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リーディング教室での実感(1)

舞台の上で演劇用の台本を手に持って台詞を読み、みんなで演じて行くリーディング教室に通っている。
今回の講師映画監督、脚本家、演出家でもある知的な女性Zさんである。
質問して行く途上で、彼女によって読み説かれている脚本の内容に示唆や暗示を受け、一人では感じられないことや、分からないことが突き詰められて行く快感を感じることができた。
自分と異なった解釈を知り、さらに深い疑問となって展開してゆくことは、生きる手ごたえを感じることである。
まだ始まったばかりだが、20人ばかりの人々が一堂に集まって楽器の音ではなく、言葉を発し、時間を共有することは新鮮な体験だった。
発動し、掻き立てられ、自分の位置を血で記す鋭い感覚が蘇ってきた。

しかし出るはずの声が、自分の気に入ったように出てこない。体の節々が痛い。
どれだけ鈍っていたかがよくわかる。
1人で声がよくなるカモメのポーズのヨガをしたり、北原白秋の韻文詩「50音」(あめんぼ赤いなアイウエオ~)で発声練習をしたりしている。
なんかとても楽しい。
古代の植物や生き物がガラパゴス諸島のようにまだ生きている「キングコング」の映画の中で、キングコングの故郷の島の岬から見えた、晴れ渡った空から夕焼けの空に変わって行く途中の、明日に夢が抱ける希望の真っただ中にいるようだ。

いただけないことが一つある。
3グループに分かれて、全員で練習している時に、むやみやたらに暴力的な大声をゲロを吐くように出す人がいることだ。
男女交えて3人いた。
女性の、ところ構わずなヒステリックな感情むき出しの垂れ流し声にも、嫌気がさす。
公共であると言う場所柄と他人に対する配慮と、どんなふうに汚く、うるさく聞こえているのかと言う状況を把握できないのだろう。
言葉を発する1秒にも満たない前に、変な唸りを入れる癖は、いったいどこでついたのだろうか。
このような前引音(館主造語)の唸りには大柄さを感じて気持ちが悪くなる。
語尾を下品に上げたり下げたりするのもよくあるが、教師によって刷り込まれた学芸会の弊害の名残りだろうか?
楽器の演奏を例にとると、まだ曲を吹きこなせず、よたよた歩きの演奏者が、装飾音をやたらにつけ、アクセントやテヌート(強・十分に保つ)を使いすぎてみっともないのとそっくりだ。
装飾音の使い方がしつこかったり外れたりするとガサツになるか間延びしたりする。

内容を消化して理解すると、程よく押さえた演技ができるようになり、その中からふつふつと打ち寄せ、発せられる言葉に出会えるだろう。
その時きっと強と弱が要所に見つかるだろう。まるで初めからそこあったように。
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ゴシックホラー  映画「ウルフマン」 親子の謎の確執

狼男の小説映画や漫画では、そもそもなぜ満月の夜に、たけり狂う狼男が各地で誕生してしまったのかは謎であり、解き明かされてはいない。
狼男は、フランケンシュタインのようにオカルト的な科学者が生み出したものではなく、古代から代々伝わってきた何かの呪いによって出現したと言う風になっていて、直接的な原因解明はなく、心情的な霧の海の中でぼかされている。
それで納得してしまう土壌が確かに自分の中に謎の霧としてあるのはほんとうだ。
隠蔽された人間のどす黒い部分が、魔物を人間の身体に誕生させたのか?
邪悪であるにせよ神聖であるにせよ、人間に共通の欲求が呼び寄せた幻覚なのであろうか?
現代では狂った変身願望かまたは、僻地の風土病か、精神病の多重人格として取り扱われている。
女性の吸血鬼はいるが、狼女はまだ見たことがない。

今回の狼男は、まず19世紀末のイギリスの古城のタルボット城に住む父親が、アジアアフリカの僻地を訪れた時に魔物に噛まれたことが原因となっている。
僻地の魔物はいったい何が凝って形をなしたものであろうか。
キリスト教の悪霊の軍団のレギオンなのか、古代のアジア・アフリカの魔物なのかその源は分からない。
魔物や悪霊たちは、虚しい者たちだから、光の下では生息できない。
彼らの言い分を聞いて世に出してくれるのが、宗教説話や映画やお芝居であろうか。
ゴシックホラーだけあって城や墓地や森やロンドンの空気の暗さが不気味に美しい。
人々の身につける衣服はほとんどが黒であるが、画面全体に黒の紗がかかっているので、白は弱く儚く見える。
狼男は、迷信的な呪いか、原因不明の奇病の1つか精神病の1つとして扱われている。

