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徒歩の散歩は多面体

厚い雲が垂れこめた暗い朝、山の峰の中腹には、ドラキュラ城に似た鋭い牙のような城の影がうかがい知れる。
城を住み処とする者は命を長らえるために吸血をなす。
松葉ぼうきを持ってうつむきながら林の中の落ち葉を掃いているおばあさんは、不穏な城からやってきた見張りである。
「今日は犬が来ないね~ほほほほ」と言って半分透けた体を元に戻そうとしている。
空を蔽い尽くしながら、風に乗って浮遊している蜘蛛の糸が腕や顔にまとわりつく。
カリカリと言う音は、ショッキングピンクと紫と黄色を連想させるが、蜘蛛の姿がない。
こんな時には通り過ぎて行った変質者のおじさんさえ、人間側にいるただの変なおじさんにしか見えない。
確かにいつもと同じ散歩道を通っているのだが。
偽の鶏の声を聞いて朝が来たのだと勘違いし、扉を開けてしまい、幽霊に連れて行かれた男のような気分だ。
陽の光で浄化された朝のはずなのに。
川の中の三角州に生えた恐竜の形の草の茂みは、濃さを増しながら暗黒の卵を生み出している。
ヘモグロビンを呼び寄せる磁石は、卵の中で成長している。

「短歌と言う爆弾」穂村弘著の中にあった初心者のためのレッスンのことが思い浮かぶ。
「善意や好意や明るさの領域だけで書かれた歌には本当の力は宿らない」(著者)とか「小さな器に凝縮させたら一滴で何かに効くような貴重な液体になった」(初心者)とか。
本当の力とは? 心に響いても響くだけでは1秒後には忘れ去られる。
人を揺り動かし、行動を促すことはできない。
力にも段階があるし。
分からないからと言ってその無力感に浸り込むわけにはゆかない。
とは言えただの普通の善意の微笑には、ふるさと効果があるのではないか。
それさえ一時の飲み物として欲しい時代だ。
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おぼろげな喪失感

遠縁の3人の子持ちの男性Qが、一昨日首つり自殺した。
そのことを昨日知った。
不意に鋭く冷たい刀で切りつけられたような気がしたが、それは一瞬だけで、その衝撃はなまくらな木刀がめり込んでゆく重さに変わり、人型の木刀のカビが私の中で増殖している。
このまま、まともな衝撃を受け続ければ大変なことになるので、自己保存のために、感じる力をストップさせたと思う。
おぼろげな不確かな喪失感しか湧いて来ないことが、私が一人前の人間ではないことの証拠のように感じられる。
「生きて行く仲間を取り去られたことが無念で残念で悔しくてたまらない」と言えるぐらいの水準にまで持ちあげて来ないと生きている方が沈み込んで耐えられなくなってしまう重圧感に襲われる。

3年前に義弟が、自己破産した。
自殺したQは義弟の妻の弟である。
Qが両親と一緒に住んでいた家と土地も、義弟の抵当に入っていた。
Qの妻が工面して住んでいた家を買い戻した。
義弟はQの妻から憎まれている。
義弟は癌になったが、退院して仕事に戻っている。
義弟もその妻(Qは実弟)も通夜の席にも家に上げてもらえず、関係のない一般人として取り扱われている。

私もすぐもどすからと義弟に嘘をつかれてお金を貸してしまったので義弟を憐れみながらも軽蔑している。
嘘をつかれると言うことは、突き落されて殺そうとされたり、殴られたりするのといっしょだ。

なんとなく美しく生命を尊重し合うだけではどうにもならない現実がある。
お金や、その他の貸し借りを除いた上で結べる交流の方がいいに決まっているが、そうなるとそっけなく感じることの方が多い。
皆同じ程度の生活水準でなければ、そんな交流は無理であろう。
お金や地位や名誉を持っている人が、お金や地位や名誉を手放さずに、世の中お金や地位や名誉じゃないよときれいごと言っても説得力がない。
世の中をあきらめた人にしかそれは通じない。
お金は命の重みと同じである。
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おじさんランナー再び出現

口からありがたい念仏の教えが物体化して飛びだしている空也とは、根本的には違うのだが、口からエロいアヒルや毛むくじゃらな体器を吐き出して走っているおじさんが再度出現した。
下品極まりないメタボ、40代だろうか、手足が太く、狂った雰囲気を持ち、体を左右に揺さぶりながら厭らしいことを叫んでいた。
奇異な感じがして気持ち悪く、可愛く面白ければ許すのだが、面白くもなんともない。
顔も体も警察に届けられる程度にはっきりと記憶した。
写真や録音を証拠として、現場を押さえなければならないのかもしれない。
向かい側から歩いてきた別のおじさんにわけを話すと「その男は、おはようって言ったんじゃないの~?」と信じてもらえない。
想像力が枯渇し、本当にあった出来事を話す相手から、緊迫感を感じとることができない人は、いつもこの調子だ。
席を立ちたい映画の残念な気分とそっくりだ。
まっさらな時間を返してくれと言いたい。


