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空に近くなった部屋

木々の上を覆う 白い大きな雲.jpg
撮影 中島 順一郎

地球の引力が働いているらしく、体はずっしりと重いので飛んで行かないが、6階に寝泊まりしていると、180度の視野内の空を飛んでいるものに視線が惹きつけられ、驚きでめまいを起こしそうだ。
踊るような雲の状態や太陽や月に憧れ、必要とする気持ちがあったことに気づく。
住む場所がこんなにも影響していたのだ。
朝の白い月が優しい。
見とうしがきくって素晴らしい。
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ああ!引越し(3)

引っ越しの前日、梱包に来た業者派遣の20代のお姉さんたちのエネルギーに引っ張り込まれ、同等に働いてもいないのに、若々しい人いきれに触れてくたくたになった。
若い恋人を持ったマダムってきっと無理して疲れているに違いない。
彼女たちに、別の部屋で休んでおくように言われたのだが、何を梱包しているのかわかる音が左右から聞こえてくるので、神経がそちらにぞぞぞぞっと向いて、働いてる人の横で何もしないで何かに耐えている気持になった。
梱包が終わった次の日はいよいよ引っ越しで、今度から住む部屋に、今までの荷物のどれを運び、どう配置するか、今度は青年たちの総指揮をとらなければならず、捨てるものと持ってゆくものに目を光らせ、その間に食事をとり、限りのない階段を上り下りする運動競技を1日中やっているようだったが、終わりは日暮れとともにやってきた。
暑い夏の真っ盛り、若い者に混じって、頼まれもしないのに勢いで荷物をかかえて一緒に笑っている時はよかったが、次の日は節々が痛くなっていた。

よれよれのカーテンは全部捨て、様々な色のワンピースを大きな窓にかけた。
光がさすと白、赤、ピンク、ブルー、混合色のワンピースから色が床に落ちた。

光ファイバーや電話やテレビの設定、部屋の内装、水回り関係は、このひどすぎる暑さの中、全部プロのおじさんたちがやってくれていた。
働きぶりに感動し褒めたり、なだめたり、すかしたり、時には威したりもして、くたくただった。
おじさんたちは、こちらがちゃんとしていないとなめてかかってくる。
違反ではないのに、引越しの車の駐車を目ざとく見つけては文句をつけるので有名なおじいさんが岩に隠れていたハブのごとく現れ、あっちとこっちで2名もいて胸ぐらつかんでおおにぎわい、ここはイタリアかと思った。
金曜日からずっと、口にゴム紐をくわえてマラソンをしている状態、ゴムが伸びきった5日目の今日夕方から眠気に襲われ、伸びたゴムがバチンと元に戻った。

ああ美しいものを見たいと心の中で叫んでいた。
しあわせに眠って夢の中で蝶になって、花にとまりたい、空に吸い込まれたい。
蝶の浅黄まだらが林の中で木に沿って上へ上へと舞い上り消えて行く映像を思い出して呼吸を整え、休憩をとった。
6階の窓からは今まで見たこともなかった入道雲の間を飛び交う赤とんぼが50匹ばかり、学校が鳴らすチャイムと川の流れ、夕陽を背に遠くから時間をかけて歩いてくる人がいる。
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管制室の御札  宇宙航空研究開発機構 

管制室
向かって左、コンピュータのさらに上に御札らしきものが置かれている


小惑星探査機のはやぶさくんが、今年の6月13日夜オーストラリアのウ―メラ砂漠にカプセル落とし、夜空に燃え尽きた映像は記憶に新しい。
燃え尽きる前に、地球を撮影した少しかすれた画像を送ってきたことも健気によくやったとほめたい。
プロジェクトマネージャー川口淳一郎さんは「ありがとう はやぶさ君は日本国民の心に残る不死鳥となってくれた」と言っている。

宇宙航空研究開発機構(JAXA)の管制室には、神社の御札がある。
飛不動(とびふどう・東京)・飛行神社(京都府)・電波神社(京都市)・中和神社(ちゅうか・岡山県)の4種類もある。
科学者たちは、神頼みや御神託を受けて一喜一憂しているわけではない。
夢や希望や根性を持ち続けていることの証として、管制室に御札を置いているそうだ。
神社には、半休をとって行く場合と休日に行く場合があり、いずれも交通費や祈祷料、御札の料金は自腹を切っているそうだ。
科学者の皆さんと神社は結びつけにくいが、そう言うこともあるのだと驚いたり妙に納得したりしている。