兄が何者かによって惨殺されたので兄の婚約者から手紙をもらったロンドンで役者をしている弟のローレンスは故郷の古城に戻ってくる。
ローレンスは村で狼に似た魔物に噛まれるが、傷が瞬く間に治ってしまい、満月の夜に狼男に変身する。
ロンドンの精神病院でショック療法を受け一時回復したかに見えたローレンスは、男たちばかりの法廷で狼男に変身し、人を喰い殺してロンドンにいる兄の婚約者に会いに行く。
ローレンスは兄の婚約者と相思相愛になっているが、狼男を愛した女性が子供を産めば子孫はどうなって行くのだろうか。
幸か不幸か2人が結ばれることはない。
「狼男一家」で1本映画を撮る監督がいるかもしれないが、妖怪の映画「アダムスファミリ―」のようなコメディになりそうだ。
父親とローレンスの親子で、亡くなった母を異常なくらい愛している。
狼男になった父親が母を殺していた。
制御できない狼男の血がたぎり始めると、見境なく妻や子供まで殺してしまう。
2人がなぜ狼男になってしまうのか分からない。
地球上にある僻地の呪いと古城の呪いとが共振したとしか言いようがない。
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男子は生き残れるか?「女性たちよ、平成皇室を語れ」竹内久美子

竹内久美子さんの「男子誕生の確率高し」を読んで最初に飛び出してくる考えと、3日~4日経ってから浮かんでくる考えがあった。
5日目には、第1日目で唐突に浮かんできた考えが再び現れた。
「皇室の男性にしか存在しないY染色体に載っている遺伝子のセットが、男系でつなげられれば、たとえ何代を経ようが散逸しない」(動物行動学研究家・竹内久美子さん弁)
と言うことは、劣化してきていると言われているY染色体が、ここではしっかり生き残って行くのだろうか?
それは皇室だけに祖先の天皇たちが記録として残されるから、よくわかる特別なことなのであろうか?
調べようがないが、厳然として目の前に見えていることは確かである。
600万年後までY染色体の系列の記録を残せるのは、特殊な環境と役割を果たす祈りの皇族たちだけなのか?
600万年後には、人間の男性のY染色体が消滅し男性がいなくなると言われている。
これは皇室でも同じ運命なのだろうか?


一夫一婦制が取り入れられている人間は、劣化した精子を持っていても子孫は残すことができる。
チンパンジーなどの乱婚でおこる精子の過当競争がない。
女性になる染色体はXXと2つあり、その片方Xの機能が劣化すると、もう1つのXが補うことができる。
男性のY染色体はXYの中のY1つしかないので、何らかの影響でコピーミスが生じれば劣化の一途をたどることになる。
もはやY染色体の遺伝子は78しかないそうである。
X染色体では1000以上の遺伝子があるが、Y染色体も、もともとは同じであった。
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竹内久美子「男子誕生の確率高し」

「皇太子と雅子妃の運命」平成皇室大論争 文藝春秋編
この本の中で意見を述べている女性たちで、特に興味深かったのは、竹内久美子さん(動物行動学研究科・研究科の科は家と言う漢字じゃないかと思うが)の「男子誕生の確率高し」である。
他には桜井よしこさん(ジャーナリスト)、香山リカさん(精神科医)、池田晶子さん(哲学者)、佐藤愛子さん(作家)、友納尚子さん(ジャーナリスト)、男性たちも皇室のことについて、畏敬の念をこめて寄稿し、座談会に参加されている。
私としては、世界80カ国の最深部を旅した女性で、彼女でなくては得られない体験をしておられ、人を愛し、祭祀王の天皇のことにも理解が深く、切れ味見事な意見を述べられる大高未貴さん(ジャーナリスト・40歳)にも参加してもらいたかった。
大高未貴さんの著書には「神々の戦争」「国々の公」「冒険女王」「魔都の封印を解け」(ドキュメント)がある。
動物行動学研究家の竹内久美子さんの言っておられることは初耳だったので興味を持ち、専門外の遺伝子のことなどしばらく勉強してみた。

