So-net無料ブログ作成

帯留めと水晶の玉の帯飾り(すがすがしい結界) [エッセイ風(アクセサリー・動植物・着物]

少なくなった川の水が少しづつ増え始め、大きなフナや鯉の影が濃くなった。
日本の着物の模様には、風景や魚や鳥や虫や花を模しているものも多いが、全体として深い水底を思わせるものを取り上げて見よう。

1枚の着物に藻が揺れていたり魚が泳いでいたりして静かな時間が流れている。
着物の帯を結んだ後に、帯留めを帯締めに通して帯の中心につけ、人の胴あたりに結界を作る。
帯留めによる凛とした結界。
さらにその上、帯飾りと言うものを、帯の左上から垂らすことがある。


帯留めは、水輪(水紋)をあらわす2つの楕円の銀細工で、粒真珠が1つずつ2個あしらわれ、帯の模様の淡い川藻の中を泳ぐ鯉の尾に近い下腹あたりに留められている。
帯の鯉と帯どめが、一つ所にあるので、一見するだけで水底の時間が感じ取れる。
着物と帯と帯留めに呼応したイメージの帯飾りが選ばれるので、この四つがつながって物語られるものに一貫性が見られることが分かる。

揺れる帯飾りで装飾が最高潮に達し、完結するのだ。
金細工の菊模様のついた水晶の玉の帯飾りは、細かい鎖の先にぶら下がっている。
水晶の玉は、光を透して白い帯に映り、歩くたびに揺れる。
白地の帯に映った水晶の玉の丸い影は、揺れる水面と鯉が吐く泡粒を表しているそうだ。
影をコーディネイトの一つに加えた池田重子さんに感服する。
賢治の「クラムボンはわらったよ」の世界にも思いを馳せることができる。


2010年の別ブログ投稿文を手直しして投稿
参考本 「夏のおしゃれ」池田重子流きものコーディーネイト

nice!(50)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

映画「白いリボン」 2009 ミヒャエル・ハネケ  [映画]

犯人探しの映画ではなかった。
無音の中に最初や最後の字幕が消えてゆき、描写音楽は全く使用されず、意図のわからない、子供を含む北ドイツの村人たちの悪意が、静かに自然光で撮られた様な美しいモノクロ画面に充満していた。
馬に乗った医者が家の前に誰かによって張られた針金により横転して大けがをし、小作人の妻がなぜか納屋の床から転落して亡くなり、故意に赤ん坊の部屋の窓が開けられ部屋が冷えきってしまっている、行方不明の男爵の息子が逆さづりにされて見つかり、失明するほど顔面を鞭で打たれた知恵遅れの子供がいるのだが、やった犯人は画面に出てこないので誰が何のためにやったのか分からない。
体罰や夕食抜きのひどすぎる罰を、自分の子供に与える牧師。
牧師のかわいがっていた小鳥が、何者かによって2本の刃物で十字に刺し貫かれ殺される。
医者夫妻や男爵夫妻がお互いに容姿の美醜や口臭に至るまで、露骨な日常的なあらさがしをして憎み合い別れ話を持ち出している。
いったいなぜこのような、犯人の意図も、理由もわからない物語が、老人になった元教師の戦争(第一次世界大戦・1914年7月勃発)帰りの仕立屋によって語られるのか。
大人たちの執拗な体罰、陰険で醜悪な見下しの毒を浴びて、陰で憎しみの報復をしているのは子供たちのような気がする。
白いリボンは子だくさんの牧師によって、いつまでも純潔であれと言う願いを込めて子供たちの左腕に結ばれる。
牧師の威圧に対して従順であれと言うことなのだが、これでは息が詰まるような毎日だ。
子供たちはほとんど笑わず表情をなくして静止しており、男爵の息子が楽しそうに笛を吹いたのを聞き咎めた牧師の息子が、無言でいきなり、突発的に彼を池につき落とす。
牧師の美しい長女や長男が冷やかに子供たちを率いていて、理路整然とした言い逃れをするのが恐ろしく感じられた。
憎しみが出口を探して、狂気の悪意に変わっている。
映画終了後、ゲストによる短い講演があったが、疲れて眠ってしまった。
ナチス支持の子供たちの温床になったのが、映画の中のこのようなドイツの村々だと言っていた時は共感した。

