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真央ちゃん!! フィギュアースケート

群衆の視線の波にもまれながら、あでやかな真央ちゃんが、生まれつき華麗で、まだ完成してかたまる方向に向かっていない柔軟な美しさと広がりのある演技を繰り広げた。
ひやひやして心臓に悪いと思ったが、やらなければならないことが山積みしているのに、実況放映から目が外せなかった。

真央ちゃんから放射状に美しいエネルギーが溢れているのがわかった。
空気を変えるど真ん中の高揚感があった。トリプルアクセルもダブルトリプルも、はらはらしながら見せてもらった。
ゆっくり何度も味わえたのは、そのあとからの放映だったが、どんなことが起こっても真央ちゃんの陽気な存在感は揺らぎようがない。涙も途方もなく美しかった。

真央ちゃんは、そつなく隙のない技術をこれ見よがしに、こなさなかった。
そつがないことは、安心感を与えることだが、そこに留まることは冒険心を失うことであり、若くして老化が始まっていると言うことだ。
飛躍がないと見る側にとって2度目3度目のそつなさは、退屈を感じさせる。
真央ちゃんには、用心深くて冷やかで覇気がないように見える技術こなしだけに満足できない、まっすぐな若さがあった。
オリンピックのために失敗しないように、無難に力を抑えもしていなかった。
しらっとした表情で相手に対抗するように、「ライバル選手のことなど気にしていない」とも真央ちゃんは言わなかった。相手に感謝する言葉を述べていた。
無表情で目を伏せ、斜めに構えるような話も、演技も真央ちゃんのものではなかった。

3人の日本のおじさんが、別々の場所でテレビインタビューを受けて、同じ答え方をしていた。
「あっちの方が技術が上だった。負けた。」それしかないのか。
だから貧相な疲れ切った夢のかけらもないおじさんは大嫌いなのだ。
ファンだったら最後まで守りきった言葉使いをすると思う。

私は個人的には、採点がおかしかったのではないかと思っている。
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新羅と筑紫のハーフ 筑紫君磐井

筑紫連合王国の王である筑紫君磐井は2人の母を持っていた。
実母は朝鮮半島出身の新羅から来た紫雲媛であった。
筑紫君磐井の父王は、筑紫君隈井である。
父の隈井は、23歳の時から新羅に6年間も留学し、新羅側や筑紫の王の嶽八女(たけやめ)や側近からくりかえしすすめられたと言う形で新羅の紫雲媛と重婚をしている。
留学は1度目の結婚をした椎媛媛との結婚後、胡桃媛が誕生したのちに行われている。
今でこそ重婚は先進諸国では罪に問われ、人間性に関わることだと思われているが、6世紀当時はそうでもなかったのだろう。
夫の留学と言うことで、6年間も夫婦が別々に生活するのである、現地で妻ができてしまうこともあるだろう。
隈井は新羅の慈悲皇子から「気に入った娘を娶れ」と言われても、「とんでもありません。私には(筑紫に)妻子がございます。」と即座に断っている。
筑紫連合王国にとっては、朝鮮半島の高句麗は別格として、大和政権や朝鮮半島の新羅、百済、伽耶国間の争いがないことが、安定につながることであった。
周辺諸国と友好関係を結び、文化的な交流をすることは大切なことであり、婚姻関係を結ぶことは特に重要なことであった。

初めて蓮華草(れんげそう)を日本にもたらした新羅の紫雲媛は、留学中の筑紫君隈井を気に入ってしまい何度も食事に誘った。
この時、紫雲媛の意識には、筑紫の椎媛の事はのぼらなかったのであろうか。
逆の立場であったならと考えることは、王や側近のすすめにかき消されたのであろうか。
たとえ王の命令であろうとも気に入らないことであれば首を縦に振らない紫雲媛のことである、情熱に身をゆだねたのであろう。
筑紫君隈井は、「紫雲媛を気に入っているが、妻子のことを考えると決断がつかない」と言うが、共に留学した妻の椎媛の兄の石割からも賛成され、父親の嶽八女(たけやめ)からも自由にしてよいと言う知らせを貰い、とうとう「今夜は一緒に居てください」と紫雲媛から懇願されたのを承諾する。
初婚の妻の椎媛の心はいったいどのようであったのか分からないが、遠く離れて生活する夫の重婚のことが耳に入れば、古代とはいえ現代の女性の一般的な思いと変わりはなかったのではないかと思う。
しかし筑紫君隈井と新羅の紫雲媛との婚姻関係は各国にとっては有意義であった。
新羅の王は、一族の中で紫雲媛を一番気に入っており、紫雲媛の性格は王に似ていて、王族に不足がちな気配りができ、ものごとを大局的に考えることができ、武芸のたしなみもあった。
紫雲媛はお腹に後に磐井と呼ばれる息子を孕んで、100人ばかりの共(様々な文化を伝える工人たち)を連れ、大量の持参品と一緒に、筑紫君隈井と共に帰国する。


