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カイジ・人生逆転ゲーム 日本映画(3)

映画の原作になった漫画には、「ざわざわ」と言う言葉が、余白の空間に所狭しと書かれている。
「ざわざわ」は、緊迫感や焦燥感で心がざわついた時、何かの衝撃で動悸がする時などの漫画の空間描写に使われている。
ゲームの勝ち負けが決まる時はもちろんのこと、地上250メートルの鉄骨渡りにざわざわした人は多いだろう。
友人の保証人の30万の借金が、349万になっていた時のカイジの驚きもそうだろう。
ざわざわとは虫がうごめいているようにも聞こえる。



若いころ考えていたのだけれども、いつしか忘れてしまっていた人生の10年先20年先の予測が漫画の名言集にあった。
結婚して家にいる女性よりも、特にサラリーマンになった男性に当てはまるだろう。

「何も築いて来なかったお前らに、どこまで想像が届くか分からないが、想像してみろ・・・お前らのようにボーっとしちゃいないぞ・・・小学中学と塾通いをし、常に成績はトップクラス、有名中学有名進学校と受験戦争のコマを進め、一流大学にはいる・・・入って3年もすれば今度は、就職戦争、頭を下げ会社から会社を歩き回り、足を棒にしてやっと取る内定、やっと入る一流企業・・・これが一つのゴールだが、ほっとするのもつかの間、すぐ気がつく・・・レースがまだ終わってないことを・・・・・
今度は出世競争、まだまだ自制していかねばならぬ・・・!ギャンブルにも酒にも女にも溺れず、仕事を第一に考え、げすな上司にへつらい、取引先にはおべっか・・・遅れずさぼらず、ミスをせず、毎日律儀に定時に会社へ通い、残業をし、ひどいスケジュールの出張もこなし、時期が来れば単身赴任、夏休みは数日・・・そんな生活を10年余り続けて、気がつけばもう若くない、30代半ば、40、そう言う年になってやっと蓄えられる預貯金が1千万、2千万と言う金なんだ・・!」
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カイジ・人生逆転ゲーム 日本映画(2)

私の周りの、親から自立した20代の若い人たちには、お金が自由に使える人はほとんどいない。
交通費をためて行きたいところに行こうとするが、何事も夢でストップしている。
従業員として働き、時間と労働力を安い金で搾り取られている。

カイジ・人生逆転ゲームの黒幕は、大金持ちの醜い老人である。
この老人が頭の中でイメージしたゲームに皆が踊らされているのである。
彼は、追いつめられた人間の喜怒哀楽が見せてくれる惨劇を、暇つぶしとして情け容赦なく面白がって味わっている。
なぜこのような老人が出来上がったのか、きっと原因があるに違いないが。
エスポワール(希望)と言う豪華客船の中で行われている、単純な限定ジャンケンゲーム、高層ビル間の電流鉄骨ゲーム、カードを使ったEゲーム(王様・奴隷・市民などの階級カードで競われる)は、老人がやらせている。


カイジ・人生逆転ゲームの名言集から

人は生まれながら心中に怪物を飼っている。普段は心の深部、奥の奥の最奥の部屋に鍵をかけて閉じ込め、閉じ込めることによって忘れようとしている。しかし、それは確かにいるのだ・・・・!人の夢や希望、目標や計画、協力や親切、愛情…そんな真っ当な精神を食いつくす醜鬼・・すべてを握りつぶす鬼の中の鬼・・・死、「死ぬ」ということ・・・・!