映画の影響か、イスに座った足は冷え切って動かない、冷汗が出てきて自家中毒になった気分、病的な空腹を覚え、しょっちゅう睡魔に襲われた1日だった。
腰を据えてみないとミヒャエル・ハネケ監督の映画は魔力を持っている。

nice!(51)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

「鳥の仏教」 個人的見解 [小説など]

ソネットのsakuさんのブログで「鳥の仏教」と言う本があることを知り、このところブログでカワセミをはじめとした表情のあどけない綺麗な鳥たちの写真に惹き込まれてしまっているので、この題名にも興味がわいたのだった。
「鳥の仏教」は、チベット人の仏教徒によってチベット語で大乗仏教の経典を模して書かれたものだ。
カッコウに姿を変えた観音菩薩が鸚鵡の呼びかけにより、ハゲワシ、鶴、カラス、雁、セキレイ、ライチョウ、鳩、フクロウ、オス鶏、ヒバリ、孔雀、ウズラなどと対話する。
鳥たちは鳴き声を上げながら、その音声に意味を込める。
鶴の鳴き声「スンゴ―」は、守らなければならないという意味。カラスの鳴き声「トッキョン」は、救いが来ますと言う意味。フクロウの鳴き声「ウトゥ ウトゥ」は、なんと哀れなと言う意味。
鳥の数ほどの叡智の中の最高のものは、「他の生きものを助けるような生き方をした時だけ、あなた方は真実の幸福を得ることができるでしょう」だった。
一貫して世の無常を繰り返しているのは、「白骨の御文・蓮如」と教えが相似している。
実際のところは読み手の資質(バックボーン)で感じたり理解したりするわけだが、「鳥の仏教」は現代人の私にとっては第一にさわやかで森の中の静かな沼に太陽や月が移り込んで輝いているような、また異国情緒たっぷりな桃源郷の塔に陳列された芸術作品を観るようであった。
古代人は、現実世界の意味を把握するために、時間と空間が融合する神話的思考を自然と行っていた。
現実と神話の間を行ったり来たりするようなあり方は、昔のチベットではよく見られていた。
以下本文より
「動物には、人間と同じように心があり、その心にはしばしば人間を凌駕する特性が宿っている。~略~人間の理想とする菩薩の徳性と、本質においても同じものである。」~略~「神話の思考には、人間の心と動物の心とに共通の基体のようなものがあり、その部分を通じて両者はお互いの間に共感やコンミニュケーションの通路を開くことができる。この基体のことを祖先の時間、神話の時間、夢の時間とよんでいた。それは普通の状態では、現実の世界の表面に現れることはないが、現実の潜在下にあって、絶え間ない活動を続けている」~略~「ブッダにとっては、人間だけがダルマ(法 教え)を知ることのできる特権をあたえられているのではなかった。鳥も、虫も、魚も、ウイルスもすべての生きものがダルマの心理を理解して、自分を拘束している生存条件からの自由を果たす資格を持っていた。」
ウイルスもと言うところがすごい。

「鳥の仏教」 中沢新一著  新潮社



nice!(43)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

クリント・イーストウッド監督 「ヒア・アフター」(2010・アメリカ) [映画]

アメリカの霊能者の男性と、双子の兄を亡くしたイギリスの少年と、津波に襲われ臨死体験をしたジャーナリストのフランス人の女性の3人が、それぞれの行き場に窮してやっとたどり着いたのがイギリスのディケンズ博物館だった。
運命の糸に引っ張られて3人は出会ってしまったが・・・。
現実の中にある真実を、具体的な事実をとことん映し出すことによって極めていたイーストウッド監督が、死者からのメッセージや臨死体験や死者の導きなどを取り扱うオカルト的な作品も作っている。
霊能者の男性は、近しい人が亡くなった人の手を取ると即座に死者からメッセージが聞こえてくる能力を持っていて、死者や死者と関わりをもった人の名前の頭文字まで、ずばりと言い当てることができる。
「この能力は贈り物なんかではなく、呪いなんだ」と言ってこの仕事を辞めてしまう。
双子の弟の少年は、母が薬物使用者で里親に面倒を見てもらっていて、亡くなった兄が恋しくて霊能者たちをたずね歩いている。
死者からのメッセージを聞くことから逃げている霊能者の男性が、本を出版したジャーナリストの女性の朗読をディケンズ博物館で聞いているのを見つけ出した少年は、拒否し続ける男性の窓下に立ち続ける。
引き寄せられるように出会った3人。




nice!(39)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

沖縄本  と 未公開映画「白いリボン」に期待 [その他]