妻の椎媛の方は、夫の隈井が留学後、胡桃媛を育てながら、民の生活の向上のために、食物の加工、貯蔵、機織りの技術向上をはかり、娘たちを集めて教育を行っていた。
そして食物の保存に必要な塩の製法に目を付け、筑紫海の海岸に製塩所を造らせた。
椎媛は、気丈にも紫雲媛が磐井のお産をする時にも新羅からの侍女10人、皇后の白雲と共に付き添っている。
お役目として割り切っていたのだろうか。
椎媛は王の妃としてのプライドを崩さず、民のためを思い、女性個人としての嫉妬心は隠していた。(意識の深層に埋めていた)
紫雲媛が息子の筑紫君磐井を出産した1年後に、椎媛は息子の白井を産み、また2年後に紫雲媛は和泉媛を産んでいる。
筑紫君隈井と同じ館内に住んだ2人の媛たちは姉妹のように仲が良かったそうである。
別の見方からするとすさまじい。
おたがいの側近の中に1人ぐらいは、源氏物語のように競う者はいなかったのだろうか?
古代のこの時代、六条御息所のようなみやびで鬱屈した女性はいなかったのだろうか。
植え付けられたイメージとして想像できる範囲内の卑弥呼のようなおどろおどろしいタイプはいなかったのだろうか。
筑紫君隈井の4人の子供たちは仲良く国のために尽くしたそうである。


~参考本「筑紫の磐井」太郎良盛幸~
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磐井一族たちの永遠の別れ

大和軍と磐井軍が、筑紫の地で戦った527年の11月11日の磐井の乱の1ヵ月ほど前の10月22日、筑紫君磐井は腹心の部下が病に伏している八女(やめ)の白木里(しらきのさと)を訪れた。
部下の清水(きよみず)は大和軍と和議を結び争いを中止しようとしている筑紫君磐井に向かって言った。
「私は和議に賛成です。筑紫連合王国の陸戦部隊は、ほぼ無傷で残っていますので、負けるとは思えません。大和王権にもこれ以上の部隊派遣は不可能でしょう。しかし民が疲弊しています。」
筑紫君磐井が答えた「今年の取り入れには民を帰したい。おそらく麁鹿火(あらかい・敵方の大将)も和議の機会を伺っているのであろう。和議を進めやすくするため、(私は)引退して葛子(息子)に大王の位を譲るつもりである。私は戦いに勝てないと見て、豊国(とよのくに)に逃れたことにする」
筑紫君磐井は麁鹿火の面子を立てて戦いをやめさせ、和議を結ぶことにした。
大和部隊も冬は越せないはずであり、和睦する以外に手はなかった。
交渉がやりやすいように筑紫君磐井は豊国に姿を隠すことにした。
このような人物のことは昨今なかなか聞けない。
やったことがばれて自分の身体が危くなった時に、仲間のふりをして言い訳をして回る上部の男たち。
ひどいのになるとマスコミ権力を背にして、自分の気に入らない人間側だと思った者を勘違いして、公衆の面前でたたきつぶそうとする男もいる。


白木里には、筑紫君磐井の娘の蓬媛が嫁いでいた。
蓬媛は、女弓部隊4千人を率いた女丈夫であった。
筑紫君磐井は、娘や孫を嫁がせ縁を結んだ部族たちとは血縁となり、何かにつけて使いを走らせ協力し合っていた。

