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春の宵の映画 変わり種バンパイヤその(1)

待ちに待った半バンパイヤ少年の冒険ダークフアンタジー映画「ダレン・シャン」(アメリカ)を見に行った。
小説の方は12巻まで夢中で読んだ。(別巻13巻もある)
そのうち映画化されると言われながら、かれこれ4年~5年待ったあげく、忘れてしまっていた。
小説と映画は別物であたりまえだと思っているので、自分の中のイメージとは違っていたのでがっかりしたと言って怒ったりはしない。
映画は映画で楽しもうではないかと言うところだ。


学校から禁止されている奇妙なサーカスを見に行った高校生の16歳の2人の少年、蜘蛛好きなダレン・シャンと親友のスティ―ブ。
サーカスには足に毛の生えた赤と黒とブルーと白(小説では緑と赤と紫の極彩色)の巨大な毒蜘蛛(赤ちゃんの頭大)のマダム・オクタと中年男性のバンパイヤ、クレプスリーがいた。
バンパイヤにあこがれていて自分もバンパイヤになりたいと思っているスティ―ブは、資料もたくさん持っていて、クレプスリーを一目見るなり彼がバンパイヤであることを見抜く。
蜘蛛が大好きなダレン・シャンは、巨大毒蜘蛛のマダム・オクタを盗みだす。
普通は夜のサーカスに忍び込んで毒蜘蛛を盗みだすような高校生はいないだろう。
そもそもここからダレン・シャンに災難が降りかかってくるのだが、彼には自分から大きな変化に巻き込まれていく決心ができているようなところがある。
ダーク・フアンタジーの作者の名前もダレン・シャンであり、彼は同名のダレン・シャンと言う1人の少年が物語の中で成長し、過去と未来を通して人間とバンパイアの間の垣根を越えて交流し、成し遂げようとするものを追っている。
作者の立つ地点は未来にもあって、そこから現地点を見ているところがある。
確かに小説の12巻では、未来の彼は過去に戻って行き消えてしまった。
ただのダークフアンタジーではない。


さて映画では、親友のスティーブが巨大毒蜘蛛のマダム・オクタに噛みつかれる。
解毒剤が必要になったのでダレン・シャンは、バンパイヤのクレプスリーに会いに行く。
ダレン・シャンは、半バンパイヤになると言う条件付きでバンパイヤから解毒剤を手に入れる。
ダレン・シャンは自分が死んだことにして墓地に埋められた後、いよいよ凶暴な吸血鬼の集団と対決する力をつけるために修行の旅にでることになる。
苦難の旅であることには間違いない。
少年が親や妹や親友と別れてまで成し遂げなければならなかったことを一緒に見て見たいではないか。

渡辺謙が奇妙なサーカスの団長になっていて、布袋(ほてい)さんのようなゆがんだ額をして邪悪な雰囲気を醸し出してる。
奇妙なサーカス団やバンパイヤが移動する夜の空間、土に埋められた棺桶の中の闇にはぞくぞくしてしまう。
映画は小説の三分の一のところで終わっているので、いずれ続編が作られるに違いない。
次回は韓国映画の、神父がバンパイヤの「渇き」を予定。
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「センセイの鞄」コミック」(3) 作画・谷口ジロー 原作・川上弘美

題名になった「センセイの鞄」の中の鞄は最後に登場する。
センセイが亡くなった後に、ツキコはセンセイの遺言として、1人息子から鞄を受け取る。
鞄の中は空っぽである。
夢辞典によると、鞄を貰うと言うことは、望み事が叶い、利益を得ることであるので、センセイの保護や呪縛が無くなったツキコは、時々デートを重ねていた同級生と結婚するかもしれない。
センセイとツキコは、世間の夫婦のように夫から妻が経済的に養われる形の2人羽織型(夫が妻の後ろに居て交流関係も支配する)の生活はしていなかった。
センセイは、ツキコが男友達と会っている時には、必ずツキコの脳裏に浮かんで、自分の方が人品が上であることを主張した。
ツキコがデートの準備をしていると生き霊のごとく現れてはデートを心的に妨害した。