*引っ越しでしばらく投稿はお休みするかもしれません。糖鎖サプリで快調。
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ああ 引越し(2)


いよいよ頼んだ業者が来て賑わう引っ越しが迫っている。
引っ越し先の住居は現在の場所と70メートルほど離れている6階にあり、見晴らしがよく、空や峰々や川や花火がよく見える。
冷蔵庫の中味を今日明日で使い切るつもりだ。

峰々と反対側の東には四王寺山が空を覆い、飛鳥時代の日本最古の朝鮮式の山城跡(大野山)がある。
四王寺山と言う名の由来は、大野山・水瓶山・大原山・岩屋山の4つの山があることからきている。
四王寺山は入道雲を従えてくっきりと姿をあらわしたり、流動するもやに取り巻かれたり、四季折々の存在感で楽しませてくれる。

663年の白村江(はくすきのえ)の戦いで、朝鮮の百済復興を目指した大和朝廷は、新羅と唐の連合軍に敗れ去った。
すぐさま664年に大和朝廷は、朝鮮に近い大野城に亡命してきた百済人たちを集めて城を築かせ防備を固めた。
ここ四王寺山は、太宰府の北にあり、筑紫と呼ばれ、対馬・壱岐と共にのろし台が残っている。
新羅と唐の軍勢が船で押し寄せてきた場合、対馬・壱岐から次々にのろしがリレーされ敵の侵入を知らせていたのだ。
四王寺山には、8200メートルにわたって土塁があり、谷には石垣が築かれ、高床式の防人たちの駐屯地跡が残っている。
木イチゴのなる場所を見つけているので、秋には黄色い実を摘みに行く。
交通の要所で敵を防ぎやすい狭くなった場所には、四王寺山から伸びて下った水城の堤防と呼ばれている4メートルの深さがある水をたたえた濠も作られていた。
濠の幅は60メートルもあったので博多湾からの敵の侵入を防ぐには十分だった。
大和朝廷がいかに外敵の侵入を恐れていたかと言うことがことが分かる。
今は水城の高さ13メートル、全長1.2キロある小高い堤防には木が茂り、秋にはお月見も催される。
今年、水城の堤防横に畑を持っている知人からの依頼で、飛鳥時代の工事に関わった農民たちや防人たちのためにローソクを点し、石笛で招魂し弥生土笛で鎮魂し、オカリナで楽しむお月見をすることになった。
この土地にしばらく住みつくとなると地霊とのかかわりも深まるだろう。
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「借りぐらしのアリエッティ」日本 アニメ

地を這う緑中央右下に変化.jpg
キャラボク 撮影 中島 順一郎

草や木々が自然に茂り、花が咲き乱れている森の中の道を行くと、古い洋館がある。
柱やドアに装飾を施された洋館の中には、調度品や食器が本物とそっくりに作られているイギリス製のドールハウスがある。
住人の祖父が幼いころに、小人を見たことがあって、その人たちに住んでもらうために作ったものだった。

心臓手術を1週間後にひかえた12歳の少年翔(しょう)が、親戚の上品なお婆さんがお手伝いさんと2人だけで住んでいる洋館に預けられる。
第1日目に、庭の草の中にアリエッティを見つける。
身長10センチのアリエッティは、洋館の床下の調度の美しい部屋で父と母の3人暮らしをしていて、床上の人間の部屋から、角砂糖1個やティシュ1枚など生活必需品を借りて借りぐらしをしている。
鼠やカラス、コオロギやアリや猫などは彼らにとっては猛獣となる。
人間にひとたび見つかれば、彼らは住居を他に移さなければならないと言う掟がある。
イギリスの児童文学「床下の小人たち」メアリー・ノートン作が原作である。
生き残りの小人は各地に散らばっていて、家族を道案内をしてくれるスピラ―という顔に原始的な絵を描いた少年も新鮮だった。
夜、父と2人でさっそうと床上に行くアリエッティの濃いバラ色(アニメでは小豆色に近く見える)の短めのワンピースや拾ったピンの武器は美しく素晴らしかった。