美しい秋の日、紅葉や白い萩の花を眺めながら、筑紫君磐井は、娘の蓬媛夫婦や孫の琵琶媛、稲子たちとひと時を過ごした。
そしてこれが永遠の別れとなったのである。
お互いにいつくしみあい、笑いさざめき、別れを惜しんだ美しい1日を思うと泣けてくる。
その後、豊国に身を隠した筑紫君磐井の消息は分かっていない。


~参考文献「筑紫の磐井}太郎良盛幸著~
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筑紫君磐井をめぐる名前など

古代の人名には、土地の名前や植物の名前がつけられているものが多い。
男性名の中には気性をうかがい知ることの出来るものがある。

最後まで筑紫君磐井と対抗して、敵ながらあっぱれに、力強く持ちこたえた豪傑であることがうかがい知れる人物がいた。
その名を物辺麁鹿火(もののべのあらかい)と言った。
麁は訓よみで、あらと読む。音読みはソ。
鹿が三匹もいる麤の略字。
おおまかだとか、ざつだとかと言う意味がある。
荒々しくて無骨であるという意味に考えたい。
火のような魂を持ち、野山を雄々しく駆け巡る鹿が眼に浮かぶ。素敵だ。
武力に優れ、明晰な実行力と判断力を持った麁鹿火は魅力的でもある。

麁鹿火の部下で判断力に優れた、一分の隙も見せない近江毛野(おおみのけな)と言う武人がいた。
近江とは土地の名で毛野(けな)とは野に居る毛のある生き物のことだろうか?
*毛には、不毛の地とか植物の稲の意味もある。
筑紫君磐井と大和に留学した時に一緒に学んだ人物であるが、ざっくばらんな性格とは程遠い人物だった。
王位継承の争いの中で、難癖をつけられ焼き殺された連中を多く見て来た近江毛野は、自分の身を守るためにも、人物や内情をわしく調べていて、筑紫君磐井のことについても性格を知り尽くしており、冷静に判断することができた。

近江毛野は言う、「磐井は、戦いを長引かせ民を苦しめることを望まないと思います。それに、先の戦いで逃げ遅れた筑紫兵に問いただしたところ、戦いの最中にもかかわらず、4千人を(秋の)取り入れのために八女郷に帰してもいます。姿を消したのは、和議を有利に運ばせるためでしょう。」と言っている~「筑紫の磐井」太郎良盛幸著より。
近江毛野は筑紫君磐井を褒めたのではなく、ただ冷静に性格を言ったまでである。
戦いの世でありながら思いやりを持ち陽気に生きている者たちもいるが、近江毛野のように取り付くしまもなく冷徹な感じのする人物もいた。
しかしそうならざるを得なかったことに悲哀を感じないわけではない。

筑紫君磐井(ちくしのきみいわい)の筑紫は土地の名前、磐とは石のこと、井とは生活には欠かせない水源・井戸を表している。豊かな水源を願う両親の願いが込められていたのだ。

磐井の乱の後、和議成立。
物辺麁鹿火(もののべのあらかい)が筑紫を去った後のことは知らない。
一時栄華を誇っていた大和の王たちも、筑紫国を始め、他の勢力を陥れるようなことをしていれば、仲間割れが生じ、失脚することは目に見えていた。
近江毛野は、朝鮮半島に派遣されたが、外交に失敗し、伽耶国の反感を招き、生きて大和に帰ることはなかった。
大和は、白村江の戦い(663年)の敗戦により、足場を失い多くの将兵の命を失った。


 ● 参考文献「筑紫の磐井」太郎良盛幸著
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古代筑紫(福岡県八女市)の磐井の乱(1)

筑紫君磐井(ちくしのきみいわい)と言う名の誇り高き武将が、古墳時代(6世紀)、今の九州福岡の八女(筑紫)と言う豊かな地に王として存在し、人一倍民を思い、朝鮮の新羅や伽耶国(かや)と共生し、助け合いながら愛情豊かに生きていた。

