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「古代九州の国宝展 」・九州国立博物館

墓墳の中めいた暗い展示室の中に並んでいる縄文時代、弥生時代、古墳時代の貝のブレスレットや太刀や銅鏡、首飾りや勾玉、土器などは遠い時代から現代に引揚げられた骸(むくろ)だ。
彼ら彼女らは元いたところから切り離され、口を固く閉じてしまっている。
地味に区分けされた干からびた臓物の乾物から立ち上る暗い影と似ている。
そう言うものが古代に存在していたと言う証拠として丁寧に分類されていて美しい。
研究者にとってはどんなものであっても宝物であるに違いない。
子供にも分かりやすく、漫画で説明がしてあったので興味がわいた人もあったに違いない。
小学校の教室や廊下に張り出されている研究発表のようなかわいらしさである。
出土品から漂うものが重苦しいのに、巷の色めきたった興味本位の雑言が周囲から浴びせられる。
展示室のすっ頓狂な賑わいの中から早く退散したかった。

★印から( )★印までは後から書き加えたもの
磐井(いわい)の石人、石馬が展示されている場所で、懐かしいものに出会ったように足が止まった。
石人、石馬は埴輪の代わりに祖先を敬い祀ったものだと言われている。
八女市の岩戸山古墳や有明海沿岸から出土している。
筑紫君磐井(つくしのきみいわい)は、火の国(肥前・肥後)と豊の国(豊前・豊後)を★(友好的に)★制圧し、ヤマト政権が新羅へ貢物を運ぶ海路を封鎖した。
この時の飛ぶ鳥を落とすあらぶる勢いを持った田舎の武将の姿が目に浮かぶ。
新羅と結んだ筑紫君磐井(つくしのきみいわい)が527年あたりから反乱を起こし、ヤマト政権から、磐井の乱(528年11月11日)で制圧された。
ヤマト政権は度重なる朝鮮出兵のため、九州の磐井側に対しては行き届かないことが再三あり、磐井側は、不満がつのっていたらしい。
上からのお達しは常に部下や庶民の人間性を踏みにじる。
筑紫君磐井(つくしのきみいわい)は、ヤマト政権に対しては、全戦力の予想が立てられず、従って怖さが分からず、礼儀作法にも疎かった。
豪放磊落であったとしても、井の中の蛙的な彼の予測が外れた観がある。
★筑紫君磐井(つくしのきみいわい)は若いころ、ヤマトの朝廷に仕えていたことがあり、しばらくして筑紫に戻ったので、上記の礼儀作法やヤマトに対する予想はついていたとも考えられる★

勝ち進めると言う見込みがなくては、老人や子供たちまで巻き込んでの戦いは、全員虐殺されてしまう(予想はあったのか?)
吉良にいじめられた田舎侍の赤穂の殿にも少し似ている。
筑紫君磐井(つくしのきみいわい)が、ヤマトよりも新羅に味方したのはなぜだろう。
新羅に親しい高官や高女がいたのだろうか。
単独では反乱は起こせないので、隣国やそばにいる側近たちの中からも、反乱に向かう準備や協力がひそかになされていったのだろう。
戦力も損害も不明であるが、もし映画にするとしたら物語はどのようにでも広げられる。
磐井の乱の時、ヤマトの軍勢から石人、石馬は首を落され、顔も削られた。
それが博物館に展示されている。
人間たちも首や手足を切られて殺されたが、筑紫君磐井は殺されたとも豊前へ逃げたとも言われている。
弟はなぜかすぐにヤマト政権に貢物を贈り命は取られていない。
兄と弟の間に何があったのか興味がわく。
★(弟ではなく筑紫君磐井の子供だった。子供の名は葛子・くずこ)★

義経が北海道や大陸に逃げたと言う噂と似ている。
この場所では何度か考古学者のセミナーが開かれ私も抱き合わせで、石笛・土笛でコンサートをさせてもらったことがある。
戦場になったところは、とてもさみしい風の強い丘陵で、何度か夢枕に磐井軍の兵士たちに立たれた人もいる。