友情や口約束でもらえるものは、旅先からの絵葉書やお土産…あるいは思い出の品というガラクタ・・・この世で本当に欲しい物や席を手に入れようとしたら、結局金しかない。


これに勇気を持って答えられ、自分自身をも納得させることができる人がいるだろうか。
自分だけ安全な場所に居て、遠くからごもっともなご意見を述べ立てるのではなくて。
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カイジ・人生逆転ゲーム・日本映画(1)

どこが人生逆転なのか、脂汗がにじみ出るような苦戦はあるものの、負け組のカイジ(27歳)が、ゲームに勝って大金持ちになる期待をしていただけに、ポケットマネーが残っただけの終盤を迎えた結末に落胆した。
原作は福本伸行の漫画で、映画監督は、佐藤東弥。
このような漫画があるとは知らなかったが、若者たちの間では大人気だそうだ。
漫画のカイジ・人生逆転ゲームの中の名言集を読むと、神をも脅迫してしまう、大胆で奇抜なせりふがあってすごい。
今それを読んで、自分に落とし込んで、理解しようとしているが、時間がかかる。
ぶっ飛んだせりふに「神よ オレを祝福しろ」がある。
神を信じているのだ。すごい。
話は変わるが、神を信じているから、自分たちに災難を与えるはずがないと信じ込んでいる人たちが、自分の思惑から裏切られた時には、胸のすくものがあった。
また「希望は、夢は、人間とは別な何か・・・他の所にあるような気がしていたけど…そうじゃない・・・
人間が希望そのものだったのだ」がある。
「いったい何をいつまで待つつもりだ・・・?こんな薄暗いアパートで・・貧しいバイトをして・・半ば眠った意識で鬱々と待つ?そういうのを無為っていうんだ」
ギリギリの叫びが聞こえてくる。
重労働の後のカイジが、地下の商人をしている労働者の監督から缶ビールを買って「うっめー キンキンに冷えてやがる」とうめくところ、「悪魔的にうっめー」のせりふには泣かされる。

この漫画と映画については、誰かがもっと面白く、切実な体感を述べているに違いない。
2番煎じ3番煎じは、自分でも書いていてあきてくる。
そう言うことが、平たんな感想文に現れるのはつまらないことなので、よくよく気をつけようと思う。

カイジは、一律な学校教育の競争や選別にふるい落され、フリーターを余儀なくされている自分の境遇に、だんだん無気力になり、自堕落な生活を送っている。
人間平等だし、どんな仕事も尊いとか言われてもそうじゃないものね。
カイジは、悪徳金融会社から金を借りた友人の保証人になってハンを押したばっかりに、取り立て屋から追われるはめになる。
そう言う借金苦の落ちこぼれと言われているカイジと同類の連中が豪華船に集められ、借金棒引きゲームが行われる。
それに負けた者は、地下の強制労働施設で、一生働かされる。
重労働から這い上がろうとする連中には、高層ビルから高層ビル間に渡された、電流が流れている鉄骨渡りゲームが残されている。
金持ちたちが酒を飲みながら、風雨の中で鉄骨渡りに失敗して落ちてゆく10人あまりの地下労働者たちを眺めて、大笑いしている。
女性悪徳金融業者の天海祐希がつぶやいたせりふ「悪趣味」の一言に尽きる。
空中を落ちていく者たちは、冗談抜きで、文字どうり落伍者だ。
カイジだけが助かる。

~続く~
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2時間の異空間 娯楽映画「空気人形」(1)