124 - コピー.JPG
撮影 S・M 糸満(海の方へ)

昨年秋に母を連れて、母が小学生のころまで暮らしていたという糸満市の糸満に行ってみた。
その昔さとうきびを絞るために野牛が働いていた場所に、叔父に頼んで連れて行ってもらったけれど、母が暮らしていたのはずいぶん前のことなので雲をつかむような話で、住宅が建ってしまっていた。
敗戦で焼けて戸籍もなくなり、醤油屋をしていた場所などは、亡くなった曾祖父母が、夢枕に立たない限りわからない。
以前行った時は祖父のことを覚えている古老に出会うことができたが、亡くなった祖父や今一人暮らしをしている母が現在の糸満を知りたいと思っているのかどうかもわからないのだ。
母が行っていた教会もお寺もあったが、母の記憶は薄れていて、もうこの辺で解放されてもよいのではないかと思った。
母から聞いた、見えないものが見えていた親戚のユタ的なおばあたちの消息もつかめず、母にとって、最初で最後の祖父母の墓参りができたことは、心に最終決着がつけられたと思ってもよいことではないだろうか。
ほがらかにしていたいのだけれど、それにつけても森や海から上がってくるこの嘆きの感情はいったい何であろうか。
目取真俊(めどるましゅん)の小説や比嘉慂(ひがすすむ)の漫画「美童物語(みやらびものがたり)」「砂の剣」、果てには「ほんとうは怖い沖縄」(仲村清司)も読んでいるが、ブログ紹介で知った又吉栄喜著「豚の報い」と言う小説を、よい機会なので読んでみようと思う。

2月26日公開の映画「白いリボン」はものすごく楽しみにしている映画だ。
「すでに古典」とか「不浄の傑作」と言われている作品で、予告編で見ただけだが、北ドイツの小村に起こる怪事件を扱っている。





nice!(36)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

思い起こすことなど 「情熱大陸」テレビ [その他]

小川未明の童話「金色の輪」に登場する、病み上がりの太郎少年を、金色の輪を2つ回しながら連れに来て金色の輪を1つ渡してあの世に連れていく、夢の中の少年が現れそうな朝だった。
1週間ほど現れなかったカワセミのオスが、昨日の夕方、今まで出没していた500メートル先にいたが、今朝はいなかった。青鷺の頭についた素敵な羽が、風にシュッと伸びて下に戻るのを繰り返していた。

昨夜のテレビの「情熱大陸」には、女性らしい伸びやかなしっとりした声で歌われる歌手の今井美樹さんが出ていた。
何事かあれば泣きながら相談できる母親もいて、かわいい子供もいる、ピアニストとリサイタルも開けて、夫には曲を作ってもらい、2万人規模のコンサートが終われば、夫に抱きしめられ、スタッフや共演者とも大成功のタッチをして喜ぶことができる。
「世間の噂を悲しみ憎む方向にエネルギーを使わないようにするとよい。自分は聞いたことも聞かなかったことにすることができる」と夫君に慰められていた。
「全員でなくても、10人に理解してもらいたい」と彼女は言っておられたが、世間一般の全員に理解してもらうことはむずかしく、週刊誌などに面白おかしく書かれたことが本筋であるかのように思われていても有名税とやらで仕方がない。
観客と交流し、歓喜のエネルギーに助けられて、たおやかな花として歌うことができるなんてすばらしいではないか。
コンサート前は下を向き、周囲の者にまるで腫れ物に触るような態度をとらせてしまうのって、やはり主役だから許されることなのでしょうか。
あちこち支障をきたす肉体であっても、舞台をこなすことができるなんて、できないものからしてみれば奇跡に近いことです。

今われわれの肉体がなぜここにあるのかと、命の源を科学的に調べていっても、最終的に出現したのはなぜなのかと言うことは、わからないとふと思った。



nice!(30)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

「帆船」  ブローチにもなる帯どめ [エッセイ風(アクセサリー・動植物・着物]

昨年の秋に他ブログから移転して来たのだが、舌の上で転がすべっ甲飴のように愛着のある、おそらく二度と陽の目を見ず、埋没してしまうであろう映像の浮かぶ、帯留めや着物他などについての文を、時々お色直しを加え、自分のためにも取り上げて見ようと思う。
帆船が海上を進む映画たちも寄ってくるので待たせてある。