雄略天皇在位の大和に留学した筑紫君磐井は、後日、大和に謀反を企てた咎で打ち首になったとも、傷を負いながらも他国へ逃れたともい言われている。
本当は謀反を企てたのではなく、朝鮮とも大和とも交流し、共存共栄のために情報交換して豊かな実りを民と分かち合いたいと思っていただけであったらしい。
その頃の王たちは、生前に自分の墳墓を作っていたが、埴輪はもちろんのこと石の武人や猪、船、中には盗賊の石人もあり、墳墓の周りに立たせ、墓の中に並べていた。
岩戸山の墳丘墓からは、吉野ケ里や筑紫海なども遠望できた。
吉野ケ里にはこのころより200年ほど前(弥生時代)に、倭(ヤマト)全体を治める王国があったが、古墳時代の始まりと共に、戦乱の世が治まり、濠はゴミ捨て場になり、土塁も必要とされなくなり、集落は離散し消滅した。


筑紫国の岩戸山古墳では、527年の磐井の乱で、石人、石馬が大和の軍勢に打ち崩され、民も手足をもがれて殺されたと言われていて、ただ私がそんな風に思いこんでいただけなのかもしれないが、聞くに忍びなくて深入りはしなかった。

最近「筑紫の磐井」と言う歴史小説を探し当て、作者の太郎良盛幸(たろうらもりゆき・熊本大学社会科出身)氏の愛情深い着眼点や人々の扱い、土地の名さえ作者の温かな息がかかっているような取扱いに安心して読んだ。
歴史小説「筑紫の磐井」(太郎良盛幸著)には、筑紫君磐井は、磐井の乱(527年・11月11日)の後、大和と和議を結んだ時、葛子(くずこ・息子)に位を譲り、「数百騎の騎馬と共に東に姿を消した」と書かれている。
豊国(現在の行橋あたり)へ行ったらしい。
子供のころ私が見て育った丸いお椀の形をした彦山(ひこさん・求菩提山とならんで修験道の山)を通って行ったとも聞く。
筑紫君磐井の人柄は、それぞれを大事にすることから交流を始めているので、火の国の隼人も有明や日田、玖珠、大分大阪方面まで交流が深まっていた。
九州の東へ落ちのびて身を隠したにせよ、その人柄と豊かな体験知識を持つ筑紫君磐井は、引っ張りだこであったはずである。

大和から侵入してきた兵たちは、船旅の後、幾たびもの闘いの末、ほとんどの者が負傷するか疲弊している。
工人ではない兵士がノミと槌を持って戦火の中、わざわざ石を割って岩戸山古墳群の石人・石馬を崩す力があったであろうかと言う疑問がわく(星笛館主弁)
ではいったいだれが、いつ石人・石馬を崩したのだろうか。今のところ私にはわからない。

大和(継体天皇・自分に反対する者を陥れて天皇にのし上がっている)と筑紫は筑紫の地で最後には和睦したのである。
その時の乱が磐井の乱であるが、もともと筑紫側は、乱を起こす気もなく、応戦を余儀なくされただけであった。

筑紫君磐井は、父の隈井王が朝鮮の新羅に留学した時に連れて来た紫雲媛(しうんひめ)との子供である。
これは2回目の結婚である。
当時は留学生活も長く、妻を何人も持てた時代であった。
紫雲媛は蓮華草を日本にもたらしている。新羅では蓮華草のことを紫雲英と言っている。
登場する媛の名は、白雲媛、椎媛、胡桃媛、百合姫、蓬媛、柚子媛、葦媛、藤媛、琵琶媛、泉媛、不知火(しらぬい)媛などと自然からとっているものばかりである。
そのころから薬草はもちろんのこと、葛湯を飲み物にしていた。
筑紫君磐井の息子の名は葛子であるところからして葛と言う植物は重要であったのだ。
今でも古墳時代に飲まれていた葛湯があり、葛餅、葛羊羹まである。

船合戦や、陸での百人単位や千人規模、2万人から5万人規模の闘いがあり、土地に詳しい作者により目に見えるように書かれており、日にちをかけて作戦を練るくだりの会話が的確で大変面白いので後日書くことにする。
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映画「ラブリーボーン」