チプサン古墳や竹原古墳、日岡古墳などの装飾古墳は、写真でしか展示されていなかった。
墳墓内に入ったことのある私としては物足りなかった。
墓内の装飾されたレプリカを展示してほしかった。
きっと生き生きとした雰囲気になると思う。
手抜きだろう。
博物館の外に出ると、竹やぶや紅葉した山々や岡が、墓から這い出た人物のようにしみじみと美しく感じられた。
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お葬式も宇宙規模の災害も映画では娯楽になる

「ハウエルズ家のちょっとおかしなお葬式」2007・アメリカ映画  監督フランク・オズ

最初から最後まで腹を抱えて笑える映画も珍しい。
亡くなった父親がゲイでもあったと言うお話。
父親の小人の恋人(もちろん男性)がお葬式に乗り込んで来て、財産を要求する。
ハウエルズ家の子供はたしか3男1女。
息子が薬剤師で、姉と恋人の男性と自宅で待ち合わせた結果、精神安定剤と書かれた容器の中に入れていた幻覚剤を、姉が恋人に飲ませてしまう。
姉の恋人は、お葬式で異様な行動をしたあげく、トイレに閉じこもって裸になり、屋根の上から下に飛び降りようとする。
姉に妊娠を告げられ、全員の見守る中でハッピーな抱擁。
ゲイの恋人は、安定剤(ほんとは幻覚剤)を5錠も飲まされ首を絞められ、隠すところがないので、父親のお棺に一時入れられる。
お葬式のさなかに棺桶からノックが聞こえ、父親と息を吹き返したゲイの恋人が転がり出る。
最初、葬儀屋は他人の入ったお棺を持ってくる。
「おくりびと」とは、ま逆に位置する映画だが、ひんしゅくを買わないように、弟に作家になられて自分はなれなかった真面目な息子が、ささやかな好意あふれる演説をして皆を丸めこむ・・いや感動に巻き込む。


「2012」2009・アメリカ 監督ローランド・エメリッヒ

坊さんが鐘を突いているヒマラヤのてっぺんにまで津波が押し寄せる。
惑星の直列と太陽の活動の活性化で、地球の火山活動が活発になる。
地球の内部の温度が上昇し、地震による地割れと陥没が起こる。
陸地が海に向かって滑り落ちてゆく光景は地獄のようだ。
予告編に、地割れに追われて逃げ惑う車や火山弾にビルが崩壊する中をかいくぐる飛行機が出てくる。
これを音と視覚で体験することができる。
今までこのような大規模な映像は体験したことがなかった。
アメリカは、ノアの方舟を作り、動物や人間を乗せる。
離婚した家族の夫が家族を守るために身を呈して危険を冒す。
一見の価値は大いにあった。
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自転車修理のおじいさん

団地には自転車の修理をしてくれるおじいさんがいる。
お店は、給水塔の近くの木の下だったり、芝生の中にできた道のそばだったりする。
お店には屋根がない。
おじいさんの自転車を止めてあるところが、お店になるのだ。
タイヤのパンク、切れたライトや古くなった籠の付け替え、空気入れの販売もしている。
私もすべてお世話になってきた。
助手はお孫さんではないが、小学生の女の子2人だ。
おじいさんが小学生たちとボール遊びをしていたのを見たことがある。
ちかくの八百屋さんでナスやダイコンを買っていたのも見たこともある。
どうもおじいさんは独り者らしい。
背は高からず低からず、日に焼けていて眼光は鋭いが瞳は穏やかな色で人なっつこく、ハスキーヴォイスだ。
白いターバンを巻けば彫りの深い顔立ちなのでインドの人みたいに見えるし、下の名前は、まことと言う名の昔の映画スターにそっくりだ。スターの苗字は思い出せない。
団地の一人住まいのおじいさんの昔の職業は何だろうか。
向こうから話し出さない限り、聞かないことにしている。
故障した自転車をおじいさんに朝預けると夕方には修理が完了している。
おじいさんと半日一緒に話すご老人方もいらっしゃる。
毎回顔ぶれが違っている。
誰かが道端で何かしていると、必ず人だかりができて楽しいという情景が、まだおじいさんによって作られている。
家の中でじっとしているよりも、お天気の日は外に出て、故障した自転車を種に、人々のおしゃべりが始まると言う、何とささやかな出来事が起こっているのだろうか。
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今日のにっこり