センセイとツキコが食べたもので美味しそうだったものは、まずは島の旅館で食べたポン酢をつけて食べるほんのり肉が赤くなる柔らかい蛸しゃぶである。
2人は酒ともだちでもあるのだから、ミル貝にこち(高級魚・魚臭さがない)、茹でしゃこ、大海老フライ野菜の煮物なども酒の肴にして美味しそうに食べる。

とび魚を生姜醤油で、かつおとそら豆、唐辛子のきいた菜(こんにゃく)もいいなと思う。
「センセイの鞄」のあと谷口ジロー作画の「欅の木」「歩く人」を読んで、小津作品のような味わいを堪能した。

1週間に3回もあった発表会の最後の発表会の帰りに、映画「カラヴァッジョ・天才画家の光と影」を見に映画館に駆け込んだ。
騒音や乱雑さに対して、我慢しきれないギリギリのところに来ていたため、映画音楽で心の立て直しを図った。ついでにふりかかったあく汁も洗い流したかった。
16世紀のローマ、バロック絵画の先駆者、天賦の才能を持った天才画家カラヴァッジョは、男女のパトロンを持ち、娼婦や庶民をモデルにして、聖書の中の聖人や聖女の絵をカトリック教会のために描いた。
腐乱死体や罪人の斬首や火あぶりをまじまじと見つめた。
放蕩を繰り返して殺人を犯し、追われる身となるが、カラヴァッジョの光と影のコントラストがはっきりした絵は見ごたえがあり、「光の部分は美しく、影の部分は罪深い」と言うのは彼の人生そのものであった。
映画の中でてごたえのあったところは、カラヴァッジョが、カトリック教会から死刑が許されて船でローマへ帰る途中、病にかかり船の中で死なれては面倒だと言う漁師の考えで、小島にポンと廃棄物のように捨てられ、海藻のように海に浮き、波に引きずられて死んで行くところだった。
激情のままやりたいことをやり、売られた喧嘩で人を殺し、死刑判決を受ける男であったが、悪人には見えない。むしろカトリックの方が残酷で頑なである。


今年3月、アイルランドのカトリック教会の聖職者たち(神父や修道女)が60年にわたって行ってきた数千人の子供たちに対する性的、肉体的、精神的な虐待が明らかになり、バチカンのローマ法王ベネディクト16世が、このカトリック教会の性的虐待事件に対して謝罪している。
神父たちの虐待事件が発覚すると、カトリックの上層部が、神父たちを転勤させ、見て見ぬふりをしていた。
神の名を利用していびつなことをする連中がはびこっている。
孤児院、更生施設、障害者施設にいる聖職者がいったい何を考え違いをしたか、生きながらにして地獄に落ちていたのだ。
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「センセイの鞄」コミック(2) 作画・谷口ジロー 原作・川上弘美

「おたくら どういうんですか?」「歳も離れているんだろうに、いちゃいちゃしちゃってさ」「「このじいさんあんたと月何回○○○」
センセイとツキコは行きつけの酒処で酔った若造から侮辱的な言葉でからまれる。
そんなこと大きなお世話だし、見も知らぬ相手から、とやかく言われることでもない。

「いいご身分だよね おたくらは」とからんだ若造には共鳴するところもある。
若造は、道徳を説く一見紳士風なおじいさんが、自分はこっそり若い女の頭を撫でたりしながら、羽目を外したお付き合いをしているように見えるところに反感を抱くのである。
この紳士が元教師であると言うことを知っている読者の私は、受験地獄の中、何処かの大学へ生徒を送りこめばいいと言う教師の態度の底にあるものを全く信じていなかったので、この若造に共感するところがあるのである。
就職難の昨今、必要な現代史も教えないまま定年を迎え、悠々自適に過ごすとぼけ顔の元社会科教師なんて最悪だ。
うっぷんのたまった教師は放課後や休日にストリップや、おねえバーや、競輪、競艇、競馬など々に行って発散しても一向に構わないので、生徒をストレスのはけ口にしないで欲しいのだ。
ある教師たちの、国歌や国旗をなくしてしまえばいいと言う抵抗は、現在においては国際的には通用しない。国旗と国歌のない国はどこにもないからだ。