妹と弟がいる14歳の美少女スージーが、学校帰りの草原で夕暮れ時、変質者の中年の男に殺され、袋に詰められ、男の家の大型金庫の中に詰め込まれた。
「とても素晴らしいものがあるんだけれど見て見ないか」と人気のない草原で近所の中年男から呼び止められてもスージーは最初は断った。
他の子供たちを誘うからいいよと言葉巧みに競争意識を刺激され、スージーはついうっかりついて行ってしまい、2度と戻って来れなかった。
枯れた草をかぶせた地面の下のホールからは、ロマンティクなローソクのあかりがチラチラ漏れていて美しかった。
草原の地下に降りてゆく階段の下には部屋があり、あちこちに置かれている少女好みの人形たちがローソクに可愛く照らされていた。
犯人にそこに案内されずとも、知らず知らずのうちに近ずいて足を踏み外せば、そこはりっぱな仕掛けられた落とし穴になった。

自分が殺されたことをのみ込めなかったスージーの魂は、ものすごい速さで道路を走り家族を見て回る。
天国とこの世の中間にある煉獄に居て、何度となく家族や恋人になりたてでキスもしていない恋人に会いに行くが、相手は気が付いてくれない。
スージーは、煉獄で5人~6人の少女たちに出会い彼女たちがどうやって殺されたのかが映し出される映像を見る。
いたいけな彼女たちは水に沈められたり、土に埋められたりしてたった1人葬られないままさまよっているのを知りお互い抱きしめ会う。
煉獄のイメージにはサイケな原色が使われたりもするが、空や湖や草原の中に鳥籠か虫籠のような瀟洒な東屋が立ち現れる。
だれもが1度はそこに立って見たいと思わせるようななつかしい東屋である。
父と妹は隣人の中年男が、スージーを殺した変質者だと直感的に見破るのだが、証拠を見つけた時には犯人は逃亡していた。


あと少しで天国に行くという時に、スージーは霊能力のある女友達の肉体を借りて、スージーの姿になり、恋人の前に立つ。
2人は抱きしめあい、この世で最後のキスを交わす。
映画館の女性たちは静かに嗚咽する。
映写の光によって、きらきらと光る頬をして泣くと言うことが、女性たちにもたらされていることに不思議な感慨を覚える。
一人で死んでいった少女たちに贈る浄化のレクイエムだろう。
同時刻に犯人によって、スージーの遺体が閉じ込められた金庫が、ゴミ捨て場の中の穴に、諸々の廃材と一緒に捨てられ泥の中に沈められる。


唾棄すべき犯人はドライブインで少女を誘うが、強気な少女にののしられ、少女が立ち去った後、よろけて後ずさりする。
つららが刺さり、崖下にバウンドしながら転落してゆき地面に激突して死ぬ。
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雑感in世間さま(2)

太宰府の九州国立博物館で、京都の禅寺の妙心寺展が開かれているが、妙心寺と太宰府の観世音寺の鐘が並べて置かれていた。
2つの鐘は、兄弟の梵鐘として公開されている。
妙心寺の梵鐘の音色と太宰府の観世音寺の梵鐘の音色の2つを聞くことができる。
博物館に行った日は映像の録音でしか鐘の音は聞くことができなかったが、7世紀末、奈良時代の頃、2つの梵鐘は福岡の糟谷郡(かすや郡)の同じ場所で鋳造されたと言われ姿かたちがそっくりだ。
京都妙心寺の鐘の音色は、たたかれるとグァアーアンと陽気に鳴り、次々に南国の花々が咲き誇るような感じで、余韻の揺れが、うわん、うわん、うわんと強く心を揉む。
観世音寺の鐘は、こころなしか妙心寺の音より低く、ういんういんと揺れる。
2つの鐘を同時について鳴らして合奏させている。
面白くはあるが、やはり1つづつ聞きたいものだ。
妙心寺と観世音寺の鐘は「黄鐘調・おんじきちょう」と言われ東西南北で言うと南の音で、オーケストラが調整音で鳴らす440サイクル(1秒間の振動数)のハ調のラの音である。
妙心寺では吉田兼好が、観世音寺では山上憶良、菅原道真や仙崖(せんがい)和尚がこの鐘の音を聞いている。
録音ではあったが、鐘の音を聞くことができ、吉田兼好をはじめこの鐘の音を聞いた人たちが今はだれも生きてはいないので、そのことによって人は必ず死ぬと言うこの世の無常を知ることとなった。
しかし鐘の音を聞いた日だけは、まっさらの自分に戻れたような気がした。
昨日、今日は意識がひん曲がらずにまともな心地がする。
35年前に好きだった人の名前が浮かんできて、その人の容姿がありありと目に浮かんだ。
それからというもの、緑色の苔むした石の中の時間のスクリーンに石清水の音が聞こえる。
これは私に一体なにを問いかけているのだろう。
一度だけ深くこの憧れを確認して、立ち去りたいと思うのだが。
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雑感in世間さま(1)