<帆船>帯留め 晴山作
風を孕んだ5つの白い象牙の帆は、やや右からの風を受けて左へ膨らんでいる。
膨らんだ帆は、帆船が左へ進んでいることを知らせてくれる。
装飾された窓枠のある展望台が、船内に3つもある。
中心にある一番高い展望台に、甲板から白い梯子が1つ掛かっている。
梯子の横木に、後ろの空間が均等に区切られ、その隙間の黒が象牙の白をなおはっきり見せてくれる。
梯子があるおかげで、船内がぐっと引き締まっている。
梯子で船のてっぺんまで上がれると言うたのしみがあるので、気持ちもだんだん雲上に引き上げられる。
もっとよく見ると、船首の胴体にぴんと跳ね上がった髭のような錨までぶらさげている。
胴体に6つの真珠を発見。嬉しい。
また錨の下に、もう1つ真珠を見つけた。
今日の7つの快挙だ。
7つの海を航海したい。

伝えたい日本の美しいもの「貴道裕子の おびどめ」2 (有限会社スーパーエデション)
nice!(27)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

ロベルト神父に巣食うもの  「バチカン軌跡調査官 サタンの裁き」藤木稟著 [本]

悪魔と言う言葉を使いたくなければ、虚しい暗黒と言い変えてもよい。
どちらにせよそれは記憶の暗闇を通過してやってくる。
幼児の時の両親の印象は聖職者にとってさえも強烈である。
現代人においても、執拗に気にかかる表層的な意味不明の言語の奥深く、幼児期に、身を破滅させる言語体験をしていなかったかどうかを、検討してみる必要があるようだ。
少なくとも認識しておくことは私個人にとっては必要なことだと思う。


カトリックの独立国バチカン市国には、世界中から送られてくる奇跡申告に対して、列福、列聖に値するかどうかを調査する軌跡調査委員会がある。
奇跡調査官である平賀とロベルトの2人の神父が、アフリカの共和国に送られ、遺体が腐らない神父を調査する。
ロベルト神父は、古文書と暗号解読の専門家である。
ある日、ロベルト神父が古文書の積まれた暗い書庫の中にいる時に、(以下本文より)「ぞっと背中が冷たくなった。~略~大きな人影が背後にあって、荒い息づかいが聞こえていた。」「『汝は私を愚弄するのか』 恐ろしいくぐもった声が聞こえた。~略~その存在は忌まわしいばかりで、毒気と恐怖に満ちていて、神々しさのかけらも感じなかった。おぞましい物音が背後から聞こえてきた。何かが暴れまわっている気配がする。蛇だ。蛇の舌がちょろちょろと這いまわっている。『汝は父を見捨てたり』怒涛のような声がして、ロベルト神父は、激しい眩暈に襲われた。」
「・・・今・・・悪魔が来た・・・」
科学的な調査官である平賀神父に言わせると、ロベルト神父はパニック発作を起こしていた。
(以下本文より)「古来サタンとは、神に従い、神の命の下、人々に試練を与える存在でした。きっとそれらは神があなたを試しているのだと思います。」(平賀神父)

血液に原因があって遺体が腐らなくなった神父は、ロベルト神父の生き別れの父親だった。
ロベルト神父が幼児のころの父親は、酒を飲んでは妻に暴力をふるい、父の怒鳴り声と暴れるもの音にびくびくとしている毎日であった。逃げ出したロベルトと母は、父親に居場所を突き止められ、母はロベルトの目の前で、殴りつけられ絞殺された。
ロベルトは「悪魔は出ていって」と叫んだが、父は「お前は父親を見捨てたな!それならお前に生きる意味はない」とロベルトを殺そうとした瞬間に警官によって助けられたのだった。
その思い出が、神父(父親)の腐らない遺体を見た時から、(以下本文より)「記憶の表層へよみがえってきた。意識の中に蘇ろうとする記憶と、思い出したくない自己とが葛藤して、相当に精神的な負荷があったに違いない。だから突然、過呼吸のパニック症状なども起こしたのであった。」








nice!(21)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

影深し 二の足を踏む 白夜かな  映画「白夜行」 [映画]