センセイは「キミのような男とは、ワタクシは話をいたしません」と心の中で若造に対して呟き、ぴしゃりと言う音がしたように感じられるほど冷ややかに無視する。
内田百閒の小説「素人掏摸 しろうとすり」の内容に倣って、酔った若造の金鎖のイヤリングを持ってきてしまう。
センセイの箪笥には、昔の汽車土瓶(茶器)、マジックで年月を書いた電池(伊勢湾台風の時のものもある)、カセットテープなど他人にとってはガラクタにしか見えない記念品がしまわれている。
センセイがサイコパスで、死体など収集しているとなると大変であるが、センセイの趣味は他愛もない。

センセイ「ツキコさん(袖すりあうも)多生の縁てどう言う意味かご存知ですか」
ツキコ「多少ですか?」
センセイ「多生と言うのは、生き物は何回でも生まれ変わると言う仏教の考え方から来た言葉なんですよ。前世で結ばれた縁と言う意味です」
ツキコ「センセイと前世から結ばれていたんですか」
若造には思いも及ばないなかなかの殺し文句である。
センセイ「人と人とは誰もそうでしょう たぶん」
ツキコ「前世って センセイ信じますか?」
センセイ「ええ 少しばかりね」
センセイは、相手と自分の前世でのつながりを、さぐっているふしがある。
ツキコ「そう言えばセンセイ いつ頃すりの技を身に付けたんですか?」
センセイ「前世でね ちょっと」
センセイの中に流れる前世物語を覗いてみたい気がする。
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「センセイの鞄」コミック」(1) 1巻~2巻  作画・谷口ジロー 原作・川上弘美

たて続けに、老人と独身の若い女性の恋物語を知ることができる作品に出会っている。
NHKのドラマ「火の魚」では、老小説家と癌で余命幾ばくもない女性編集者の、はっしとした会話のつばぜり合いが見られたが、今回の「センセイの鞄」のセンセイは怒鳴らず穏やかな人物である。
ツキコはよく行く居酒屋で、ツキコとは年齢が30歳以上違っている高校の時の国語教師のセンセイと偶然に出会う。
それからもしょっちゅう顔を合わせることになる。
漫画家の谷口ジローさんは、今ヨーロッパで最も評価が高いそうだが、60代位の女性と、40歳位年下の男性との恋物語がないのは、日本では成立しにくいからなのだろうか。


大町ツキコとセンセイはお品書きにある酒の肴の好みが、ほうれん草のごまあえだの、きりぼし大根、茄子のしぎやきだのとほぼ同じで、勘定は最初は先生が払ったが、2回目からはそれぞれが払っている。
センセイには松本春綱と言うりっぱな名前があり、そうとうな堅物であるが、15年ほど前に奔放な妻に逃げられている。
ツキコはセンセイのお宅にお邪魔することもあり、2巻目でやっと結ばれた後、結婚はせずにセンセイに死なれるのだが、しばらくは酒友達として時を過ごしている。

ある日、よく行く店のご主人と4人~5人で茸狩りに行くことになった。
油でいためた茸の馥郁たる香りのする味噌汁を皆で食べながら、茸談義をしている中で、センセイが毒茸の笑い茸をわざと食べた妻だった人の話をし始めた。
センセイの元妻は、笑い茸の威力や症状を知っていながら、笑い茸の泥を払ってパクリと食べた。
平凡なセンセイには飽き足らず、現状を覆したい欲求があったからそう言うことをしたのかもしれない。
元妻は、山を下りるあたりから途切れ途切れに笑い始め、そのうちに切れ目なく笑い始めた。
それは嬉しそうな笑いではなく、こみあげてくるような笑いを抑えようとしても、無理やりに起ってくるような苦しい笑いであった。
センセイの元妻は、「止まらないのよう、アフフフ、喉や顔や胸のあたり、思うようにならないのよう」と夕方まで笑い続けた。
よく聞く笑い茸の症状は本当だったのだ。
家を出奔した元妻は、「止まらないのよう」と言いながら次々に男性を変えて行ったのだろう。