竹内久美子さんは生物学的におっしゃる。
R・ドーキンスによれば、生物は遺伝子が時間の旅をするための「乗り物」である。
「なぜ皇位がこれまで男系男子で繫げられてきたのか、なぜ今後も男系男子でなけらばならないのか」「そもそも男系男子で繫ぐことの生物学的意義を皆さんご存知だろうか」「男にしか存在しない性染色体Y、そのYに載っている遺伝子のセットが、男系で繫げられれば、たとえ何代を経ようが散逸しない」「46本ある染色体のうちYだけが、男系で繫げれば遺伝子の散逸を免れるのだ」「過去に皇室が男系男子に拘わったのは、男系で純粋に受け継がれる何かがあると、人間ならではの直観力によって見抜いていた」「我々の体は基本的に女になるようにプログラムされていて、このスイッチが入らない限り男にはならない」「Yには、男になれと最初の指示を下す、総司令官が載っている」

個人的に飛躍と飛躍の間の道理の理解ができないので先に進めないのが次だ。
「Y染色体に載っている遺伝子のうち最も重要なのは、SRYと言う、男を男たらしめる最初のスイッチの役割を持つものである。しかもSOX9(肉体を男性にする遺伝子名)を始めとする、男性化のその次以降のスイッチはY以外の染色体上にある。」
いきなりSOX9である。よく分からないままに月日が経っている。
Y染色体が短くなってきているらしく、何万年か後には男性はいなくなるらしい。
また女性の遺伝子を持った男性が突然変異でできるらしい。
その時はその時でどうにかなるんではないかと思う。
染色体を見たわけではないのでまた聞きのまた聞きである。


竹内久美子さんは、紀子様のご懐妊の時に「男子誕生の確率高し」と言っていた。
「女にしてみると若いころと言うのは、出産の道程はまだ長い。若いころの出産はエネルギーが節約できる方の性を産むのが得策。よって女の子を産む。」「そろそろ出産の道程も終りに近ずいたなら、どっと投資をしよう、そのためには男の子だ、大きな体に成長させると将来モテて、繁殖の上で有利になると言う意義がある」
素人には遺伝子の流れが飲み込めず、なぜそうなるのか分からないことばかりだった。

蛇足であり、的外れであるが、土笛の吹き方で言うと、上のミを半音下げる時には2とうりのやり方がある。
1つのやり方は右手の薬指で下から2番目を押さえ、もう1つのやり方は右手の親指で後の穴を押さえる(正面から裏にある左右の2つの親指は見えない)。
もちろん音が高くなるほど微妙に息圧が強くなるのも考慮に入れて行かなければならない。
まずここでは、上のレまで行きつかなければならないが、理屈でわかっていてもやってみなければ音は出てこないと言うところだけはわかることだ。
吹き手と聞き手の心の中に必然性があれば、変化に富んだ音色は往還を繰り返すことができる。


参考本「皇太子と雅子妃の運命」平成皇室大論争 文藝春秋編
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2度見たい映画 2)「渇き」韓国 原題 こうもり

病院で死んでゆく人々の最後を祈りと共に看取る神父のサンヒョンは、患者を助けられない無力感を抱えていた。
神父が名医になっても、無力感はなくなるとは思えないが、すぐに答えてくれる神の力を過度に待ちわびているためか、ものすごくストイックな悩み方をする。
祈りの力の過信には、宗教者特有の選民意識が見え隠れするが、可笑しみをさそう感情の激昂が韓国的でユーモラスなので憎めない。