「空気人形」・日本映画  原作/業田良家(漫画家)  監督/是枝裕和 

韓国女優(ぺ・ドウナ)が、ある日突然心を持ってしまった空気人形を演じる日本映画。
原作は漫画家の業田良家。一応フアンである。
空気人形とはビニール製のダッチワイフのこと。
値段は、手に入りやすく確か¥5000だった。¥50000だったかもしれない。
ダッチワイフフェチのマニア的な映画なのだろうか、意図がよく分からなかった。
空気人形は、所有者の男が仕事で家を留守にした時に家を抜けだし、レンタルビデオ屋でバイトをし始める。
店長などが、ちょこちょこ歩きをするメイド服を着た空気人形を、疑わないのがやはり漫画めいている。
それを承知で映画を見ているので仕方がない。
空気人形は、男性店員に恋をして両想いになるが、身持ちはよくなくビデオ屋のおじさんとも付き合ったリもして、やることなすこと風情は、ロマンポルノである。
持ち主の男性が空気人形の中にはめ込まれた女性の膣を取り出して、毎回石鹸で洗うところが生々しくて、見ている方はげんなりする。
空気人形本人も、意識を得てから、自分の膣を取り出して石鹸洗いをする。
湿度を帯びた日本映画だからだろうか、割り切り方がさっぱりしていなくて、隠れてやっていることをこっそり洗い流す現場を見るのは居心地が悪い。
生活とはこう言うことの連続であろう。
現実の具体的なことの一部としてそう言うことがあると言うことに目が覚めたと言うべきか。
そう言う体験が理解できると言うことは、あまりうれしいことではない。
感覚体験が溜まってゆくことに対して、ガス抜きが見つけだせず、我慢していると、季節の変わり目に鬱になる人も多いだろう。
空気人形の持主は、心変わりして新しい人形を手に入れる。
見方や人によっては空気人形がかわいく見えるらしいが理解できない。
監督の嗜好であろうか。
最後はやはり恋人の男性を、空気人形があやめてしまう。
物語の終盤で空気人形がやりそうなことで、ありがちな結末である。
心を持った空気人形が都市の中を歩きまわり、それを誰も不思議がらないところが映画で、歩きまわるだけの社会見学では話が面白くない。
空気人形と触れあった人たちの中味も、持ち主から体に空気を吹きこまれて初めて人形として存在できる空気人形のように空虚で、寂しい存在であることが伏線としてある。
女房に逃げられた子持ちの男、毎日ベンチに座っている老人、ビデオ屋のおやじ、事件はすべて自分が犯していると信じ込み警察に自首する老婆、浪人生、過食症のOLなどなど。
空気人形とその周りの人間たちのみじめさを感じた。
映画の終盤で、空気人形が目をつぶってゴミ置き場に横たわっているのを見て、美しいと呟く女性がいる。
理解できなかった。
オダギリジョーが人形制作者になって出演するが、何の慰めにもならなくて、やっぱり切れが悪く物腰も頼りない。
心を持った人形は人間と同じように愛憎も美醜もわかるようになり、セックスだけのお相手をすることに傷つくことが分かったが、恋人を殺すのはどのような嗜好からだろうか。
添い遂げて見たらどうだろうか?空気人形は年をとるのだろうか?
人間の女性は、子供を産むだけの道具にされたら傷つくが、空気人形は膣があるだけで、子宮はない。
かなり中途半端な設定である。





1回目の投稿を何日か経って読んでみると、誤字や脱字がかなり目立つ。
勿論、書き直している。
書き足りないところや書き足したいところは、2日~1週間以内に文章操作をしている。
「空気人形」も好きな漫画家の業田良家原作なら、何とか良いところを見つけたい。
訂正しながら、何とうりにも変わってゆける脈絡を体験できるので、本人にはよいことだ。
それより何よりも、言葉にならないので姿を現さず、根深いところで本人を動かしている本質的なものがあることの手ごたえを、おぼろげながら探ることができる。
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コラボ キルトと土笛の縁

「キルト展&オカリナと弥生土笛のコンサート
11月1日(日)14:00~
キルター 川口美千子  キルト展(開催期間10月31~11月15日)
奏者 日嘉まり子 オカリナ(大・中・小使用)・弥生土笛 (即興の地肌から既成の曲を呼びだすこともあり)
場所 久我記念美術館
住所 福岡県糟屋郡須恵町77-1
電話 092-932-4987