妻「人が生きて行くことって確かに迷惑をかけることなのね」
センセイ「あなたが迷惑ををかけたのでしょう。自分個人のことを、一般に敷衍しないでください」

ツキコは下山する途中、心惹かれるセンセイと一緒にお酒に酔ったせいか、毒茸を食べた時のように笑いたくなったり泣きたくなったりする。
ツキコ「センセイ逃げた奥様のこと今でも好きなんですか」
センセイ「アハハハ アハハハ 妻はいまだに私にははかりかねる存在なんですなあ」
と言うことは、気になっていると言うことで、ツキコを誘って2巻目では妻の墓のある島まで墓参りに行っているのだ。

昔の教師仲間と桜見物をする時センセイは、公の先生顔をして嫌いなものが無くなり、みんなと趣味まで合わせてしまう。
主婦だった元妻は、公の顔を持たずに済ませられていたので、自分に正直な振舞いもできたのだろうなと思う。
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船酔い気分

朝から真昼間を通り暮れ方にかけて、ドアを閉め切り、分厚い緞帳を上げ下げし、鼓膜が破れそうな強烈な音量のさ中、人々は暗がりの中を右往左往しホールを探し当てては、一点に光を集中砲火させて、集団で踊り狂う。
溺れながら音を奏で、ジグザグな行進をする者たちもいる。
そこには静かな狂気が発酵している。
てかった金銀、ピンクに青にオレンジの魚や鳥たちを腰回りに回転させながら、恐ろしく速い時間に巻き込まれて、空間遊泳しながら吹っ飛んで彼方へそれてゆく。
日曜日の曇天の、そこここの会場では、健気な芸能祭が催されているのだ。
人間のさみしさの塊が彼らから霧のように溶けだし漂いながら、彼らを黒く襲い返している。共倒れと言うよりか共食いだ。
私たちは生きるためにここへ集まっているが、死んで行くように見える。
まるでマルテの手記を地で行っている界隈だ。
嘘が嘘と見破られるのは驚くべきことではなくなったが、空腹だけがわがもの顔に明るく浮き立ち生存を主張する。
人々はテーブルを囲んで飲み食いし笑いながら年をとってゆく。
人々は何者かによって賄われている空き家のようだ。



映画「パレード」
4人の男女の共同生活。堕胎もあるが、映画雑誌の編集をし、高度な語学を身に付けたさわやかで知的な青年(男優・藤原竜也)が連続殺人犯だった。
一番やりそうではない人物が殺人犯である。
ジョギング中トンネルの中で、赤い傘をさした女性を殴り殺す。
藤原竜也は時々、早回しした時のような話し方をする。


映画「しあわせの隠れ場所」
恵まれた体格と新しい家族の応援でフットボールで身を立ててゆく実在のホームレスだった黒人青年。
アメリカの経済的に恵まれた白人家庭の4人家族の中で育ってゆく。
寒さの中、Tシャツ1枚で歩く孤独な彼を拾って家に連れ帰った主婦を演じたサンドラ・ブロックのすさまじく強烈なせりふや啖呵が気持ちよかった!!