1日中本当に笑えた。

ニュース・テレビのアナウンサーの発言で
「警官が深夜にコンビニを徘徊(はいかい)して・・」と言った後
1秒の沈黙
「警官が深夜にコンビニを巡回(じゅんかい)して」と言い変えた。


電車内の競艇の宣伝ビラ
「火遊びを止めて船で水遊び」
なるほどと感心した。
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近況と6度目のマイケルの間にコメディ映画

2つ仕事を持つようになってからは、食事の時もゆっくりしていられなくなった。
残務整理や電話、住所録・訪コンプログラム作成は10クラス分。
11月には、芸能祭のプログラムを4つも作成しなくてはならない。
人と接して世話を焼き、面白いことを言って厭きさせず、10クラス月2回2時間の練習をおもしろくスムースに盛り上げてゆくことは、一つの心理劇の舞台を務める時のようだ。
身の危険を感じ五感を研ぎ澄ます体勢にはかなわないが、笑いのツボを押さえることは、耳を澄まして相手の話を聞こうとする体勢を作ることと直結している。
映画を見て至福の時を過ごす合間に仕事をし、お互いに相乗効果を得るというのが私の願っていることだ。
食事をしても十分な栄養素を確実には摂れないので、最強の糖鎖サプリメントを飲んでいる。
糖鎖で免疫力をアップしておかなければ、花粉症や気管支炎や風邪で鼻水や咳など出て、筋肉が動きづらければ、仕事にならない。
ガンや内臓疾患にもなりたくない。
落ち着いた底力のある年の取り方をしたい。何よりもやる気が出て来て肯定的になりたい。
欲しいと言う20人くらいの方にも教えて差し上げて、良い体感が出ている。
ねばりと根気と活力のある演奏ができなければ、聞いている人も退屈であきあきするだろう。
風邪をひいても楽だし、口内炎やアレルギーがまったくなくなり、映画を見てもつらくない。


6度目の映画マイケルの「THIS IS  IT」も、魅力が最初よりも100倍アップした。
歌われる曲のメロディーは覚えてしまい、すべて一緒に響きあうことができるようになった。
毎回新しい出来事のように感じられる。やみつきになってしまった。
とにかくテンポもメロディーも声も大々的に気持ちがいいのだ。

コメデイタッチのホラー「スペル」(呪いの意味)は、ジプシー風の老婆の呪いの出所を知りたかった。
エジプトの女神さえやっつけてしまえる老婆の呪いの後ろ盾の呪いとはどこの呪いだろう。
コメディ風の「イングロリアス・バスターズ」は、ナチスを血祭りに上げる連合軍の極秘部隊と若い劇場主の女性の物語である。 場所はフランス。
ドイツ人のユダヤ人ハンターの頭脳明晰な軍人が登場した。
彼のユダヤ人に対する飽くなき冷酷な取り調べと捜索時の言及には興味は持てたが、ユダヤ人狩りを前提としているので生理的にいやなものがあった。
ヒットラーの部下の彼は、最後に連合軍を自分の作戦に乗せたつもりが、愉快で大胆なイングロリアス・バスターズにやられてしまう。 
ねちねちした頭脳戦を挑んだほうが、単純なげんこつに負けたよい例だった。
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おじさんランナー出現

夏に朝の散歩で出くわした、卑猥な言葉を走りながら吐き出すおじさんに昨日出会ってしまった。
どこでかと言うと、それは何と中くらい満員の電車の中でである。
気持ちの悪いことに目があってしまった。
歌手のチョー・ヨンピル系の顔を横から押さえて伸ばしたような顔立ちで、上背があり眼鏡をかけている。
おじさんは、帽子とタオルとサングラスで顔を隠して散歩していた私を覚えていない。
私のほうはおじさんの姿かたちを何度も確かめて、顔ははっきり記憶に刻んでいる。
今回は私は下駄もはいていなかったので目立たず、電車の中には沢山の人がいる。
散策路の人のいないところで、走りながら近ずいてきて卑猥な言葉を投げかけることは一つの犯罪である。
おじさんの声がうっとうしいので私は毎回ラジオのイヤーホーンを耳に入れていた。