一生懸命作った映画なのだから付き合いたいのは山々だが、あまりにも退屈で苦しくなったので劇場を後にした映画が思い出された。
好きなガルシア(男優)の主演で題名にも魅かれたのだが、「恋愛睡眠のすすめ」は、塩と砂糖を入れ間違えた冷えたお子様ランチだった。
もう一つは「リミッツ・オブ・コントロール」。
マッチ箱に入ったメモを色んな人から受け取りながら行動する男性がいて、必ず「スペイン語はできますか?」と聞かれる。
意外性を突きたかったのかもしれないが、つまらない夢の羅列で、こちらが眠り呆けて涎までたらしそうな映画だった。
「人生は無意味だ何の価値もない」と言うせりふがいたるところでばらまかれ、人を信じることもない緩慢な行動があり、最後にはなりゆきで殺人を犯すところまで行く空虚感が全体を覆っていた。
引き続いて、素人さんのテンポのよくない腹立たしくなるほど長いパントマイムを見て、腐ったことも思い出した。

良かったことは、今更ながら自分の好みがはっきりとわかったことだ。
そしてそれは、大部分の人とも共感できるに違いなかった。
エロいおじさんランナーを好きな人は変質者を除いて皆無であろう。
私だけでなく何人かが居眠りをし、退屈でため息をつきながら首や腕を回し、トイレのためや携帯をかけるために席を立ちはじめ、途中から抜けて2度と帰ってこない人もいた映画もあるのだ。
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東京から帰還

なり行き上20歳も30歳も年下の人たちと、自由が丘で酒宴を囲んだ。
お肌つるつる、髪の毛しっとりふさふさの若いサプリ仲間たちは、こう言う添加物食品しかない世の中だからこそ、20歳代から毒消しにもなるサプリが必要だったのだそうだ。
味噌や納豆や韓国のキムチなどの発酵食品ぐらいしかまともな食べ物はないし、マー〇リ〇が食べるプラスチック、それを吸収しようとする腸が宿便まみれだとしたら、もう限りなくぞっとして嫌悪感が走るばかりだ。
どのようなことでもすべてそうだが、サプリを飲むか飲まないかは自分で、ある程度強制的に選択しなければならない。
自分の命がいとおしいと感じられるためには、それなりの身にしみる体験が必要で、他の人の命を顧みることができるようになるためには、まず自分の命を抱きしめるような体験が必要だ。
体感がない人には、信じることができないのは当然だ。
インシュリンが出始めたとか、ヒアルロンサンで膝によい体感が出たと言っても、自分で具体的に体験しないと、他人の情報を信じて聞くようになる耳は生えてこない。
それはさておき手拍子、握手、指笛、話声の轟音の熱風の中で心地よく充電できた。
愛宕山では、神社の祭りばやしを聞き、銀座では福岡と同じくらい新鮮な寿司を大衆価格で食べられた。
埼玉では人参畑を、日比谷では見事な大木を何本も見ることができた。
他人に無関心な人ばかりだと思っていたがそうでもなく、やたら狂気じみた関わり方をしてくる人にも出くわした。
浅草やお台場、六本木なとも歩いて見た。
風景はどの街も似ているが、東京の方が人間密度が高い。
20歳代のテンポに歩調を合わせた私はそれなりにくたびれ、宿泊場所に設置されていたマッサージ機には重宝した。この頃のマッサージ機は性能が高い。


帰途、羽田に向かう途中、山手線の人身事故で電車がストップした。
電車内で羽田行きの人たちを何人も見かけたが、タクシーに相乗りしませんかと声をかける余裕がなかった。
停車したのがどこの駅かもわからず、とにかくあわてて走りながら地上に出て、タクシーを拾い羽田まで向かった。
咄嗟に地上に飛び出したので、まだ空港に向かうタクシーもほとんどなく、普段は渋滞するトンネルあたりもスムースに行けた。
無残な人身事故は辛く影を曳く。


歌人の穂村弘さんの歌が脳裏をよぎった。
●サバンナの象のうんこよ聞いてくれ だるい切ないこわいさびしい


歌人の笹井宏之さんの歌もやってきた。
●上空のコンビニエンスストアから 木の葉のように降ってくる遺書
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若き歌人・笹井宏之(2)