映画「シャーロックホームズ」
1つの場面が1秒も映し出されずにばしばし音を立てながら次々に切り替えられてゆく場面が多発。現代はそう言う用い方もある時代だ。
事件を追って解決に導く時以外は、シャーロックホームズはゴミと埃の中で鬱的な暮らしをしている。彼はボクシングがめっぽう強くて、静と血みどろな動の対比がすごい。
ダークベーダーのような悪質な殺意を持った神父を動かしているのは、最も犯人らしくない仇敵の男だった。
悪人の悪人面がいかにもと言うところで感心した。
名探偵が惚れるのはお色気たっぷりの女盗賊。
ワトソン君には、美男のジュード・ロウが。



NHKテレビ番組 再放映「火の魚」
翡翠の玉のような女優の尾野真千子が忘れられない。
久々に見る珠玉の中の珠玉。
原作・室生犀星
成り立ちそうにない会話の背後で感じさせる言葉 脚本・渡辺あや。
女性の意思を感じさせる丁寧語が美しい。
忘れられた老作家と癌が再発した女性編集者の会話が奥深い。
終盤の「もてたような気分でございます」の滋味たるや。
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「テルマエ・ロマエ」 ヤマザキマリ

テルマエ・ロマエとは、ローマの浴場のことでヤマザキマリさんの漫画の題名である。
昨日は、早朝から風雪の中を2時間、JRの電車に乗って別府・大分へ向かった。
強風のため休みながら突っ走る電車の中で、粉雪から夢見心地のする牡丹雪に変わった時、この漫画の中の、猿の来るのどかな温泉をふと思い出した。

古すぎるアイデアしか思いつかなくて失職した古代ローマの風呂の設計技師、ルシウス・モデストゥスが、現代の日本の銭湯や温泉場にタイムワープして、画期的なアイデアを持ち帰り、含蓄ある愉快な物語を繰り広げる。
第1話では、古代ローマの浴場に調査がてらやってきたルシウス・モデストゥスは、(彼は毎回必ず風呂に溺れる。時空の隙穴に落ちる)その時に銭湯文化の進んだ日本の銭湯や温泉場にタイムワープするのである。
日本の銭湯の富士山の壁画を見て感動し帰国したルシウスは、さっそくベスビオス火山の壁画のある浴場を設計し大好評である。
脱衣籠、プラスチックの桶や腰かけ、入浴後に飲む果汁入りの牛乳や栓抜きにも痛く心を揺さぶられる。

第2話では、半年前にベスビオス火山の壁画のある浴場に入ったことのある、地方の執政官の別荘に呼び出される。
今では歩けなくなった執政官から、館から見える本物のベスビオス火山を見ながら入れる風呂を造ってほしいと所望される。
ルシウスは庭にある温かい地下水の源泉調査中に、湯の湧き出ている池に落ち、日本の観光旅館の岩風呂にタイムワープしてしまう。
観光用に作られた日本旅館の岩風呂には数匹の猿が気持ち良さそうに入っている。
シリウスは猿を日本で生まれて初めて見た。
温泉卵なるものを食して美味しさに旨い!と叫ぶ。同じく湯につかって飲む日本酒にも感激する。
そこでまたもや古代ローマにタイムワープ。

温泉かけ流しの風呂に入った古代ローマの地方執政官は、元気を回復し、新しい妻に子宝も授かり、今では家族で風呂に入りワインを飲みながら談笑している。

ルシウスは、ベスビオス火山が見えるまん前の湯船の中に陣取っている生き物に気づく。
タイムワープした時に猿を一匹連れてきてしまったようなのだ。
執政官「直接危害を加えてくるとかではないからいいのじゃが。おぬしアレが何なのか存ぜぬか?」
シリウス「い・・いや存じませぬな・・ハハハ」
執政官「そうか じゃあこのまま放っておくかいのう」
シリウス「あやつどうやって 帰るつもりなのか!?」
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石人 石馬の破壊(個人的見解)