ここ15年余りの間、川口美千子さんのキルトを、土笛と朗読コンサートの時に展示していただいたり、足下に敷かせていただいたりしたことがあった。
石笛を入れるための綿入りの藍染めにキルティングをした丸い袋をいただいたことがあった。
日本的な題材を選んだ手触り、足ざわりのよさも好評だった。
赤レンガ館での震災救援コンサートや豊満山のふもとの竈門(かまど)神社での月明かりコンサート、酒蔵でのコンサートと思い出すだけでもとてもお世話になっている。
今回は、道でばったり出くわして熱さと熱さが静かに混ざり合ってコラボが成立することとなった。
何といっても川口美千子さんのざっくばらんなところと、おすまし顔ではない適度な正統派の貪欲さが、心を動かす。
彼女も耳を澄ましていることができるタイプである。
笛は息吹きが命なのでわざわざ風などとは言わないのだが、キルトの主題は今回も風が大きなテーマとなっている。
どのような風がわき起こってくるのだろうか。
どこから吹いてくるのだろうか。
何を運んでき来てくれるのだろうか。
人間の肉体を持ってして磁場を作り、空気を揺るがすその地点を巻きこむ風なのか、離れたところを吹きすぎて行く風なのか。胸が高鳴ってくる。
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やおよろず貼 和のお告げにわくわく

古事記に出てくる言葉で占う、面白い占いの本があって、のっぴきならないことがあった時は開いて見て慰められやがては楽しく遊んでいる。
Hなことを言ってにやりと笑う以外は、居丈高な物言いをする頭の固いおじさん方は、まだまだ生業関係には多くいらっしゃって、若者や女性の芽を摘んでくれている。
親や教師や上に立つものから、そう思い込まされて夢を失ってきたことが多く、過小評価を自分に与えていたきらいがあることに、気づきたい。
気分を変え、やる気を出すためにも、おじさんたちのように今までの体験からか、早とちりしてすぐに何でもかんで勘ぐって説教混じりに否定してしまうことを習慣化してしまうのは惜しいことだ。
この占い本は、そのまま読んでも面白い本でつぼに触わる。
ただ古いだけではなくて、現代に通じる新鮮なわくわく感が持てる。
太安万侶の意図するところとは違っていて、読み方は岩波文庫版「古事記」に準じている。
本を左、右、左と振ってから無心に開く。


★赤がち
赤いほおずきのように目が赤くなるほど、泣いている人が、あなたの近くにいます。やさしくしてあげてください。

★長く寝つるかも
気を失っていたイワレビコノミコトが、正気に戻った時につぶやいた言葉です。あー長いことねむっていたものだなーと。人の上に立つには、鷹揚さが必要です。

★山幸彦には弓矢を。海幸彦には釣り針を。
必要な道具は、仕事によって違います。必要な仲間も、人によって違います。

★菅麻(すがそ)
清めに使う麻の繊維です。少し、心の中のきたないものを、祓い清める必要がありそうです。

★海鼠(ナマコ)
アメノウズメノミコトの問いかけに返事をしなかったために、紐小刀(ひもがたな)で口を裂かれてしまったナマコです。今日は、質問やメールには、すぐさま返答をする方がいいでしょう。

★崩彦(くびえこ)
かかしです。同じ場所にずっといても、世界中のことをよく知っています。四季の移ろいと、稲穂が稲穂になるまでを知っているからです。体の移動ではなく、意識の冒険こそが旅なのだと、告げています。

★種種の味物(くさぐさのためつもの)
さまざまな種類の美味しい食べ物。もしくはそれに象徴されるものが出てくるでしょう。必ず、好きなものを一番に食べることです。

★綾威の男建(いつのおたけび)
雄々しく、威勢の良い叫びです。今日一日は、カラ元気でも良いから、テンションを上げてふるまって見ましょう。それが邪気を祓う一番の方法です。

★千位の置戸(ちくらのおきど)
多くの台に置かれた、たくさんの献上の品々です。過ちや失敗を、心で反省するだけでなく、実質的な形で挽回する必要があります。

ライブドアパブリッシュ「やおよろず貼 和のお告げ」・あらしおやしおじやおあい研究所


最近見た映画
キャデラックレコード音楽でアメリカを変えた人々の物語〇夏時間の庭〇映像詩里山〇サブウエイ123激突〇男と女の不都合な真実〇ウルヴァリンX=MEN ZERO 〇クララシューマン愛の協奏曲〇あの日欲望の大地で〇マーシャル博士の恐竜ランド〇女の子ものがたり〇空気人形〇愛を読む人〇それでも恋するバルセロナ

