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晩秋に思い出す映画 [エッセイ風]

きめ細かな美しさを持ち、その国にしかない風景を見せてくれ、人の情がこちらに移ってくる映画で、よく思い出すものが2つ、3つある。
何十年も前、10代の終わりのテレビの深夜放映で見た「誓いの休暇」。
ロシアの一人の兵士が一時的な休暇をもらい帰郷する物語である。
その際、さまざまな人に関わって善意の親切をしたために、1人暮らし母には、麦畑でほんの一瞬抱きあう時間しか残らなかった。
特に列車の中で出会った少女とのひと時は、どんな恋愛映画より心に残っている。

午前10時の映画祭には、まだ出かけていないが、何度見てもすごい50本がはじまっている中の「天井桟敷の人々」(フランス)は見るつもりだ。
「天井桟敷の人々」は、若いころに見た映画で、パントマイムの美しさや独特な衣服や化粧顔に見とれたものだった。
日本映画では「薮の中の黒猫」(新藤兼人監督)が平安の終りや室町が時代的には好きなことも手伝って、自分の中のベスト1である。
夫婦である大地喜和子と中村吉衛門が、あの世とこの世のものとの接点である、薮の中の屋敷で時を過ごすせつなさ。妻はこの逢瀬のために鬼神に魂を売ったので地獄に落ちるのだ。
音羽信子の妖婆も見ごたえがあった。


天使や妖精の出てくる映画も好みである。
人間との対話に興味を持っている。
最近行った「約束の葡萄畑 あるワイン醸造家のものがたり」(フランス)も、魅力的な堕天使が現れるが、途中で映写機にトラブルが起こり、さんざん待たされたあげくに、中止と言うことになった。
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家庭的な音楽会1

アクロス福岡円形ホール.jpg
アクロス福岡 円形ホール 提供:福岡市(まるごと福岡・博多)

このところ日本や韓国の政治家の更迭続きだ。
米韓の軍事演習や日本では原発が襲われた時の訓練もやっているようだ。
危機的なそんな中で私たちは12月3日(金)に3時間かけて12:00から音楽会を開く。
勿論、無料の音楽会ではあるが、気を抜くことなく長期にわたり、音で気力を練ることを続けて来た。
教室の音楽会なので、もとより技術はプロ級ではないが、歌心やそれなりの人間力が魅力的だ。
得意がるほどのものではないので、健気さがこぼれる。
カラオケは使用しない。
諸行無常の時間の流れの中で、ぶるぶる震えながら、どこどきしながら87歳までの70人の人々が舞台に立つ。
応援せずにはいられないし、必ず慰めなくてはならない事態にも遭遇するだろう。
円形ホールは個人的にも何回か使用し、舞踏などさまざまなものを見に行った場所で気に入っている。
私には、指揮や合奏参加や呼びかけやらの慈母的な役回りが回ってくる。

旨かった赤モツ鍋

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もつ鍋 提供:福岡市(まるごと福岡・博多)

海のむこうの隣の国が大変なことになっている。
いつ何時ふそくの事態が起こるか分からない。

明日地球がなくなるとしても私たちは普通にしているほかはないだろう。
何か起こりそうになる時や生命の危機を感ずる時に、空中にさまよう不安に覚悟を与え、内側から慰められる現代詩がある。

「世界が滅びる日に」 
石原吉郎(詩人 8年間シベリアに抑留されていた。お風呂で溺れて亡くなっている)