映画「白夜行」の終盤で、一人の青年が、彼のすべてを引き受けるので、父親にならせてくれと叫けぶ、人情厚い刑事の説得にもかかわらず、ビルから身を投げ命を落とした。
彼、亮司には小学生の時からずっと、誰にも知られずに、いわば同罪相哀れみ、慰めあい助け合って生き抜いてきた、クールで怜悧な恋人雪穂がいた。
恋人とのかかわり方が一般的な懐かしい幼馴染としての恋愛だったらどんなに良かったことだろう。
その類稀な恋愛には、大人たちがしでかした欲望の闇がいびつで複雑な影を落としていた。
小学生の亮司は自分の父親に手をひかれ、工場の中に入る雪穂を見つけ、あとを追ってゆく。
幼児売春をさせられていた雪穂の相手が、自分の父親であることがわかりハサミで父親を殺す。
殺人の疑いをかけられのは、雪穂の母親だったが、小学生の2人は雪穂の母親をガス中毒に見せかけて殺す。
事件はうやむやになってしまったが、この事件を担当した刑事は腑に落ちないものをずっと感じていて、やっと亮司をビルの屋上に見つけ出す。
見つめられ言葉を交わすと、まるで雪穂の願いのままに動いてしまうと言う力が雪穂には備わっていた。
母親によって客を取らされていた小学生の雪穂は、人格に分裂を起こし、無表情になることで、自分を守ったのではないだろうか。そのままでは決して耐えられないだろう。
亮司は雪穂のために、雪穂に都合の悪い人間たちを凌辱し、その秘密を利用することで雪穂を有利にする。
雪穂は資産家の男と結婚し、その親族と知人の男たちの後ろ盾により、高級なブテックを開くことになった。
やっとここまで来た時に、一介の刑事の呼び掛けで、亮司が自分の罪を認めれば、雪穂のことまで明らかになるはずである。
白いスーツを着、象牙の輝きを持った静かな雪穂を見て亮司は身を投げた。
雪穂は亮司のことを聞かれて「知らない人」だと答える。
知っている人だと言えば、亮司の苦労が水の泡となってしまうからだろう。
悲しい嘘と言えばこれほど悲しい嘘もなかろう。






nice!(17)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

おもむく前の足踏み効果は あるや なしや 映画「冷たい熱帯魚」と映画「白夜行」 [映画]

映画「冷たい熱帯魚」と「白夜行」の殺人の動機の共通点を探すには、直接的、間接的に人を殺める事ができるようになる個人的な必然を、嫌悪感と胸の痛みを抑えながら探し当てなければならない。
今日は映画「冷たい熱帯魚」から検討してみたいと思う。
「冷たい熱帯魚」では、金を奪うために58人もの人を毒殺し、愛人とともにその遺体を風呂場で切り刻み、ドラム缶で焼き、粉を山間に撒き、残った肉片を川に流して魚の餌にし、「透明にする」と称して、あとかたもなく人の肉体をこの世から消し去った熱帯魚店のオーナー(俳優 でんでん)を追ってみることにする。
愛人と2人で、ほがらかに人体解体作業を行う異常な天真爛漫さは、いったいどこで培われていったのか。
熱帯魚店のオーナー(俳優 でんでん)の挑みかかるようなしゃべり方は、常にハイテンションで、独特な魅力を持ち、筋が通っている。
いわゆる善人のとりすました遠い呼びかけよりも迫力に満ちていて、あるところまでは非常に親切である。
熱帯魚店のオーナーは時折「おかーさん、おとーさんごめんなさい もうしません」などと小声で言う。
そして下を向いておどおどして何もできなかった子ども時代の自分から、悪事を働いて脱却した事を自慢にして生きている。
活き活きと生きていても、それが人の毒殺と殺した人の肉体を「透明にすること」で成り立っているのならば、異常である。
親の執拗な精神的、肉体的な叱咤や虐待による圧力で、心の闇の内にめり込んだ状態が続いた結果、自殺するか、何かによってそこから立ち上がるきっかけを掴む、しかしそのきっかけが殺人だったら哀れなことだ。
熱帯魚店のオーナーに付け入られて仲間にさせられた小心者の小型熱帯魚店のオーナー(吹越満)は、脅され、人間性を踏みにじられる状態の継続には耐えられず、警察に通報した挙句、裏切った妻を殺し、自死を選ぶ。



nice!(19)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画