生業の忙しさのためブログに書けなかった映画である。借りてくるDVDはなぜかホラーと成人向けばっかりになるが記していない。冒険ホラー映画「デイセント・2」が近々劇場で放映されるのが楽しみだ。6人~7人の洞窟探検家の女性たちが遭遇する地底の闇の生物との死闘と自身の心の闇との対決はすさまじい。デイセント・2には、デイセント・1の時の1人の生存者が出演するらしい。日常には映画のような盛り上がりはほとんどない。演奏の時には曲がスイングしていないと美味しくない。演奏者の取り組み方(生き方)のいきいき度がかかっている。たとえかすかな音量であってさえも。
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コミック「HOTEL」石ノ森章太郎 25巻

満月の月光浴の時に、スナック十六夜のママが川を背にしてこちら側を向いた時、川の土手の柵を踏み越えた向こうに立っていた一人の女性がいた。
しばらくするとどう見ても土手から足半分宙に浮いたまま、ふりかえることもなく川の上を滑るように行ってしまった。
おかしなことをする人がいるものだと思ったが、「ママさん、娘さん大きくなられたでしょ?今日はご一緒ですか」とママに聞くと「一人で月を見に来たけどお・・・」と言っている。
「今女性がいたけどお知りあい?」と聞くと、「ダーレもいなかったけど」なぞと言う。
後日談としては、満月の夜、近くの踏切の遮断機をくぐって渡っていた25歳の女性が、向かい側から来た電車にはねられて亡くなったそうだ(翌朝のテレビニュース
震えが来て何をしても無念で悲しく1週間ほど、意気消沈してしまっていた。
本当は、宙に浮いて川の上を行く女性を見た地点で気づかなくてはいけないのだが。
こんな時は、ごく当たり前の真心を持った熱い信念のある人の心に触れるのが一番である。
なかなか生の人間にそんなことを要求するのは難しいので、以前から評判が高い、石ノ森章太郎の漫画HOTEL」25巻を読み始めた。
東京高級ホテルプラトン」の従業員と様々な難題を持ちこむ客との人情味あふれる物語で、琴線に触れる心温まる物語である。
プラトンホテルが、いつも活気に満ちていて、笑顔が満ち溢れるためには、それなりの深い信条と努力がいるのだが、無駄を一切省いて他を切り捨ててゆくと言う合理的なやり方はとっていない。
東京では、インターナショナル担当の東堂マネージャーを中心に素晴らしいプラトン・マインドが展開されている。
どういうわけか最終巻の25巻から読み始めたい気持ちがしたのでそうした。
結果が先に分かってしまうことが、今の気持ちにぴったりとくるからだ。

22巻目には、人気の高い東京のプラトンホテルに、世界の政治・経済・文化をリードしていると言われるニューヨークにあるプラトンホテルから、プライドの高いマネージャーのライアンが調査にやって来る。
なぜ東京のプラトンホテルに人気があり、同僚やお客にこれほどまでに信頼されているのかが、分からないのだ。
まず、日本はチップを取らないことに驚く。
彼は、プラトンホテルの従業員が、給料も高くない、チップももらえないところで、何のために働いているのか理解できない。
沢山の修羅場体験に裏打ちされた日本の東堂マネージャーのプラトン・マインドは「お客様の喜ぶ顔を見たいから一生懸命にやる」と言う簡潔なものだった。
東堂マネージャーはニューヨークのプラトンホテルの建て直しを、ライアンに見込まれて頼まれてしまう。
東堂は、見かけは頼りないが、誠実さにかけては愚直なほどの赤川一平にニューヨークに行ってもらうことにする。
赤川一平は、とことん無私の仕事を心がけることによって、人々を癒していく。
難題苦難の中、お客や同僚の中に飛び込んで溶け込み、心をつかんでしまう話である。