街中で空腹を感じたので、久しぶりにヴァイキング形式の自然食の店に行って見たが、店がなくなっていた。
1週間前には明かりがついていたのだが、料理を気に入っていただけに惜しいことだ。
やっぱりそうなったかと合点がいくこともあった。
料理は豊かでまあ満足できてよかったのだが、若い女性の従業員の中には、ぶっきらぼうな言葉しか使えない驚くばかりの者がいた。
店のオーナーさんは、各地を回って従業員に繊細に温かい声かけをし、ことばづかいや従業員のマナー教育をしないと、大変なことになる。本当にこんな一大事なことに気がつかないのか?
食べ終る瞬間、えっと思えるほど素早く従業員がタッタッタと近づいて来て、皿をひいてゆくのでは、えさを与えられ見はられ、せっつかれている気分になる。
早く片付けたい気持が伝わってきて、気持よく食べられない。
お客の方は温かい親切ムードの中で気持ちよくゆっくり食事をしたいのだ。
その昔、と言っても1年半くらい前、10人ほどの教室の仲間を連れてお店に行ったことがある。
大勢だと何割か安くなるのかと聞いたら、彼女は「割引きしてませんっつ!」と不愉快そうなぶすっとした顔で取って返すように答えた。
聞いた方を咎め立てするような答え方では、聞いた方の面目丸つぶれであることが分かっていない。世間知らずのガキめ!とだれもが思った。
人が嫌がることをあからさまには言えない神経は持っているので、従業員が向こうに行った時に「つぶれるよこんな店」とおばさんたちは言いあったのだ。
周りにいた人たちにも響いたはず。言霊とは恐ろしいもんだ。
「申し訳ありませんが、おかわりは何杯でも出来ますので、特別な割引はありません」とか何とか笑顔で言ってくれるとありがたい。
笑顔だと、楽しんでもらおうと仲間を連れて行った者は気分が悪くならず恥をかかない。
この時からもう2度とだれも連れて行かない気になってしまったのだ。
こんな従業員のいる店はだれの心も、ひいては胃袋も惹きつけなくなってしまうはず。彼女を見るたびに不愉快になるので無視していたが半年もしないうちに、彼女はいなくなっていた。その1年後に一等地にあるよい店がつぶれた。
長崎市にもっと美味しいのんびりできるヴァイキング形式の自然食の店を見つけたのでこちらとしては構わないが。
港を見ながら講座の前の昼食でのんびりしている。
坂本竜馬のブームが訪れている今、長崎では竜馬が食べたものと銘打って、その頃食べられていたカステラや、チョコレート、ドロップが売り出されている。
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「かいじゅうたちのいるところ」冒険ファンタジー 原作/絵モーリス・センダック

やらなければならないことが山積みになっている時には、雪深い温泉に行って雪の音を聞いたり、寺内貫太郎一家のDVDを見たり、幸せ満開の日本の着物花嫁衣装の写真集を見たり、あわよくば、いけないいけないと思いつつも映画館に入り浸たりたくなるのだ。
山や崖や落ちている石や草や雲や水の流れの美しさ以外は、今から思うと父親や母親のおかげで地獄の恐怖や屈辱や荒涼感を味わっていた子供時代に、一番楽しみだったのは、少女雑誌の「少女ブック」、「リボン」、「ひまわり」貸本屋などの漫画と紙芝居や映画や家族以外の大人から昔話を聞くことであった。


映画「かいじゅうたちのいるところ」では8歳のマックス少年の父親が出てこない。
家を出て行ったらしいのだが、マックス少年は乱暴に転げ回り、イライラや不安を爆発させ、母親を噛んでしまう。