アリエッティたちは、お手伝いに住居を暴かれ鼠駆除の業者に見つけられそうになるが、翔少年に助けられて危く命拾いをする。
翔少年は底の丸いヤカンの船に乗って他の土地に移ろうとするアリエッティを見送りに来る。
「君は僕の心臓の一部になった」
と心臓病の手術を受ける少年は明るい声でアリエッティに言う。
この言葉を聞いて、美しいドールハウスを見た時とは違う驚きと感動がこみあげて来て胸に迫るものが涙と共に遅い嵐のようにやってきた。
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ああ 引っ越し(1)

思い切って捨てるものと使い続けるものを選び分けていると、そのことが精神面にも影響を及ぼしてくる。
表向きは捨てることのできない姻戚関係とか友人関係とかにも波及してきている。
比重をかけずに気持ちの整理ができてくるので、いままでのように執拗に気にとどめて重くなることがなくなった。
何処かで一度捨て去って切り替え、相手との関係をずらすか、別の引き出しに押しやった。
そう言う人間関係では、理解しあう希望はなくなったが、人類愛的な距離感を保つことはできるようになった。

こちらに悪影響を及ぼす事件が起こった時に、相手がこちらに向けて発した言葉は新鮮に突き刺さる。
石牟礼道子さんが言っているアニミズムの神さまに、何も助けられないけれど、悲しんでいたり苦しんでいる相手と一緒にもだえる「もだえ神さん」と言うのがある。
被害者には、「もだえ神」のまなざしを持っている人と、自分の欲望の思い入れのために哂いながらおべっかをつかって感想を述べているだけの人、ただ無関心でいる人が感覚的にもすぐにわかる。
もだえ神さん以外の人々との自然な別れが、人知れず仕掛けられたスクリーンに次々に浮かび、1度確かめられて消えて行く。
その霧のような場面でしかとらえらない悲しみをしっかり感じて自分のものにしようと思う。

衣類や食器家具については、いつかは使うものだと思ってとっておいたものが多いが、新しく買わなくてはならないものもある。
その選択の仕方が問題となってくる。
余計なものは買わないが、たとえば蛍篭とか、音の出る茶碗とかは買うだろう。
世の中の人はそれをガラクタと呼んでいる。
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ゲリラ豪雨 JRの中の3時間半 

昨日は待ち時間も入れるとトータルで8時間もJR、地下鉄、私鉄、自転車などの乗り物の中とその周辺をうろついていた。
仕事には間に合わなくなったので、大分には行かず小倉駅から博多に引き返した。
小倉で下車して旦過市場に行こうと思っていたが、途中下車すると事故扱いにされず往復の運賃が全額戻らないのでやめた。
月2回仕事先に向かうために通る旦過市場は、早朝から紫川から水が来て浸水したと、買い物の時によく見るおじさんおばさんがテレビニュースに出て話していた。


家から博多に着くまでも2倍の時間がかかり、超満員電車で、ぎゅうぎゅう詰めの野菜籠の中のジャガイモや玉ネギやごぼうやキューリめいた人々が押しつぶされそうになりながらも、女性たちは、励ましあい、背の高いおじさんが途中で降りる人に対して「降りるってよー降ろして降ろして」と駅員さんの助手を務めたりして、まだ人心に余裕のあることが分かった。
しかしひとたび殺伐としたパニックが起こると、人間どうなるか分からない。


博多から40分で到着するところを、3時間半もかかって小倉駅に到着した車中では、アニメソング「君をのせて」(天空の城ラピュタ)の上下パートを楽しく小声で歌ったり、たまっている事務をこなす時間が取れた。
「地平線が輝き、沢山の灯が懐かしいのは、そこに隠されている君がいるから、いつかきっと出会うに違いない」と言う陸を空から見ながら出会いを予言しているロマンチックな宮崎駿の歌詞である。
歌詞として歌うには少し無理のある2拍の3連符や、メロデーと予想外の言葉をあわせている覚えにくいところを8分音符でやってみて成功した。
歌に夢中になり歌詞の情景や美しいメロデイーの肌触りを楽しんでいると、何処か無垢な世界へ向かって空中を進んでいる気がして1~2時間はすぐたってしまった。
横の席の大きなおなかを抱えた白人のおじさんは、座席に沈んでウォークマンを聞き、指定席と自由席の意味が分からないおばさんは学習しない人で、人が来るたびに注意を受けて他の空席に移ることを繰り返し、私は電車の端から端まで公衆電話を探して3往復した。
携帯で話しながら歩いている人が何人もいて車中の散歩がまかり通っていた。
公衆電話が取りつけられていないことがわかり、柔らかなムードを持っている2人連れの女性を選んで携帯を借りた。
自分のことにしか興味のない若者や説教好きのおじさんは、知らんぷりをするか嫌味を言ってこちらを無視することが多いので絶対に相手にしない。
電車の両側に並んだ家や木の葉の細部まではっきり見えるノロノロ運転や信号待ちで、おおげさにいえば駅馬車気分を味わった。
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日本映画「恐怖」  監督  高橋 洋