~続く~
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名月の夜のお歩き

名月が見られた土・日の晩は、川横のさみしい散歩道は、ひっきりなしの人どうりがあり、とてもにぎわっていた。
歩く人の影がくっきりと道に落ちて移動し、みんなが月の祭りめいたステップを踏んでいた。
月光を浴びた人々は、宙に浮いて若返っている。
川は月を映して月色の布を纏っている。
神社の木々の向こうからさす月光は、木の葉に粉砕されて細かくきらめき、小さめの木の上端を丸い月がまっすぐに滑ってずっとついてきた。
お月さんの木すべりだ。
十六夜と言うスナックのママも店を抜け出して、月を見ながらため息をついていた。
夜、川のほとりで沢山の人に会えるのは火事の時以来だ。
老人たちが丹精をこめた花畑は2キロ続き、中間地点には、誰かが家から持ってきた屋根付きの箱の中に置かれた時計が時を刻んでいる。
箱には「みんなの時計です」と書かれている。
月の満ちた夜には、時計はカチカチカチカチとひときわ大きな音を立てている。
全く違った次元にさ迷いこんだ気がする。
あまりにも豊かで静かで、あたりが美しくよいものに生まれ変わっているので、ほほえみながら泣きたくなる。
もっと遠くの菅原の道真が毎日通った天拝山では、小さな提灯が配られ、夜遅くまで観月をする人の行列ができた。

中秋の名月 10月3日(土) 月齢14・3 いわゆる15夜
満月 10月4日(日) 月齢15・3
中秋の名月の立場からすると、満月の日は、十六夜(いざよい)となり10月5日は立ち待ちの月となる。
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日本映画「重力ピエロ」

若い人の出演する映画で、題名の奇抜さに興味を抱いて見に行ったものの、途中で出てしまいたかったことは何度もある。
「重力ピエロ」は、1度見た後、もう一度見たいすばらしい映画だった。


2人の美青年の内の弟の春は、母親がレイプされた時にできた子供である。
レイプしたのは高校生で30名もの女性を襲っていて、つかまっていた。
父親は妻を愛していたのですべてを受け入れて、春を二男として育てる。
兄の泉水は、小学校の時に弟から「レイプって何?」ときかれたときに「グレイプ」のことだ言ったあと「ブレイブ、ブベイブ」などと言葉遊びを始めて、一家を世間のたちの悪い蔭口から守ろうとする。
弟の春は、いつの間にかすべてを知っていて、重い鬱屈したものを胸の奥に隠している。
彼は、ピカソの再来と言われるほどの絵の腕前を持ち、壁絵をいたるところに描いて回る。
アルバイトで壁絵を消しているのだと嘘をつき、必ずその絵の近くで連続放火をしていた。
兄の泉水は、大学院で遺伝子を学んでいるので、壁絵の謎解きの中に、ヒトゲノムの記号が隠されているのを発見する。
兄は弟の春のストーカーである夏子さん(名前の由来は春の後に来る季節が夏だから)から、弟が連続放火犯だと言うことを知らされる。
春は、いつの間にか刑期を終えて刑務所から出てきたレイプ犯の居場所を突き止めている。
自分の父親である本人から「レイプは悪いことだとは思わない」と薄笑いを浮かべながら言われる。
この男は、自宅を提供して少女たちを集め、売春を斡旋し、いかがわしい写真を売っている。
事態を知って駆け付けた兄の目の前で、弟の春は、犯人をバットで殴りつけ、家に放火する。
犯人はそこで亡くなる。