世界が滅びる日に
風邪をひくな
ビールスに気をつけろ
ベランダに
ふとんを干しておけ
ガスの元栓を忘れるな
電気釜は
8時に仕掛けておけ


帰りに、駅で8月から目をつけていて、いつかは食べて見ようと思っていたモツ鍋を食べた。
赤モツ鍋と白モツ鍋があったが、韮の上に唐がらしがのった赤モツ鍋にした。1人前でも食べられる店だった。
身内が亡くなった時、お通夜や葬式の準備をするためには、何か食べていないと力が湧いてこないことを体験したので、食い意地だけは抑えないことにしている。
手伝う人がいない時に、倒れてなんかいられないのだ。
さて生まれて初めて食べた赤モツ鍋は、旨かった。
もやしやキャベツの中にモツが10切ればかりはいっていて、その上に大量の韮がこんもりと積まれている。
汁はとろりとしていてふくよかで辛い。
野菜をお腹いっぱい食べて、汁だけが残った時、いよいよラーメンを中に入れる。
ご飯を入れる人もある。
お酒も飲まず、夕ご飯に赤モツ鍋を食べている人は私だけだった。湯気が心地よい気候になった。





最近見に行った映画とか

門②かけた白と紫のバラの花輪.jpg
撮影 中島順一郎

個人的な趣向でよかったと思った映画は教室でみんなに勧めているが、それを聞いた人たちがいつも10人ほど見に行っているようだ。
邦画の「13人の刺客」は男性に人気があり、ゴローちゃんの悪殿ぶりに話題が沸騰している。
映画だと軽い世間話よりみんなと深いところまで話が進むので嬉しい。
前に投稿していたブログのグループの中には、クラシックのオペラやビートルズなどの面白いユーチューブの紹介者がいて、自分では絶対に見ない珍しいものを見ることができた。
現在のブログ投稿を手伝ってくれた業者さんに、投稿ブログに載せる映画のスチール写真のことで質問した時、素人の映画感想を書く人が何を言っているのと、一笑にふされてしまった。
スチール写真を使いたいのだが、何か今ひとつよくわからないので、とりあえず使わないことにして、親族の写真を借りることにした。
写真がないと寂しいのだ。種類が数ないので使い回すことになるだろう。
携帯もデジカメも持っていないが、駅の地下で見た舞台装置のようなクリスマスの純白の空間をデジカメで撮れたら嬉しいだろうなと思う。
その欲求が高まって来たときに、雑事を早く片付けて習いに行きたい。

最近見た映画
「ルンバ」 制作者であり主人公のフランスのコメディアンの夫婦の感覚が新鮮。
「SP野望編」 あっという間に終わった。3倍の事件が欲しい。 
「パンドラム」 地球から脱出し、冷凍保存されながらある星に移住する。目を覚ますと、宇宙船の中に地底人のような怪物がいた。女性グループが地底を探検する映画「ディセント」に出てくる地底人に似ていた。
「桜田門外ノ変」 他の映画を見るつもりで間違って見てしまった映画。渋くてよかった。
「クレイジーズ」 細菌兵器で街が爆破される。夫婦が生き残り逃亡する。
「ソウザファイナル3D」 ほとんど目をつぶっていた。
「ハリーポッター死と秘宝PART1」 子供たちが成長していた。宿敵とのじりじりした抗戦。次回に続く前振り。

美しいふるさと再発見  写真撮影furoskyさん(ブログ名・福岡で遊びたい)

一目八景.jpgm.jpg
福岡で遊びたい ブログ編 in 中津 深耶馬の紅葉 一目八景 散策道(35)
巨大ニジマスの泳ぐ清流
http://fukuokadeasobitai.blog110.fc2.com/
posuted by furosky(ふろすきーさん撮影)