仕事帰りの夜9時ごろの電車の中のおじさんは、背広姿であった。
おじさんは、走っていないのに、犬が匂いをかいで回るような勢いで、電車の少しだけ空いた座席に、老人にも女性にも席を譲らず、大きなお尻を割り込ませて座り込んだ。
えげつない行動だ。
背広姿に革靴と鞄とくれば、きっとどこかの会社員だろう。
文庫本を手にして視線をねじ込むように本に向け、見あきたというようにパラパラとページをめくり、開いたり閉じたりして落ち着かない。
私は、おじさんを観察している視線を感じさせない用心のため、おじさんから3メートル離れ、電車のポールを左手で持って自分の顔を隠した。
読んでいる本の題名は分からない。
周りの人には、おじさんはごく普通の人に見えるだけだろう。
イライラしている様子以外にはなにもおかしなところはない。
この、人を人とも思わないおじさんの、普段の通勤姿を見て現代人の病を感じた。
私と同じ駅で下車したので、おじさんはここに住んでいることに間違いない。
他人には知られていないおじさんの軽犯罪は確定した。
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父の3回忌

法事の後のおとぎ(食事会)や御仏前のお返しの品物、お布施や交通費や日程決定の手配を全部一人でやって、目の回るような忙しさだったが、晩秋の紅葉の山を満喫することができた。
たとえばお寺の裏の竹林のそばの銀杏の落ち葉の下に隠れた実を、靴でプチプチつぶしながらしばらく歩いたりした。
昭和初期の面影を残した山奥の小さな旅館に宿泊したので、四方に階段のある迷路のような2階の黒光りする廊下が珍しく、ぐるぐる歩きまわった。
いちばん皆が笑いころげたことがある。
お坊さんと奥さんが「あれを持って来て」と使い走りの私に言ったので、3階の納骨堂に「あれ」を取りに行った。
誰もいない納骨堂の内階段と外階段を急激に駆け上がった。
よいしょと抱えて野を越え山を越えた気分で、皆の前に持って行ったのは骨壷だった。
「それじゃあなくてお位牌よ」と言われて、大笑いされてまた走った。
この地方の骨壷は重くて、骨がどっさり入っている。
何せ焼きあがってきた骨を、のど仏と頭がい骨やその他の小さな骨を一緒に入れる骨壷と、残りの骨の全部を入れる骨壷の2つに分ける。
暗い納骨堂を駆け上がってお位牌を取ってきたが、本当は家の仏壇から持ってくるらしい。
御住職は、私を門外漢と見てとって、他の宗教も受け入れるなぞと丁寧に言い、御焼香のやり方も教えてくれた。教わらなくてもできるのに。
御焼香をした母と従弟の靴下のかかとが大きく破れていたので楽しくなってしまった。
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5度目のマイケル THIS  IS  IT

マイケルが、パーカッションを受け持つ男性にどのようなカウントにして欲しいか話しかけるところがある。
「ベッドから起きてゆっくり歩く感じ」(のテンポ)でとか、「月光に浸る感じ。静寂が沁みわたるように」など。
理解してもらうために相手に投げかける言葉が美しい。
マイケルは、ジャクソン5のときには、パーカッションを受け持っていた。
自由な応用を行っていて、カウントは繊細で正確だ。
他のダンサーと同じ動きができるためには、自己を保ちつつ相手を自分のように感じ、察することができることが必須である。
女性のギタリストには「君の番だ、一番高い音を出して、一緒にいるよ」と呼びかける。
彼女が最高に輝くことができる登場場面を作り出し、盛り上げ、魅力を引き出している。
超絶なダンス。繰り返しが多い心地よい歌のテンポはすごく速い。
マイケルが若いころの歌とダンスは、新鮮な喜びに包まれ躍動的な幸福感を発している。
熟練して50歳で亡くなっても、誰にも真似が出来ないダンスと歌を残せたこと、たちまちのうちに人を釘付けにしてしまえる幸福感を持てたという点においては、今となっては人生の上で十分満足したのではないかと思う。
彼のそっくりサンはいるが、やはり見破ることができる程度だ。
以前聞いた同じ曲より、映画THIS IS ITの中の同じ曲のほうがよりワイドな、安定した高鳴りを覚える。
祖先のアフリカの精霊が宿っているように感じられ、アメリカに連れてこられたアフリカ系の人たちの人生の大きな流れを思った。
ファンタジーや祈りがある。
歌舞伎とは表わし方が違うが、ダンスも歌も、見ばえ的にも、心情的盛り上がりでも、最高の角度で見えを切る。良い意味でかぶくとはこのことであろう。
マイケルがジャクソン5として活躍していた時には、父親のジョセフがマネージャーをしていた。
マイケルの父親は、マイケルが残した遺産の相続対象になっていない。
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3度目の映画 「マイケル・ジャクソンTHIS IS IT」