マックス少年は船に乗って、嵐の中、かすかに炎が揺らめく島に漂着する。
そこでかいじゅうたちに出会うのだがそれぞれが、マックス少年の分身のような合わせ鏡のかいじゅうたちで、みんなマックス少年を食ベたがっており、何かにつけて食べられそうになる。
好意を示して受け止めかくまってくれる女性のかいじゅうも、「食べちゃいたいほど好き」などと物騒な愛情表現をする。
食べられないためには、王様になって彼らが幸せになるような判断をしなければならないのだが、デリケートなかいじゅうたちは、重なり合って眠ろうと、一時ダンスに狂おうと、素晴らしい住居を作ろうと、しっくりと折り合わない。
マックス少年は雪をくりぬいた穴や丸い住居、かいじゅうのおなかの中が、遊び場だったり、避難所、隠れ場所だったりする。
映画「マルコビッチの穴」を監督し、映画「脳内ニューヨーク」の制作に関わった監督のスパイク・ジョーンズが監督した「かいじゅうたちのいるところ」はなんだか緊迫感がひしひしと感じられ怖い。
その怖さは自分の命がいつでも、どこででも失われても不思議ではないと感じられるような本能的な怖さである。
マックス少年が王様の力を持っていないことが、かいじゅうたちにばれ始め、かいじゅうたちのリーダーとマックス少年の関係にずれが生じてくる。
それでもマックス少年を信じて一緒に遊んだ記憶がかいじゅうたちのリーダに蘇り、島を出てゆくマックス少年を、浜に駆けつけて見送る。
冒険で一回り大きくなって家にたどりついた少年は、母親に強く抱きしめられる。
肉親の母親がいても、その女性が根本的に抱きしめることを知らない「藁の母人形」であることが多いのだが、そういう母しか持てない人々はどうすればいいのだろうか。
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あの人は今

いまさらという感じだが、何度となく見た映画に「禁じられた遊び」(1951年フランス・ルネ・クレマン監督・ナルシソ・イエペス音楽)がある。
戦災孤児の5歳の少女ポーレットと10歳の農家の末っ子の少年のミッシェルの可愛さに、こんな子たちがフランスには居るのだとなと見つめた映画だった。
2人で十字架を盗んで死んだ動物たちのお墓をたて、司祭や大人たちの顰蹙を買う。
ミッシェルのガサツな親や兄弟たちに可愛がられたり急に邪険に扱われたりしたポーレットは孤児院へ引き取られることになる。
映画では、ポーレットが修道女に連れて行かれる時に、ポーレットはミッシェル少年に似た姿を人ごみの中で見かけ、少年の名を呼びながら、走り去ってゆくところで終っている。
再びポーレットが迷子になってしまうのではないかと心残りが後引きするする映画だった。


ポーレット役のブリジット・フオッセー(現在は63歳)はどうしているだろうかと、何かにつけて思い出していた。
子役を引退した後、20歳ごろ映画界に戻ってきたと聞いていた。
時々ブリジット・フオッセーが成長したらこのようになるのではないかと思われる女優を映画の中で見かけたような気がしたが調べて見ることもなかった。

見ると毎回胸が詰まり号泣してしまう最高傑作映画「ニューシネマ・パラダイス」(DVDでは完全オリジナル版ノーカットもある)の中に、主人公の少年が長じて映画監督になって帰郷した時に、昔の恋人に再会する場面がある。
その場面がカットされていないものには、昔の恋人役で中年の美しい女性になった役でブリジット・フオッセーが出ていた。
居座り感のない気品のある女優になっていた。
かなり長い再会のシーンには、見入ってしまうだけの魅力があった。


今年の2月から1年間、朝10時の映画祭が始まっていて、「ニューシネマパラダイス」は多分ノーカット版が6月に上映される。
劇場版でノーカットは見たことがないので楽しみにしている。


ブリジット・フオッセーを再度思い出したのは、「愛のロマンス」という曲の2部合奏をオカリナでやり始めたからだが、教室生たちは映画「禁じられた遊び」をほとんど見ていたので、哀愁のこもった音色が濁らずテンポもよく持ちこたえられているように聞こえる。
皆の胸に映像が蘇ってきて、受け入れ易く、身にしみついているメロデーだからかもしれない。
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