世の中には偶然と言うことはないと言われるが、故郷のことを思い出している秋にたまたまとても美しい写真に出会った。
幼い頃によく遊んだ場所とそっくりな写真を、「福岡で遊びたい」と言うブログの管理人のfuroskyさんからお借りした。
このブログには、近隣のお風呂のことも美味しいもののことも載っているので嬉しかった。
私は写真は専門外で、スナップ写真もカメラを買い忘れて撮ったことがないし、大勢の記念写真は待つのがおっくうで目をつぶって映される方である。
デジカメの操作もまだ分からないので、これから習うかもしれないが、シャッターチャンスが分からないので不出来に終わると思うとやる気がしない。
文を書くのはおっくうではないが、ブログ投稿は業者さんから習ったことを実行しているだけで、何かあると電話で質問したりして、その場を乗り切っている。
さてこんな私でも、ブログ「福岡で遊びたい」の中の深耶馬渓の紅葉、一目八景は、歌わせるものが的確で細部まで行き届いた並々ではない心配りがあることは分かる。
こぼれおちるような色彩、漂ってくるような空気が押しつけがましくなくスマートだ。
風呂の写真も、気さくな感じですっと入れたりする様な紹介の仕方だ。

育んでくれた故郷の苔の生えた岩石や川や魚、草々が作る薮や春秋の空気感を思い出した。
子供のころから一つだけ覚えている歌がある。

人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける 紀貫之(古今集)


めまぐるしい1週間

宇宙探査機のはやぶさが、今年の6月に7年間の苦労の末に、青く美しく燃え尽きながら、地球のオーストラリアの砂漠にカプセルを落とした時、日本では実況中継がなかった。
昨日、太陽系のできた頃の謎が解けるのではないかと言われている小惑星イトカワの微粒子が1500個、はやぶさのカプセルの中にあったことが、テレビのニュースで流れた。
ここに私がいて、傍にテーブルがあって、その上のコップを手でつかむことができるように、3億光年むこうに確実に小惑星イトカワがあって、はやぶさが訪れて一瞬の間着陸した(手を伸ばしてつかんだ)と言うことが、しっかり本当のこととしてせまってくる。

民間の裁判員が関わって判決が下された裁判があって死刑が宣告された。
残虐な殺人を犯した犯人の後悔とは、いったいどんなふうにして起こってくるものなのだろうか。

尖閣諸島や北方領土と並んでおかしなことが起こっている。
新潟の土地がチャイナタウンが作られるために中国に買い占められているのだ。

JRの博多・小倉間の、電車の公の座席で、携帯電話でのやり取りを30分間もやっている人がいる。
座席が会社の仕事をするデスクのように使われていてうるさくてしょうがない。
打ち合わせの日時や、注文品や、どこそこに書類が置いてあると言うようなことから、同僚と2人で座った座席で延々と会社の仕事内容を大声でしゃべっている。内容を他人に知られてもいいのだろうか。
先日は同じ会社の男女が、企業秘密めいたことをすぐそばでしゃべり合っていた。
こちらは読書や楽譜の点検がない時でも、静かにしていたいのだ。眠りたい時もある。
電車内を会社の打ち合わせの部屋にするのはやめて欲しいものだ。

風呂敷 お婆さんたちの反乱?

美男かずらの赤い実.jpg
野いばらの実 撮影 中島順一郎

1年間教室の係りを務めてくれた方々へのお礼に、来年の干支のうさぎの、仕立てのしっかりした木綿の風呂敷をさしあげることにした。
今までは斬新な模様が楽しめるUFOやオーソドックスな薔薇などがデザインされた厚手の柔らかいハンカチだった。
風呂敷の下地の色は赤と黒の2種類ある。
縁どりの色は全体が赤ならば黒、全体が黒ならば赤で、逆色どうしで引きあっており、模様は絞り鹿の子だ。
絵柄は色とりどりのはっぴを着た白うさぎが、笹の枝に羽子板や独楽、達磨や鯛などの飾りをつけたのや、大輪にした梅の花の飾りなどを担いで楽しげに歩いているもの。
大きな鯛を小車に乗せて引っ張っているのもある。
この楽しげな小道具の雰囲気が、動きの少ない表情のウサギたちに働きかけてまるで笑っているように見える。
とっても気に入ってしまったので、講座の時は机の上に風呂敷を広げオカリナをその上に置いている。