古代の北九州(福岡・八女地方近辺)には古墳時代の筑紫君一族の王家の谷があり、現在も発掘がおこなわれている。
2005年には、筑紫一族直系の鶴見山古墳から出土した青銅鏡の破片から、当時の人間の毛髪の残存物が見つかっている。
王の嶽八女(たけやめ)、隈井、磐井の生前から墳墓が作られていた時代は5世紀~6世紀に遡る。
朝鮮半島の影響を受けたと言われる文化遺産はそれだけではないが、的を石人・石馬に絞って見ることにする。
石で造られたものには、裸体石人、兵士、盾・猪・水鳥・鶏、刀、靱(うつぼ)と言う靫の誤字で、矢を入れる道具がある。
ここにはおおよそ全部で150基~300基ばかりの墳墓があると予想され、墳墓の周りにずらりと石人・石馬が並べられている。
この石人・石馬は6世紀の磐井の乱で、大和軍の兵士によって手足や首をもがれ破壊されたと言われている。
バーミアンの仏像が、偶像崇拝を禁じる者たちによって爆破されたのは、ダイナマイトによってであろう。
しかし古代の日本の筑紫にはまだダイナマイトはなかった。
少人数のこぜりあいはあったが、総じて6万の大和軍による1年半の戦闘に次ぐ戦闘で、途中兵士の入れ替わりはあったとしても、兵士が槌とノミでもって多くの石人・石馬を砕いて破壊して回る余力があったかどうか疑問である。よほどの憎しみがない限り石を砕くのはつらい作業である。
磐井の乱の和睦が成立したのは、磐井の息子の葛子(くずこ)が糟屋の屯倉を大和に差し出したからであるが、その後からであれば、食糧が大和の兵士にも与えられ、体力もついて石人・石馬を破壊できたであろう。
素手に槌とノミを持って石を割り、亀裂を入れ、塊をもいでゆくためには、力がそうとう必要である。
磐井の乱で大和軍が勝利した後、王である磐井君が見つからなかった腹いせに、地元の石工たち自らに、石人石馬を破壊させたとの見方もある。
朝鮮の新羅と交流のあった筑紫国に、朝鮮からの渡来人の石工たちがいた。
彼らも交えて石工たちの被った屈辱は、はかり知れない。
磐井君の父、隈井君は、新羅に留学した時に、2度目の妻の紫雲媛を新羅の王の一族からもらっている。
生まれた息子は磐井の乱を起こしたと言われている磐井君である。
本当は磐井の反乱ではなくその時の権力者の継体天皇の名をとって継体の乱と言うのがふさわしいと言う人が多い。
筑紫国や内乱のことは、日本書紀、古事記、筑後国風土記、国造本紀に書かれていて、記した者の主観が入っているそうだ。
相手国をとことん自国の権力にひれ伏させるために、命令された誰たちが石人・石馬を崩したのだろうか。

そもそもなぜ今頃マイブームとして筑紫の王家の谷の石人・石馬なのだろうかと自問自答してみた。
墳墓の丘陵で、月を見ながら1回、雪の舞う中で1回コンサートをしたのは、人からの依頼であった。
3回目のコンサートは雨天の時で、陳列室でやった。
昨年の★阿修羅展の時に、出口あたりの部屋に並べられていた筑紫の兵士の石人像に強く魅入られたとしか言いようがない。★(阿修羅展ではなく、妙心寺展の間違い)

弥生時代から古墳時代にかけて、カメ棺の中には胴体と首が別々に入れられているものがある。
同一人物でない場合もある。
中には剣先や矢じりが頭骸骨や腕や足に突き刺さったまま出てくるのもある。
彼らのことをまぶたの裏に感じ、彼らの一生を思い、石笛や弥生の笛で、み霊を慰めることしかできないのであるが。

○参考本「古代最大の内戦磐井の乱」大和書房・「磐井の乱と九州王朝」同成社
●考えのくい違いや間違い字に気付いてブログを手直しすることがあったりする。

★青銅鏡の破片の残存物の毛髪は、被葬者のものだろうかそれとも埋葬に関わった者のものであろうか。青銅鏡には、ヒメクロバエのさなぎの痕跡もあった。ヒメクロバエの産卵には光が必要だそうだ。死者を石室に埋葬する前、一定期間、外に置いておく殯(もがり)と言う風習はそのころからあったと言われる。(西日本新聞)
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おばさんのわがまま化?

