはうんといいとこを探し出して、本当の意味で褒めてあげなくてはならない人かもしれない。
この人、加齢でそうなってしまったのかもしれないが、通常は鱈の胃色(からす蛇いろ・茶と黒まだら)の服ばかり着ている。
お盆明けには、夜の花畑色(暗い)のブラウスを着ていたのがよかったので、そのことについて今度話してみよう。
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お盆の納骨堂

骨壷を入れる、納骨堂の小さな箱の中は、静止した川底だった。
何万年か前に山の噴火で固まった岩盤地形を、雨が侵食した。
硬い石が川底を研磨していった。
繰り返される豪雨のたびに、壺状に削られた幾つもの大石の中に入っている小石が、輪廻のように回り続けている。
水は入れ替わっていのるだが、川底の時間の容量は、無限である。
劫初から何事もなかったようなすがすがしい静けさがある。
さびしく高貴な緑青の水晶の時間が、父と兄の骨壷を包んでいた。
この時間は、骨や、骨にまつわるすべての人間関係が無くなってさえも存在する。


母との他愛もない会話で、「あんたは一美(かずみ・1歳違いの兄)ちゃんの生まれ変わりじゃ」と言われた私の、そこに勝手に釘ずけにされてしまった負担が重くのしかかった複雑な心境は、次のお盆まで1年かけるとどうやらおさまるが、お盆がめぐってくると、冷たい火傷のように再びめり込んでゆく。
私は、冷静さを取り戻すために、高貴な緑青の水晶の時間に触れたがっている。
だから納骨堂に足を運ぶ。
兄を死から取り返せない現実が身にしみる。
もうとっくに認知症でそのことを忘れてしまった母は、朗らかである。



寺を訪れた死者の家族は、亡き人への思いがつのり、はしゃいだり黙りこんだりする。
「あのような人だったけれど、今は悩みもなくなってどこまでいったかな。阿弥陀様に抱かれて、安らかに過ごしているといいな」と言う安心感を持ちたいと願う。
「魂などない、生きている人のためにお盆はあり、参列者のためにお経を読む」と言われるお坊さんがたよ。
そんなことならわざわざお寺にきたりしません。
代わりに行きたい所は山ほどありますからね。
そんなこと説明されても心底元気が出てきません。
複雑怪奇な生身の人間が、肉体を失い、肉体がないので、そこできっぱりと何もなくなるって言うことですか?
お坊さんひょっとしてほんとは、あの毅然としてどこか明るい禅宗のお坊さんでしょう?
違いましたか。すみません。分かっていましたがおたずねしてみました。
子供の時になにもなさずに亡くなった親族や、猛烈に苦しんで亡くなった家族が、骨になってそこでもうおしまいですか。アフターケアーはないのですか?
金ぴかの阿弥陀像を安置しその前に花をささげ、線香をたき、お経をあげてもらい、お盆に迎え火を焚くのは、なぜなのでしょうか?
キューリの馬に乗って早く帰宅して欲しいので4本足の割りばしをつけ、またゆっくり向こうに帰っていってほしいので茄子の牛に乗ってもらう、お盆の仏壇のお飾りは、魂を信じているからあるものなのでしょう?
そんなことは、単なる風習で、民間宗教の名残りと言いたいのですか?
仏の威光を信じられない坊さんがいるなんて。
頭剃って坊さんの恰好して、それって冒涜じゃありませんか?
五里霧中の認識の手探り状態を、こちらにぬけぬけと差し出す傲慢な坊さんたち。
揃える仏具や服装にだけやかましい坊さんの家族。
自宅に来てもらって、お経をあげてもらう時に、私たちの前でもっともらしく坊主の装束をつけ、終わったら、お布施をもらってにこやかに退散する胡散臭い表情。
白けますね。
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映画「セントアンナの軌跡」アメリカ・イタリア スパイク・リー監督2008年

1944年8月12日イタリアトスカーナのセントアンナ教会で、560人の民間人がドイツ軍によって虐殺された。
ほとんどが、老人、子供、女性、赤ちゃんだった。
ここで生き残った少年が物語の中心をなすことになるのだが、次から次に嫌と言うほどすさまじい戦闘場面が繰り広げられた。
この少年には、目に見えない友達の少年が1人いて、無線機に直れと言えば直る不思議が起こる。

1万5000人のアフリカ系のアメリカ人が、バッフアロー・ソルジャーとして従軍し、「大統領夫人の黒人兵」「靴磨きの少年」などと呼ばれ、冷遇されていた。
その中の4人の兵士が味方であるはずのアメリカからは、疎んじられ、イタリアの人々からは親切にされる。
イタリアでは差別される黒人ではなく「俺は俺で、自分でいられる」
黒人兵とイタリア女性の恋も芽生える。
ドイツ軍に橋を爆破された時に、橋のセントアンナの彫像をお守り代わりに、バッフアロー・ソルジャー兵士の1人が持ち歩く。
4人の兵士の中の1人が生き残り、アメリカに戻り郵便局の窓口で30年間働いている。
パルチザンとドイツの間をユダのように行き来してイタリアを裏切った男がそのマメリカの郵便局に現れた瞬間にバッフアロー・ソルジャーの生き残りの兵士に撃ち殺される。
この兵士は、敵のドイツ軍の将校に、少年はドイツ軍の兵士にこっそり助けられていたのだ。