神父はアフリカの研究所で行われている伝染病のワクチンの人体実験に自分の身を提供する。
発病したほとんど全員が死に絶える伝染病であるが、神父だけが助かり、輸血によって生き返えったので、その噂は世間に広まり、祈ってもらおうとする人々が神父のもとに押しかけるようになる。
輸血した血液の出所は謎のまま、神父は身体能力が抜群なバンパイアとなる。
神父に血が欠乏してくると、水ぼうそうのような水ぶくれが体中に現れ、血を飲みたいと言う欲望が強力に起こってくる。
病院で知人の患者の血の点滴(輸血)の管をくわえて吸ったり、暗がりで人を襲うようになる。
生き神様のようにあがめたてられている神父は、人々の血を渇望するバンパイヤになってしまった。
神父は、幼馴染の知人の男の妻に惹かれ、彼女と快楽をむさぼり始める。
童顔の女優はいまいちだったが人妻との愛欲シーンがかなり長く、監督特有の痛い血みどろ路線は強烈になる一方である。
快楽の中での自己解放や深い怒りや悲しみを表そうとしているのはよく分かった。
日本の永作博美くらいの不思議な魅力と繊細さがなければ相手役はつとまらないだろう。
監督が「復讐者に憐みを」「オールドボーイ」のパク・チャヌク氏なので仕方ないと言えばそれまでだ。
彼女もしまいにはバンパイヤになり、2人とも太陽の朝の光を浴びて灰塵に帰す。
バンパイヤ映画では、日の光に焼けただれたり、塵になったバンパイヤが、風に吹かれてどことも知れずに散って行くシーンが必ずと言っていいほどある。
善悪の判定に、質としてより分けられる、人や魔人の営みに、哀れさはかなさを感じる。

この映画をもう一度見たい理由は、世の中のありとあらゆる苦しみや身体的な苦痛を自分に与えてくださいと言う意味の神父の極端な祈りの言葉にある。
展開が速かったので、正確に暗記できなかった。
弟子に裏切られ十字架上で磔の刑となったイエス・キリストと同じ苦しみを味わうために、信者たちが十字架を背負ってゴルゴダの丘を登ったり体を鞭で打つ修行はあるが、映画「渇き」の神父の直情的な祈りの言葉は初耳であったので新鮮だった。

新約聖書の主の祈りは「天にましますわれらの父よ」で始まり「試みにあわすことなく悪より救い出したまえ」で終るのだが、その原型となるものは、古代の密議の祈りである。
映画の神父の祈りはそれに近い。


「古代の密議の祈り」
アーメン
悪が支配する
崩れゆく自我の証を
人に明かされる自己の罪を
日々の糧の中に体験せよ
その中に天の意志は働いていない
人は汝らの国を去り
汝らの名を忘れた
汝ら、天にいます父たちよ
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映画「第9地区」

初めてエイリアンが人類と接触したSF映画を観たのはスピルバーグ監督の「未知との遭遇」だった。
エイリアンと人類との交信が、ハ調のラから始まればラ・♯ド(上のド)・ラ・♯ド(下のド)・ミに、上のレから始まれば、レ・ミ・ド(上)・ド(下)・ソに、他にも様々にバリエーションを持たせた音楽であると言うことに感動を覚えた。
昨年観た映画「フオース・カインド」は、アラスカ州北部のノームに実在している女性心理学者が体験した実際の記録映像と、俳優を使った映像を組み合わせたものだった。
そこには映像としてエイリアンやUFOが出て来てはいないが、催眠療法中に人体が突然浮き上がったり、大ぜいの人が謎の拉致事件で連れ去られたり、保安官の視線の動きが飛行物体のUFOを追っている映像が現れたりする。
「第9地区」と言う映画ではフオース・カインド、つまり第四接近がすべて起こっている映画である。
第一の接近は空飛ぶ円盤の目撃。第二は空飛ぶ円盤の及ぼした行為。第三はエイリアンとの接触。第四はエイリアンによる誘拐と攻撃(殺人)、またはエイリアンの捕獲。
映画の題名は第四番目のエイリアンによる誘拐から取られている。


「第9地区」と言う映画では、初めから南アフリカ共和国のヨハネスブルクの上空にUFOが浮かんでいる。
その真下が第9地区と呼ばれるエイリアンの居住区である。
UFOはもう28年間も故障していて浮かんだままなのでエイリアンたちは国に帰れないでいる。
エイリアンたちは顔から首にかけてうねうねとうごく触手を持っているので海老と呼ばれ、人間側からみると異様である。
性格が凶暴で粗雑なので居住区はスラム化している。
エイリアンたちの異様な様子、ゴミ置き場に掘立小屋と言うような劣悪な環境に居住していることは、映像として見ただけでもショックをうける。
民間会社の男、ヴィカスはエイリアンたちを第10地区に強制的に移転させるため、エイリアンたちから立ち退きのサインをもらって回るのだが、ウイルスに感染して徐々にエイリアンになって行く。
ヴィカスは、上層部から追われ、妻や親戚からも裏切られて孤独な逃亡者の身となるが、頭脳明晰なエイリアンのクリストファーとその息子に出会う。
彼らはひそかに小屋自体が飛行物体になる研究をし、上空に浮かぶUFOの故障を直して国に帰れる液体物質(燃料?)を手に入れている。
同族とはしっくりいかず追われる身であるヴィカスと知的なエイリアンのクリストファーには友情が芽生える。
極限での意外な友情がこの映画の救いである。
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2度見たい映画 1)「シャッターアイランド」アメリカ