風呂敷の起源は定かではないが、正倉院の所蔵物に舞楽の衣装を包んだもので、中身を固定する紐が取り付けられた風呂敷が残っているそうだ。見て見たいものだ。

唐草模様の風呂敷は明治から昭和にかけて大量生産された。
日本の漫画では、泥棒がどこの家にもあった唐草模様の風呂敷を拝借して、盗んだ品を包んで背負って逃げているのが良くある。
元来唐草模様は吉祥文様である。
唐草模様はエジプトで生まれ、シルクロードを経て江戸時代に日本にやってきた。
四方八方に伸びるので子孫繁栄の縁起物として婚礼道具や寝具を包んでいたのだ。
唐草模様を図案にしたのは、エジプトの人だったのか。
それを受け継いで土地に生きた人々が少しずつ、力を抜いたり変形させたりしながら、ずっと続けて行くのだろう。その変化の底には普遍的に伝わって行く安心感のようなものがある。

ずーっと考えて来たんだけれども考えて来たことと同じことを、テレビでお笑いのコンビが言ってくれた。
それは15年前あたりからよく見かけるようになったことだが、自然な黒髪のおばさんや白髪のおばあさんたちの突如のカラー毛染めである。
それもお祭りなんかではなく、普段の日常生活にとりいれた紫やピンクや緑や黄色の頭髪!!
内部異変か、反乱か?単なる思考停止か全く理解できない。驚きでクラクラする。
ひょっとしたらパリやニューヨークやローマのファッションショーの影響なのだろうか。
美容師さん達が美容院でおばあさんに「雰囲気が自然に柔らかくなりますよ~」と言って髪をピンクに染めていたのを見たことがある。あまりの奇異さにめまいを覚えた。



昆布の煮物と危い日本の島々

適用紅葉.jpg
紅葉  撮影 中島順一郎

昆布をいりこと醤油だけで少々堅めに煮た煮物を子供のころからずっと食べ続けて来た。
お弁当には納豆と一緒にこの昆布の煮物が入っていたので代わる代わる味を楽しんだ。
干した椎茸やタケノコやぜんまいや自家製のこんにゃくを一緒に煮たのもよく食べたが、今からすれば毎日の食べ物が健康食品だった。

大阪と沖縄で育ち台湾に渡って結婚して敗戦を迎え、九州の大分の山奥の子だくさんの実家に父と引きあげて来た母は、下関の水産物の会社に勤めていた叔父のところに海産物をよく貰いに行っていたそうだ。
鮭やにしんやまぐろや鮎や魚の卵の昆布巻きも美味しいが、何といってもまじりっ気なしの厚い昆布の煮物がうまみがあって好きである。
ものごころつく頃から昆布や椎茸やいりこ、たまにはまだ少し柔らかい鰹節をナイフで厚くそいでおやつに食べていて、素の味を噛みしめる旨さを知ってしまっていた。

昨年寿司屋で、ヒラメの昆布じめを発見した時は嬉しかった。
毎回4つほど頼んでいたが美味だった。どうしたわけか今はメニューにない。
山奥の故郷に運ばれていた昆布は北海道産のものだった。

海産物の生ものは何と言っても北海道が美味しいらしい。
それにつけても幼いころ、よくラジオで島の名前を聞いていた、北海道の歯舞(はぼまい)、色丹(しこたん)、国後(くなしり)、択捉(えとろふ)の北方領土のソ連側の一方的な占領が気になる。
2月7日が北方領土の日とされているのは、1855年2月7日に日露通好条約が結ばれ歯舞、色丹、国後、択捉の北方四島は日本領と決定されているからだ。話はきっちりついていたのだ。
1875年の樺太千島交換条約で、日本は千島列島を譲り受け、代わりに樺太全島の権利を譲っている。
1945年8月9日、日本が2回目の原爆で酷いことになっているそのすきに、ソ連が日ソ中立条約を破って日本に宣戦布告し侵略を始めた。
1945年8月15日、日本がポツダム宣言を受諾してアメリカに降伏し、連合軍も日本軍も戦闘を停止した。
その3日後の8月18日から9月5日までの間に、ソ連は一方的に日本を攻撃し北方領土を占拠してしまった。
火事場泥棒とはこのことだろう。人間的な良識や儀礼を云々しても無駄である。
武力を行使し、盗った者勝ちの世界で、沖縄の尖閣諸島のことも危ぶまれる。
2007年5月アメリカの太平洋軍司令官が中国を訪れた時に、中国軍からハワイの東と西で太平洋を2分割管理しょうと言う話も出ている。世界の常識は日本の非常識。