夕飯に餃子が食べたくて、地下街の中華飯店で、餃子とごはんと茄子の中辛味噌炒めを個別に注文した。
この三品を
茄子味噌→ご飯→餃子→水→ご飯→茄子味噌→搾菜(ザ―サイ)→ご飯→餃子の順で楽しみながら食べて行くつもりであった。

どこの店も入店すると、親切に席まで案内してくれる。
この中華飯店でも当たり前に、ぼってりと太った青年が、座席をあごで指示した。
何が不足だったかと言うと、人間を数として、捌いているので温かみに欠けていたことである。

案の定、ごはんと茄子の中辛味噌炒めだけが先に来て、餃子が来ない。
餃子はしっかりと焼くために時間がかかることぐらい知っている。
と言うことはすぐ持って来る茄子の中辛味噌炒めは、作り置きなのか。
餃子は少し時間がかかりますと、一言、言ってくれれば、我慢するのに。
しかしお客を我慢させるお食事処って、一体全体何?
お客様相手の仕事ならば、お客を喜ばせてこその存在理由ではありませんか。
ここはデザートを頼んでも毎回、いつも持ってくるのを忘れるので、全部一緒に持って来てもらうことにしていた。
お客にいらない心配をさせるお食事処っていったい何?

ゆるゆるとごはんと茄子の中辛味噌炒めを食べ始め15分たっても、餃子が来ない。
だいぶイライラしてきた。
自慢じゃあないけれど、この1週間はろくなものは食べていない。
仕方なく餃子だけを味わうつもりで8分待ったがまだ来ない。
10分たってとうとう席を立ち上がった。
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ペンネーム 辛酸なめ子

漫画家でコラムニスト、テレビタレントも時々やっている辛酸なめ子さんは、もうひとつ池松江美と言う平凡な名前を持っている。
小説を書く時などはこの名を使っている。
最近漫画「辛酸なめ子の千年王国」を読み返し、大笑いしていた時に途中に織り込まれているものに「號外(ごうがい)ヤドカリ」があった。
ヤドカリについての専門的な説明図や漫画絵や、さまざまな見解が載せられている。
その號外(ごうがい)発行者の名前の池松江美の名が、胃毛魔杖魅になっているのを見つけた。
い・け・ま・つの最後の「つ」と、え・みの「え」を並べて杖(つえ)にしているところが面白くて非凡だ。
胃毛魔杖魅(いけまつえみ)こんなの見たことがなくてニャリと笑えた。
この頃、本名とペンネームの境界が曖昧になってきているらしい。

戸籍名で詩や小説を書く時は、総じて書くものが無難で、生活雑感であることが多い。
人智、人徳に劣る内容を盛り込んだ詩が、戸籍名で書かれていると、その恐ろしい異常な内容がどこまでも普段のその人と切り離されていない気がして、受け入れ難い。
その点、ペンネームを使うと、創作界に入界しているので、どんなことでも書けるし、異常さにも驚いたりはしない。

辛酸なめ子さんこと池松江美さん変じて胃毛魔杖魅(い・け・ま・つえ・み)。
彼女が「號外(ごうがい)ヤドカリ」で書いた漫画+記事8つの中の1つを紹介しょう。
「ヤドカリと音楽」
ヤドカリはどんなジャンルの音楽を好むか調べてみた。様々な音楽をウオークマンで数分間ずつヤドカリに聞かせ、それぞれの反応を見る。
1)シューベルト(未完成)
●動かない静かに聞いているのかもしれない。

2)パブリックエナミーの曲
●イヤホンを避けるような動きをした

3)マンドリン・ギタークラブのコンサートのテープ
●目を少し引っ込めた

4)河内屋菊水丸の曲
●反応なし

5)青い山脈
●反応なし

以上調査の結果から、はっきりしたことは言えないが、ヤドカリはクラシックが好きでラップが嫌いなのではないかと思われる。
もしくは、聴力を持たないんではないかと言う意見もある。

辛酸なめ子のペンネームで書いた「ほとばしる副作用」「アイドル食中花」の中のスターやアイドルいじりは裏の心理を突いていて抜群である。
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