彼らが子供時代に一家でサーカスに行って、空中ブランコを見たことがあった。
重力に逆らって、人を笑わせながら空中ブランコを成功させるピエロを見て、母親が「明るく楽しくしていればどんなこともよくなる」と言う。
胸の奥に抱えた傷を乗り越えて明るき生きてきた母親が言うその祈りに似た言葉は、同情などではなく、よく頑張って生きてきたねと言う共感を呼ぶ。
母親は車の事故で亡くなるが、どうも自殺らしい。


レイプ犯が放火で亡くなった後、ここら辺で必ず、自主するように誰かがすすめるのが世の常套の習いであるが、今回はそれがなかったので溜飲が下がった。
これからどうなるにせよ、血縁の者の立場からすると、「悪いことをしたつもりは毛頭ない」とうそぶく犯人に対しては、命で償ってもらわなければならないと思うことがあるのだ。
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イタリア映画「ポー川のひかり」2009年10月公開

ボローニャ大学の図書館の古文書が何者かによって、図書館中にばらまかれ、長い釘で床に打ちつけられていた。
古文書は、厳格な神父によって、一生かけられて収集されたものだった。
釘を撃ち込まれた古文書は、イエスが磔刑にあった時の掌を思い出させる。
犯人は将来を有望視された同大学の哲学教授だった。
教授の風貌は、イエス・キリストを思わせるもの。
彼が大学を捨てて、ポー川の川岸の小屋に住みつき、そこに以前から住んでいる貧しい老若男女が訪れるようになる。
皆で楽しそうに教授の小屋を手入れする。
教授は、みんなに葡萄酒を一杯ずつふるまう。
おや何かこれはあの厳粛な最後の晩餐の儀礼に似ているのではないかと、気づく者は気づくだろう。
哲学教授は、聖書の一節もそらんじていて、聞かせてほしいと言う人には、語って聞かせる。
そこにいるイエス・キリストは貧しいもの、弱い者、虐げられた者たちに語りかけ、どのようなことも神頼みではなく、自分たちのおなかの中から出てきた言葉をかみしめ、立って歩かせようとするものだった。
教授たちがダンスパーテイをやっていると、ポー川を遊覧する船が、明かりをともして川を下って行く。
甲板には、男女が楽しげに踊っているこの世のものとは思えない美しい情景。
それを見つめる教授たち。
川は過去と未来を表し、岸辺にとどまる人々は、現地点で、未来に滑ってゆく船を見ている。
すべて同じ一枚の動く絵(フイルム)に現わされている。
やがて国有地に不法に住んでいる老人たちに、行政から立ち退き命令が下る。
映画はそこで終わる。
教授は、大学には戻れないだろう。川沿いに住み着いた人々は、施設に連れて行かれるかもしれない。

「ポー川の光」は監督の息子さんが撮影をしている。
イタリアの農村の貧しい小作の父親が、地主のポプラの木を盗んで息子に木靴を作ってやり、農村を追われる「木靴の樹」のエルマンノ・オルミ監督が作った名作、「ポー川の光」だったので、見に行かないわけには行かなかった。
この監督の作品には、貧しい人々が登場し、底流には辛辣な社会的な権力批判がユーモアを持って隠されている(ランジェ公爵夫人以外)。





個人的なものだが、内容は違いこそすれ、ファンタジーコミックの坂田靖子さんの「バジル氏の優雅な生活」の中の「フィツシング」に出てくる村の川の岸辺に住み着いた老人のケイツ先生を思い出す。
ケイツ先生は動物病理学をやっていたのだが、動物愛護協会から誤解され、大学からも追われる。
川岸に住み着き、魚釣をしながら、友人の教授の「必ず大学に帰れるようにする」と言う言葉を信じて10年間暮らしているうちに、村人と懇意になる。
ケイツ先生は10年後に学会で認められるが、研究の援助も教授の地位の保障も棒に振って、3人の子供つきのお嫁さんを世話してもらった村に帰って、今までの暮らしを続ける。
研究は、後継者にゆだねられるぐらいのものであったに違いない。


2006年制作)
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