ガラスの醤油さしとマスコミへのない物ねだり

銀杏の大木.jpg
銀杏 撮影 中島順一郎

醤油さしはいくつか持っているが、野の花々や鳥や月などがガラスに繊細に彫られた醤油さしが私のお気に入りである。
蓋が外れなくなった時は、細心の注意をはらって何とか指先でねじって開ける。
どうしても外れない時は油を使うけれども、それでも駄目な時は小さなすりこぎでコンコンと叩いてみると何かの拍子にカパッとあくことがある。
たった一回割ってしまった時は、割れたガラスの破片のように飛び散ってしまった心と言うことを実感した。

醤油をゆっくり小皿に注ぐ時は、光を遊ばせてなおさら美しい波紋が広がる。
醤油さしは透明であったり、瑠璃色、緑であったりする。
兄弟の多い父の実家では常に10人の人々が暮らしていたが、お盆などで人々が集まる時でさえ、瑠璃色の醤油さしは1つしかなかった。
みんなが注ぎ終ったあと、醤油さしのすすきの模様をまじまじと見つめながら、すすきの模様や胴体を触る指の感触を感じることがわたしの大変な喜びだった。
待つ時間の長さに比べれば一瞬だった。
このように美しいものがもっと増えないものかと思った。
その気持ちがづーっと続いていて、いくつもの醤油さしを使い分けられる大人の現在の情況に大変に満足している。

最近、日本がどこかの国の属国になってしまいそうな物騒なことが起こっている。
普天間基地の問題で、米国の傘下にいてさえも強力な守備態勢が望めそうにない気がしていた。
尖閣諸島の問題は秋口に起こるのではないかと予想されていた。
人の家に無断で入り込み、それは自分のものですと言われたら誰でも怒る。
データーの流出の犯人探しに話がすり替えられないように。
北方領土や尖閣諸島のもともとの所有国をおじさんおばさんや小学生にまで解るように、マスコミは国民に懇切丁寧に教えるべきである。


当節怪談事情

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枯れ尾花 撮影 中島順一郎

赤川次郎の当節怪談事情ものを読んでいると、きもちよくお手軽にどんどん読めてしまう。楽しませてもらっている。
どこか知らないところから湧いてくる虚しい人間の悪意による殺意で、なぜだか不慮の事故で死んだり、それに見せかけた殺人が起こる。
勿論そうなるにはそれだけの事情がある。
子供から大人までが殺されかけるか、どんどん殺されてゆく。
幽霊があの世から迎えに来たり、姿の見えない得体の知れない魔物が人間を喰い殺したりする。
殺された人間が、次から次にこの世にさまよい出て来て、正義感の強い主人公などには幽霊の姿が見えてしまい、お互いに気軽に会話したりする。
あまりのお手軽さに、悪意に満ちた呪詛がこちらに喰いこまず、いまひとつ必然的なねばりのある怨念の底意地のある因縁が欲しくなる。
強力な怨念が説得力を増す。
化け猫や、お岩さんやお露さんのように、畏敬の気持ちや恋しい気持ちを裏切られたドロドロした怨念で相手を執拗にとり殺して欲しい。
あくまでも私にとってと言うだけだが、しばらくすると変な不満足感、無力感に襲われる。
こちらの方も怖い。