1)「シャッターアイランド」アメリカ    2)「渇き」韓国

どう言う理由でこれらの映画を2度見たいのかと言うと、展開が速すぎて言葉を聞き取れず、感動の中心となった場面に聞こえている言葉(字幕)を記憶できなかったからだと言える。
それと映画「シャッターアイランド」の最後に主人公がなぜこんなことをしてきたのかと言う種明かしがあるので、もう一度見て前半や伏線と太くつなげたかったからだ。
また映画「シャッターアイランド」ではあまりの画面の荒廃した暗さに、睡眠に移行させられ、闇の中に入り込んでしまったと言うか、春の眠気に襲われてしまったと言うことも理由にある。
主人公の連邦保安官の幻覚や幻聴に、睡眠に落ちる前の段階に誘い込まれ、意識が遠のき、夢を見る間もなくすぐに覚醒してしまっていた。
今度は日本語版で見て見たい。
映画「シャッターアイランド」はテレビでも予告が流れていたので、劇場は溢れんばかりの観客で大盛況であった。今回に限らず、テレビの影響にはものすごいものがある。
そうとう頭を使い想像力をめぐらさなければ楽しめない映画なのだが、おじさんおばさんや若者たちは誰ひとり立ち上がららず、馬鹿なおしゃべりもなかったことに驚いた。
幻想的な闇の中で一人一人に語りかけて来るような苦悩に満ちた衝撃的な場面に現代人は飢えていて、綿のように吸い込んだのだろうか?
それとも、私が知らないだけでほとんどの人が眠っていたのかもしれない。
もしくは睡眠に入る前の半睡半覚の中でぼんやりとしていたのではないだろうか。
観客全員が監督の催眠術にかかっていたとしたら?
連邦保安官役は渋いおじさんになったレオナルド・ディカプリオがやっている。
以後ネタバレの恐れがあります。
映画の冒頭で監督に最後の種明かしだけはやらないように言われているので、それだけはやめにすることにした。


映画「シャッターアイランド」では主人公の連邦保安官テディが、精神を病んだ犯罪者たちが隔離された収容施設、海に囲まれた孤島にあるシャッターアイランドに助手と共にやってくる。
鍵のかかった部屋に居た女性患者の失踪事件を解決するためである。
連邦保安官テディは、灯台や崖の中腹にある洞窟、患者の独房、荒れ果ててはいるが調度が一流品の館を探索移動する。
彼が独房に迷い込んで出会った痩せて何もかもがとがっている怪しい男は、メフイストフエレス(ドイツ民間伝承の悪魔)を思わせた。
何もかもいい加減の上、成り行き任せの荒んだ現実社会において、メフイストフエレスに問い詰められて正気を取り戻したい気もする。
覚醒すると言う意味で、悪魔との真摯な対話の格闘にはぞくぞくするものがある。
連邦保安官テディは、ナチスのユダヤ人収容所を解放した連合軍の1人であった。
放火による火災で妻を亡くし、放火犯レイチェルをこの島に捜しにやってきている。
3人の子供は妻によって溺死させられている。
美しい白昼夢のような海岸や灯台、暗い部屋やハリケーンに直撃された森の中に人影のようなものが心霊写真のようにうっすらと写りこんでいるのは、監督の発案だろうか。
連邦保安官テディには統合失調症にかかっているような症状が現われていて、事細かな鮮明な記憶力が新たな記憶を作り出して行っているような感じがする。
彼だけに起こっている脳内体験。
やはり戦時中の体験や妻と子供の死亡で、心的外傷後ストレス障害があったのだと思える。


2)「渇き」つづく
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映画「パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々」