元パルチザンを撃ち殺した元バッフアロー・ソルジャーのことが新聞に載った。
トスカーナのセントアンナ教会で生き残った少年は、アメリカで財を築いていた。
新聞を読んだ少年は、さっそく元バッフアロー・ソルジャーの保釈金を積んで、彼は釈放される。
2人はしみじみと再開を喜び抱き合う。
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8月6日と9日に

原爆が投下された時間を思い起こさせるために、朝と昼に鳴るサイレンの音に無関心ではいられず、いたたまれなかった。午前8時15分と11時2分。
何か述べなければならないと沈みつつ、死者たちが、数でしか分からない。

身近な教室の知人に、広島出身で広島の山地に疎開していた方がおられ、原子爆弾投下以後に、市内に移住した方がおられる。
8月になると、顔を出す場所々で必ず「原爆ゆるすまじ」の曲を演奏なさる。
一緒に食事をしつつ、演奏後にお話をお聞きしつつ、誰も何も言えなくなってしまう。
耳を傾けること、察することしかできない。

沖縄戦で、糸満市の真壁出身の祖父が遊んだ場所は、破壊された。
摩文仁の丘、ひめゆりの塔が建っているあたりでもよく遊んだそうだ。
恩納村の祖母からもいろいろと聞いている。
爆撃で先祖の墓は壊滅、今は母方の叔父夫婦が新しく建てた墓を守っている。
叔父と2人で真壁の元住居跡を訪ね、祖父の知り合いに偶然会い、北海道で亡くなった祖父の分骨など考えたこともあった。

広島市や長崎市の原爆資料館には、何回か訪れたことがある。
個人的には、今年秋から長崎市に教室を持つことになった。
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夏の大笑い・竹中直人のゾンビ映画

監督をはじめ、制作している人たちが一番楽しんでいるような娯楽映画である。
映画名は「山形スクリーム」。ばかばかしくて気持ち悪くて面白い。
映画「築城せよ」も今回の「山形スクリーム」も戦国の武将たちが現代に蘇ってきたのは、現代人が城跡や塚を暴き、封印を解いたからだった。
ゾンビたちは、ぎょい、ぎょい、ぎょい(御意のこと)と言いながら独特の歩行で、ぬるぬるした液体を吐き出しながら、村中を歩いて村人たちをゾンビにして回る。

800年前に、平家の落人狩りが、御釈ヶ部村で行われ、侍頭の葛貫(かつらぬき)は穴に埋められて殺され、恋人だった官女の光笛(みつぶえ)は、従者に裏切られ辱めを受ける。
侍頭の葛貫(かつらぬき)は祠に鎮められ、光笛(みつぶえ)は出家して菩提を弔い、彼女が亡くなった後はそのミイラが、仏像の中におさめられる。




歴史研究会の女教師(マイコ)と女学生4人が、落ち武者の村の祠倒しのイベントに参加するために、村を訪れ、よみがえった落武者たちに襲われる。
床屋の認知症の祖母(歌手・由紀さおり)が歌う歌(左卜全の老人と子供のポルカ)が、ゾンビ撃退の唯一の武器である。
理髪師の孫が、祖母に甘えて頭をなでてもらわないと、なかなかその気になって歌ってくれない。
海藻や貝殻をつけて海から上がってくる平家の落武者のゾンビと、チエーンソーを持った女学生の戦いは、他のホラー映画を彷彿とさせる。
小屋や旅館に立てこもった所に押し寄せてくる、ゾンビに変えられた村人たち。
村にやってきて校舎に住んでいる4人のベジタリアンたちの中に監督の竹中直人がいて、何に対しても過剰に大騒ぎをする。
度が過ぎていてとっても面白い。
映画が始まる前に、ヒッチコックのまねをして登場して、ふざけが過ぎる前口上を述べたりもし、数々のホラー映画とそっくりな場面もあったりして、おやおやと思ったりする。


光笛(みつぶえ)にそっくりな女学生に、光笛(みつぶえ)の魂が乗り移る。
侍頭の葛貫(かつらぬき)は女学生の光笛(みつぶえ)を連れて、あの世に戻ろうとする。
床屋のおばあちゃんの歌で、光笛(みつぶえ)が、我に返り現代人の女学生に戻り、侍頭の葛貫(かつらぬき)に「あなたは勝手です、一緒に行きたくない」と抗議する。
侍頭の葛貫(かつらぬき)が、すんなりと反省するところが現代人みたいに複雑に凶悪でなく、とても素直で意外だった。
その切れにくい体質は、ミネラルの多い食物のせいか、はたまた他人の言動を畏敬の気持ちを持って聞くと言う儀礼を重んじる気骨が存在した時代に生きていたためなのか。
それでいて、家臣に裏切られたことや村人の狼藉に対する正当な怒りは、地響きを立てて猛烈に燃え上がる。熱い心根を失ってはいない。
仏像の中のミイラ化した光笛(みつぶえ)を抱いて、侍頭の葛貫(かつらぬき)は昇天してゆく。

侍頭と官女の2人が若いころ、のどかな春の日、お互いの勤めを果たすために丘の上にいた時に、言葉を交わさずとも、胸の内が伝わり、微笑みを交わしていた。
すれ違い名前を聞いて答えたただけでも昔の恋愛は成立していたのだ。
誰も他の人間がその丘にいなくなった時があって、光笛(みつぶえ)が侍頭の葛貫(かつらぬき)のためだけに舞を舞う場面があった。
このような麗しい場面に出会うことができるととても嬉しくなる。
800年の間、憧れを持ち続け、恋人を迎えに来た葛貫(かつらぬき)の心情はひたむきで忘れがたい。
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