歌人の笹井宏之さんは、今年の1月24日に亡くなられた。
あとで知ったことだが、笹井さんはフルートも吹く人だった。
身体表現性障害を抱え、短歌を佐賀新聞に投稿はされていたようだが、亡くなる前の5年間は、ネット短歌界にも投稿して類いまれな透明度のある短歌を生み出していた。
笹井さんの歌を読んでいると、しらずしらずのうちに彼の無垢に触れて、さみしくて温かいエキスがにじんだ涙に浸される。
亡くなられた今、笹井さんそちらはどうですかと気さくに聞けそうだ。

1975年生まれの若き歌人の笹公人さんの第1歌集「念力家族」を読んでから、彼の面白さに注目していたが、次々に出版された本の中の「念力短歌トレーニング」に掲載された笹井宏之さんの短歌を読むことができた。


●葉桜を愛でゆく母がほんのりと少女を生きるひとときがある(佐賀新聞・平成20年最優秀賞)
  
●いのちあるものに等しくおとずれる白い砂嵐の時間帯

●廃品になってはじめて本当の空を映せるのだねテレビは

●鰯雲のうろこのなかへ釣り針のように突っ込んでゆく旅客機

●やどかりは潮騒を聴くためにだけに貝殻を背負っているらしい

「妖怪人間ベム」
●人間になれますように 廃駅のいたるところで雨、ひかりだす

●道場にあやめのような人がきてしばし花瓶となる師範代

「90年代北朝鮮大飢饉」
●かろうじてその生きものはひとでした 火にも水にもなれないままの

「平原綾香・ジュピター」
●歌声のひらはらとふる冬の世に私は少し木星でした

「中島美嘉・雪の華」
●簡潔な情事ののちをうっすらとカーテン越しにふる雪の華

「Sarah Brightman」
●そしてサラ・ブライトマンの声帯をふるわせている黄昏の風

~つづく~
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若き天才歌人・笹井宏之(1)

今年の1月に心臓麻痺で26歳の若さで亡くなった歌人・笹井宏之さんの歌に出会ったのは、昨年出版された歌人・笹公人の「念力短歌トレーニング」の中の投稿短歌だった。
ハッとする無垢のさみしさと明るさがあった。

  
● ひとしれず海の底へとおとされた大王烏賊のなみだを思う

● マンボウのようにヨーロッパの人が長椅子を立ちあがって消えた

● グリズリーに跳ね上げられた紅鮭の片方の眼に映る夕虹 


笹井宏之さんは、2004年から作歌をインターネットの短歌サイトで始めていた。
重い自立神経の失調で高校を中退、佐賀県有田の自宅で闘病生活をしていた。
歌集「ひとさらい」が歌壇でも注目された。 その中から抜粋、好きな歌だけに割愛させてもらった。

 
● えーえんとくちからえーえんとくちから永遠解く力を下さい

● ねむらないただ一本の樹となってあなたのワンピースに実を落とす

● 天井と私のあいだを一本の各駅停車が往復する夜

● スライスチーズスライスチーズになる前の話をぼくにきかせておくれ

● 内臓のひとつが桃であることのかなしみを抱いて一夜をあかす

● 愛します 眼鏡 くつひも ネクターの桃味 死んだあとのくるぶし

● 拾ったら手紙のようで開いたらあなたのようでもう見れません

● 滝までの獣の道を走りぬけあの子は歌手になるのでしょうね

● この森で軍手を売って暮らしたいまちがえて図書館を建てたい

● それは世界中のデッキチェアがたたまれてしまうほどのあかるさでした

● わたがしであったことなど知る由もなく海岸に流れつく棒

● からっぽのうつわみちているうつわそれから、その途中のうつわ

● 二十日まえ茜野原を吹いていた風の兄さん風の母さん

● 何もない机で老いてもち米を丸める人になっていた夢

  
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ああ コスモス なのか

森の中で植物の二人静に出会った時も、別名ユウレイタケと言われている銀竜草が栄養をもらっているキノコ類(菌根菌)が栄養にしている土中に埋まった生物の死体を探した時も、南蛮ぎせるを踏みそうになった時も、こんな風ではなかった。
同じような興味深いものに出会えてわくわくしていたのに、いったいどうしてなのか?
以前と今回はどこがどう違っているのか。
朝歩きの時に、見たこともないオレンジ色の一重の花が、空中を際立たせて咲いていた。