桜の花盛りの季節、長崎~佐賀博多~北九州~別府大分を走るJR電車の中で1週間かけて遠山や海、雑木林や墓地にたたずみ、風雨や雲と遊ぶように空に散り舞う桜の神秘に触れることができた。
一人で静かな狂気を込めた歌を歌っているような桜たちの気配が伝わってきたので、そばには行かなかったが、浄化と言うものがあることを知った。
あまりの美しさのためにあたりが見えず、まだ半分しか桜に浸透されていない時には、一人で死んでゆくことの恐怖に襲われた。
昨日は、セーヌ川岸に似ている天神の中央公園の川横の桜並木を歩いたが、どんなに騒々しくてもひっそり感は存在し、はらはらと過ぎてゆく時間はこの世のものとは思えなかった。

半分人間、半分神と言うギリシャ神話の中の神々や、神々が人間との間に生み出した子供たちが現代の米国文化を代表させるニューヨークに居るという設定の映画「バーシ―・ジャクソンとオリンポスの神々」を見た。
髪が蛇で目を見ると石にされてしまう魔物のメドゥサ(ユマ・サーマン)をじっくり楽しむことができた。
CG(コンピューター・グラフイックス)を使用して見事な、蛇の髪を作り出しており異物感がぬめぬめと放射されていた。
子供のころからメドゥサの出た映画では、蛇の髪がごわごわした束になって揺れるばかりで、作り物であることがすぐに分かって幻滅していた。
今回のは生々しくおどろおどろしていて大満足である。
半人半馬のケンタウロス、半人半山羊のミノタウルスの足踏みする時や走る時の足の動きの巧みさは見とれてしまうほどであった。
日本の狛犬と兄弟であり、自分の詩の中に登場させているケロ君こと地獄の番犬ケルべロスは、映画の中では、知的ではなく神秘的でもなく、ただのたけり狂った獰猛な怪犬にされていた。
海の神のポセイドンの子供の彼は高校生であるが、ゼウスの稲妻を盗んだとして追われていた。
それは勘違いで疑いも晴れるのだが、パーシ―の羽根のついた靴やエンパイヤステートビルでの空中戦の手に汗握る特撮などは愉快極まりなかった。

羽根のついた靴で吉野の山桜を見て見たい。
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映画「ハート・ロッカー」

ハート・ロッカー」は、今年アカデミー賞をもらったキャスリン・ビグロー監督の作品。
題名のハート・ロッカーとは、兵隊用語で「棺桶」「苦痛の極限地帯」と言われているが、爆発物処理班のことである。
もちろん反戦も含まれた映画であり、米兵の強姦も略奪も暴行もない。
バクダット(イラクの首都)郊外での米軍兵士たちの任務は死と直結している。
米軍の現地点での極めて人間的な日常を描いている。
現地では、敵の米兵もろとも爆弾で吹っ飛ばすために、殺した現地の子供の体内に爆弾を埋め込んだり、老人の胴体に何個もの爆弾をくくりつけ、スイッチ一つで爆破させる肉弾戦法を使う。
目的はアメリカ兵を巻き添えにして殺すことであるが、テロの爆破に利用される一般の人々が、スンニ派なのかアルカイダ派なのかシーア派なのか説明はない。

爆弾処理のスペシャリストのウイリアム2等軍曹が派遣されて来てからは、処理をしに向かう途中、彼が防御服を脱ぎ捨てたりする無謀とも思える捨て身の危険な爆弾処理の仕方をするので、仲間たちは彼に戸惑いと疑問を持ち始める。
なぜ873個の爆弾処理をして来たスペシャリストの彼がそうなのか、彼が任務を終えて妻と赤ん坊の息子のいる家庭でしばしの休息を得た時にはっきりする。
スーパーマーケットで彼は妻に「シリアル」を取ってと頼まれた時に、種類こそ違え棚いっぱいに並べられた同じようなシリアルの林の中でしばらく脱力したようにたたずむ。
シリアルとは穀物を加工した食品でコーンフレーク、オートミールなどのことである。
彼はアメリカに帰るとシリアルの中の1個としてしか生きられない。
米国内での仕事は、棚に並べられ管理されたシリアルと同じなのだ。
おもちゃに喜ぶ息子に「大人になると好きなもの、興味を持つものが減ってきて1つくらいになってくる」と話しかける。
また家族を置いて死ぬかもしれない戦場に爆発物処理班スペシャリストとして1年の契約でいきいきと出かけてゆく。
命をかけて実行する仕事を、爆発物処理と言うことに見出してしまった軍曹である。
中毒と言う人もいる。
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