昔ながらの幽霊は出て来ない映画だったが、日本的な陰鬱さが漂い、眠っているのか目が覚めているのか分からない無表情な幽霊めいた人々が空間に落とす影が、濃くなったり薄くなったりする薄暗い映画だった。
脳科学研究者の悦子(片平なぎさ)は、連れて来た人間の頭を開いて、非合法の脳手術を行い、脳のシルビウス裂を刺激する実験を行っていた。
脳のシルビウス裂に電極で刺激を与えると、普段では見えないものが見える。
俗に言う幽体離脱や空中遊泳は、脳が作りだすものだと言いたいのだろうと思った。
みんなに見えていない映像を1人だけが見ていても、その映像はその人の脳がそうさせているだけなので怖がらなくてもよいということなのだろうか、それとも怖がれと言っているのかよく分かりにくい映画だった。

車を密封して集団練炭自殺した若者たちが、悦子の研究所に送りこまれ、シルビウス裂に刺激を与えられると、自分が空中に浮いた姿や棺桶に入っている姿を眺めたりした。
死んだように見えていても死んでいなかったのだ。
じめついた日本的などんよりしめった感じは気持ちまで狭くさせるので好きになれなかった。
片平なぎさの何処か狂った異様な表情と怪音波の怪声が、目ざまし時計になってこちらを威していた。

脳科学研究者の悦子(片平なぎさ)が実験を行うことになったもともとの原因は、娘たちが幼かった頃、夫と娘たちと一緒に、戦前の満州で脳の人体実験をしているフイルムを見ている時にスクリーンの中から現れた白い光だった。
夫は自殺し、長女も練炭自殺に加わった。
白い光がどのように家族に影響して人格が変わって行ったのか、そもそも満州の白い光は何だったのか、観客には分かるような終わり方をして欲しかった。
白い光はその土地の鉱物から発する電磁波なのか、宇宙から来た何かなのか、オ―ソドックスな地縛霊なのかよくわからない。
最高に怖かったのは、目に色のついたコンタクトを入れた、魔女や化け猫とも違う長女の青白い狂気じみた顔の存在感だった。
ほんとに得体の知れない恐怖の長女だった。
高橋洋監督は、怪奇小説アーサー・マッケンの小説を子供のころから読んでいるそうだ。
科学でもない怪奇ものでもないどっちつかずの、どちらともとれる映画だった。
博多駅の映画館は怪奇ものやゾンビものの映画をよくやるが、お客は少ない。
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映画「プレデターズ」 2010アメリカ

誰も気遣ってくれる人のいない友人知人たちは、自分にご褒美を与えるために、欲しかったものを手に入れたり、旅行に行ったり、食事に行ったりして元気を取り戻す。
その延長線上に映画もあるようだが、昔はこれが少年少女漫画だったり、テレビだったりした。読書とかの芸術鑑賞と言うのもある。
灰色人間の教師たちのつまらないことと言ったら、教科書を教科書どうりに面白みもなく説明しようとして失敗しているだけだった。
嫌いにさせてどうするんだと思ったが、少なくとも私が出会った連中はそうだった。
何の自主性も育たない押し付けられた退屈な授業に苦しめられてきた。
昔の教師たちは、大勢いすぎる生徒を愛したいと思うのではなく、その日を無事に過ごすことと老後の安全を意図して学校と言うところに現われていたとしか思えない。
無欲になることを押し付けられる善良な人間(生徒)が、無気力な従業員として働きつつ色褪せて行く道が待っていた。
世の中で苦しくて恐ろしいことは退屈だということだ。
映画がなくならないのは、いい意味で生命をいきいきと活性化してくれる娯楽が必要だからだ。