二人静、銀竜草、南蛮ぎせるの時は、見つけた時に大声で感想をしゃべって、どたついていた。
自分の声を聞きながら、雑に盛り上がって、感覚がばらついていた。
かすかで繊細なものがかき消されてしまって、何も見えていない状態だった。
自分の声に振り回されることなく、自分を鎮めなくてはならない。

オレンジのコスモスを見つめる時は、じーっと黙って、花が生息している圏内に入って呼吸していられた。
ひとりでにほほえんでいるなんて、帯どめの写真集に出会って笑った時よりも、まだ密かであり、これは新しい体験だ。
まさに呼びかける花。
花に呼び寄せられるのは、花が散らす匂いのリズムと共鳴しあうことができたからなのか。
この世の花に初めて出会った時のような、何十年振りかの、そよそよとした幸福感が再び味わえるなんて。どうしたことだろう。
薔薇の花びらやマリーゴールド、松樹皮の抽出物、すいかずらや熊笹の入ったサプリを飲んでいるからなのか。
神秘的で本質的な花体験は、子供のころの、泰山木の白い花、れんぎょう、お茶の花しかない。

植物図鑑の説明を横滑りさせるだけのようで、つまらないが一応オレンジ色の花の名前を調べて見た。
メキシコのオレンジフレア(コスモスの仲間)だった。
南蛮ぎせるはススキやさとうきびなどのイネ科やみょうが、スゲなどに寄生する。
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「交渉人」 ウサギ・レイコ 連続ドラマ(09再)

特殊犯捜査係(通称SIT)の5係(交渉斑)に所属している宇佐木玲子は、ウサギと呼ばれている。
トレーニングで筋肉質な体格を維持させ、短いストレートヘアー、シャープな顔立ちをしている。
役職は主任、階級は警部補。31歳。
犯人と交渉するために現場に乗り込み、犯人との会話のやり取りで犯人の自暴自棄や暴走を治め、犯人の命と人質の命を守ることが任務だ。
人質も犯人も死なせず事件を解決させることが与えられた使命。

父を殺した宿敵の真里谷恭介からも、たった一人の理解者として受け入れられている。
真里谷から、「君は死にたがる人間を、理解できている」とまで言われる。

1対1で犯人と対峙するときは、相手の機嫌を損ねないように、慎重に言葉を選んで呼びかける。
なおかつ、自分に装着した無線マイクを通して、作戦指揮本部に、現場の状況が解かるように、犯人に悟られずに、しやべらなくてはならない。
今回は工場の事務所内で犯人と対峙している。

★はウサギが犯人と会話しながら、指揮本部に伝えたいメッセージ。
♡ウサギ「怪我人はいないようね」 ★全員無事
♡ウサギ「その銃、弾は何発入っている? 7発?」 ★人質は7人
♡ウサギ「5発かな?」 ★内男5人、女2人
♡ウサギ「その拳銃、トカレフよね。歌舞伎町あたりで5万から6万てとこかな。トカレフには気をつけて安全装置がないから」 ★拳銃の入手ルートから犯人を割り出し、暴力団担当刑事に応援要請をたのんで欲しい。

〇2人のやり取りは、随時録音され、声紋照合にかけるために、対策本部へと送信されている。
〇マイクが拾う声の大きさや反響で両者の距離がおおよそ推察できる。

♡ウサギ「さっき2発撃ったんだっけ、ジャムらなかった?(からの薬きょうが飛びださず、次の弾が打てなくなること)」 ★会話が通じていると言うことは、犯人がガンマニアの可能性がある。銃器マニアの前歴者リストを調べてください。


ウサギは犯人と会話しながらも、窓際に寄って指先でブラインドの隙間を開ける。
窓の外のハイバースコープが、室内の映像を捉え、モニターが犯人の姿を映し出す。
犯人の顔がファイル保存され、データは本庁に転送され身元照会にかけられ、犯歴を調べられる。
報告によって、刻々と状況が把握される。
立てこもり犯人に自殺願望があるのかないのかがわかってくる。
目的も、犯歴を調べるとわかる場合がある。
今回の犯人は、陸上自衛隊を懲戒免職させられている。
そのためか銃の扱いに慣れており、専門用語も理解できていた。
郵便局現金強奪事件で1億2千万円を奪っている疑いがあり、重要参考人として任意同行されている。
案の定、立てこもった工場内に現金入りのケースを隠していた。
仲間がいないとこのような行動は難しいとされ、ウサギの勘が当たって、人質の中に共犯者の女がいた。
ウサギの現場での鋭い体感や、学んだ知識や経験からくる、言動や勘が素晴らしい。