3度目は、マイケル・ジャクソンの歌を聞きながら、楽器奏者やダンサーに近づいて一体化して踊る彼をじっくり見ることができた。
汲めども尽きせぬ魅力である。
何度見ても、切れの良い全身の動きで、興味をどこまでも引っ張っていく力を持っている。
忌野清志郎もえいちゃんもマイケルには到底及ばない。
なぜこんなに毎回新鮮で新しい発見があるのか。とてもすごいことだ。
キングオフポップだと言うことはほんとによくわかる。
「そばにいるよ」と言う言葉には優しい力がある。アイラヴユーが何度も繰り返された。
中性的でどこか宇宙人的なまなざしを持っていた。
プレスリーやビートルズを上回る吸引力である。
死因は心臓発作らしいが、マイケル・ジャクソンは膠原病の一種の全身性エリテマトーデスだった。
ステロイドの副作用のことを考慮に入れれば、各内臓疲弊による急死も無理ないことだ。
また消炎鎮痛剤を使っていたのだろう。
病気は細胞の糖鎖不足で起こる。
自然治癒力も免疫力も低下して、さぞつらかったことだろう。
顔が白く見えていたのは、尋常性白班でこれも自己免疫疾患である。
怪我による鼻の整形や、日光過敏症などとても気の毒である。
小さいころ父親から体罰を受けていて、父との確執があった。
歌や踊りを間違えば父親から殴られ、生まれつきの鼻をあざけられていたので、他人には絶対そういうことができなかった。
だって痛さと悲しみが分かるからできないのだ。
そのようなことを上回る程の繊細さと、初めから最後ま熱く静かに練りあげてゆく歌とダンスだ。
どんなことがあっても才能はあふれ、人を巻き込んで生き生きとさせてくれる。
白人による手ひどい人種差別もあった。闘っていた。アマゾンの保護を訴えていた。
4度目の映画を昨日見に行ったが、ますますひきつけられ初めから感動して、歌がよく聞こえるようになって泣けてしょうがなかった。
何よりも元気になった。
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2度目の映画 マイケル・ジャクソン THIS  IS  IT

月夜の晩に出かけた。
スーパースターを亡くした悔しさがしみじみとやってきた。
マイケル・ジャクソン1人と、映像的に作られて増やされた、何億人ものロボットのような人間たちの、足音と鎧のような着衣の音が響き、全員が同じ動きをして、びしびし型が決まるダンスにしびれた。ぞくぞくした。
その音はぞくぞくするところからやってきて、ぞくぞくするところを目覚めさせた。
目の前にある手に掴めるもの、愛撫できるものの実感が本物だ、映像は頭の中で作られたものだと言ういわゆる実感主義の本物志向の考え方が、小さく感じられた。
想像力、ファンタジーのたまものだ。
今まで何となく聞いていた日本のロックが、妙なガサツさと軽率さ幼さがあるものであったため誤解していた。
若い人たちから何度となく拍手が起こった。同感だった。
リハーサル風景の中で、(ここは)ロックンロールの教会だと誰かが言った。
苦しみや悲観や打撃の中で培ってきたものが、肉体を通して花開き、浄化され、生きて動く見事さを見せつけられたら、皮肉や自分の怠慢による無知も吹っ飛んだ。
ダンサーや奏者たちがオーディションを受けに世界中からやって来ていたが、選ばれた者たちが胸に迫るものを抱いているのがよくわかった。
選ばれて喜びの涙交じりに意見を述べ、自分の持ち場で堂々と輝いてゆく様は感動ものであった。
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