犯罪者が生まれるのには、または生まれながらの要因が刺激されて現れるのには、原因となるものが必要となる。
連中の生い立ちは描かれていないので全く分からないが、映画「プレデターズ」に出てくる地球人の7人の男たちと1人の女性の職業は、傭兵や、用心棒、殺し屋、軍人、指名手配されている犯罪者、服役中の囚人ばかりで、世の人に白眼視されている連中ばかりだ。
狩りを快楽とする恐るべきエイリアンのプレデターズによって、人間狩りを目的として、未知の惑星に連れて来られたのである。
逃げ惑う人々は異様な光景を垣間見た。
空には、木星のような星が、ま近に3個~4個浮かんでいたのだ。
画面はずっと死体の肉片が飛び散ったジャングルか廃屋。
そこでは汗をかきっぱなしのぬめぬめした人間たちが逃げ惑っている。
なぜプレデターズに人間の中から彼らが選ばれたかと言うと、抗戦能力が高いからだ。
ラグビーの選手のような体躯に、昆虫とライオンが合わさったような顔、冷酷な目を持った異様なプレデターの身体能力は抜群で、空間に溶け込んだカモフラージュ移動、鉤爪、プラズマ砲など人間が叶うはずはない。
8人の人間たちは次々に倒されていくが、生き残るために人の面倒は一切見ない孤独な傭兵と殺し屋の女性が生き残る。
プレデターズの宇宙船をのっとろうとしている男女が、初めてお互いの名前を明かすところが感動的だった。名前とはこんなにも大切なものなのだと言うことが伝わってきた。
地球で異常な殺人を犯して楽しんでいた人間が、医者と名乗って8人の中に混じっていたので、劇中の人々も映画観賞者たちもむやみやたらと緊張していなければならなかった。
穏やかで友好的なエイリアンもいるが、地球征服には興味を示さず、人間をいたぶって狩りをして楽しむ残忍極まりないエイリアンもいるのだ。
常日頃のほんわかムードもいいが、「プレデターズ」のような違う観点が持てる映画も変に納得するものがある。
ま逆の、穏やかで荘厳、かぐわしく静謐なもののありがたみがやっと分かってくる。
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絵本「おふとんかけたら」 かがくい ひろし

疲れたらなにはともあれ眠るのが一番だ。
さて、浮世絵も含めてタコ(蛸)の絵が大好きである。
「おふとんかけたら」も漫画的なピンクのタコが、胸の前で2本の足を合わせて、布団の上で寝ている。
勿論、科学的な研究のための絵ではないので、頭の部分に眉と閉じた目が書かれている。

たこさん たこさん
おふとん かけたら
くーるくる

くーるくるのところで、タコが8本の足で掛布団を足に巻きつけるので、布団は巻かれてしまう。
おふとんかけたら、ソフトクリームは「とーろとろ」となる。
アリもトイレットペーパーも出てくるが、最後の豆の種が面白い。
おふとんかけたら、「すーくすく」と芽が出てくるのである。
敷布団とまくらに掛布団をかけると「ぬーくぬく」となって「おやすみなさい」で終わる。
世の中の温かな愛情に包まれて子供が眠りにつくための絵本だ。たまには大人もいるけれどね。

似たようなタコの絵で、大道あやさんが絵を描いている絵本「あたごの浦」がある。
表紙は鯛とタコが話している絵。(脇和子・脇明子 再話)
1ページ目は、タコが足をからませ、細長い頭を上にして、狭い穴に入る途中の絵だ。
きっと次の動作で足を下にし頭を上にするだろう。
讃岐に語り継がれている話で、海の生き物たちが月夜の晩に浜に上がり、演芸会で隠し芸を見せる。
タコがお月さんの光に浮かれて、ゆらーりゆーらり浮いて来て、おなすびをちぎって食べだす。
海の生き物たちが浜で、みんなで歌ったり、踊ったりして宴会もたけなわ、隠し芸が始まる。
タコはまとめ役兼引き締め役、鯛はアクセント、月の光はますます降り注ぐ。
鯛は松の木にするするっと登って「松にお日さん これどうじゃ」と言う。
「明るいお月さんの光に、赤いうろこがきらきらして、ええながめだ」
みんなは、感心して「妙々々々々々・みょうみょうみょう・・・・・」とはやし立てた。
ふぐや鰈も出て来てとぼけた隠し芸をする。
わがタコくんは、8本の足を小枝の間からたら―リとたらして、「松に下がり藤これどうじゃ」と言った。
みんなは「妙々々々々々・みょうみょうみょう・・・・・」とはやし立てた。


引越しはうずもれていた絵本に出会う時でもあるようだ。はかどりません。
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