08年テレビ朝日連続ドラマ8回
09年再放送
脚本 寺田敏雄
ノベライズ  稲元おさむ
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若い女性あれこれ

20代の女性たち3人とサプリともだちになることができた。
電話やメールで情報交換していると、言葉の合間から新風が吹きこんできて楽しい。
窓際に置いていた水晶がプリズムになって、部屋中に小さな虹がいくつもできた時のようだ。
未だに化粧の仕方を知らなかったので、ほんとに女ですかあ~と言われてしまったがうれしい。
生き生きとした夢があって、その水準の言葉で若返らせてくれる。
この人たちは、こんな風に感じているのだと言うこともわかって、お化粧の仕方も習うことになった。
シミも取りたい、ブライトアップもしたい意欲がわいてきた。
フランスでワインを、シシリー島で魚介類を食べる旅、いずれご一緒したい。

最近、かっこいいと思っている女性は、米倉涼子がテレビ番組「交渉人」で演じている女性初の交渉人宇佐木玲子である。
父が殉職してから、母方の苗字ウサギを名乗っている。
父を入れて3人の命を奪った愉快犯の真里谷恭介(マリヤ)に週1回面会に行っている。
何の反省もなく、終身刑や死刑になってもらうのは困るのだ。
ウサギはマリヤに「あなたが犯した罪を悔いて、泣きながら命乞いをして、跪いた時、初めて死なせてやる」と言う激しい言葉を、首だけ振り返って冷静に告げる。

ウサギは、警視庁・刑事部・捜査一課・特殊犯捜査係(SIT)・5係交渉斑という肩書。
週1回の番組が1度終了したので、DVDを借りて来て最初からじっくり見ていた矢先に、また番組が開始された。
交渉人と犯人とのやり取り、仲間の警部や警部補、警視や警視正とののっぴきならない、息づまる会話に興味がある。
上司の警視にウサギが言われる「どう言う正義感をお持ちか存じませんが、人質も犯人も死なせず、怪我もさせず、事件を解決させる―  そんなものは、理想論だ」
ウサギが答える「人質も犯人も死なせず、事件を解決させる。それが任務ですから」
それをほんとうにじわじわと実感させてくれる。
人質の命が、ウサギの交渉(言葉のやり取りで)左右されるすごさがある。
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故郷の声

父の3回忌の法事の後のおとぎ(食事会)のために、田舎町の旅館に電話予約を入れた。
昭和初期の旅館で、10年ほど前に同級会があったノスタルジックな宿である。
真ん中にある庭を中心に周りを廊下が囲んでいて、階段がいくつもあり、暗がりも多い。
亡くなったはずの友人たちの横顔や後ろ姿が闇に浮かぶので、1人では泊まれない。
亡くなって間もない人に対しては、まだ心の準備ができていないので、変容した姿を現わして、ゾッとさせないで欲しい。
突然出くわしたヤモリのように言ってごめん。そのうちに慣れますから。

電話に出たおかみさんは75歳くらいだろうか、万人にすみずみにまで親切が行き届くような対応をなさる。
父の死を知らなかったことをまず詫びられ、自然に世間話の花を咲かせ、汲むめども尽きぬ温泉のごとき豊かな話題の中に、ふるさとの大地をしっかり踏みしめる気丈さがあって気持ちいい。
旅館の女将さんは、世間のお母さん的な存在である。
この人の前ではゆっくりと手足が伸ばせると感じさせる。
成長したプロは素晴らしい。
知人の紹介だと言うこともあってか、久しぶりに前むきな女性の心地よさを味わうことができた。
旅館ではどのような人が宿泊しても、どんなことがあっても、まずはその人に敬意を払う。
着る物や、履くもの、背中に背負った社会的な後ろ盾を見て、あからさまに態度を変えるのは素人のおかみさんである。
「高野聖」の、言葉つきがしっかりし、身のこなしのしなやかな女人の血は、ここら辺でも受け継がれている。と言うより昔の働く女性はこのようなものであったのだ。
旅館の岩風呂に入り、1週間ばかり山間の霊気にあたってゆっくりしたい。
同年代の気の置けない連れが欲しい。暗闇やそれらしい言葉から湧いてくる今は亡き人や地霊たちの姿や心情など、何も見えない友人がいると助かる。
もう少し山奥に池の美しい、土壁に丸い飾り窓のある小さな旅館があったが、今はやっていないと言う。

昔の庄屋の家柄や神社仏閣に所属する者たちで、自分たちは格が高いと言って己を誇る者たちが宗教行事に携わると、ろくなことはない。
俗情の上に俗事の柱を建てて威嚇しているようで居心地がよくない。
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