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仮設住宅不足 原発処理長期化 吉村昭「三陸海岸大津波」 劇場映画「ザ・ライト エクソシストの真実」 [震災と映画]

ひどい所では10メートルから30メートルの高さがある大津波によって、三陸海岸沿いの街や港が倒壊してしまった。早期の復興が望まれる。
自然の猛威の前にはなすすべもなく、放心状態に陥りつつも、あまりにも悲惨な受苦であったため言葉をなくし、大きな傷を隠しながら笑うように心がけ、皆で国の立て直しを図ろうとし、それぞれの持ち場でそれぞれが個々に思う普通の日常生活に大まかに戻ろうとしている。
津波に運ばれていった人々の事を思うと、あまりのつらさに、生き残った者は呻吟せざるを得ない。
今のところ原発処理の期間は9か月間かかると言う発表だが、ほんとうにそうなのだろうか。
原発から30キロ圏内の土地が、置いていかざるを得なかった動物たちだけが走り回るゴーストタウンになってしまうのはあまりにも恐ろしく悲しすぎる。
「先も長くないので故郷から動きたくない」と言われるお年寄りの病気の方々をどうするつもりなのだろうか。


小説家の故吉村昭さんが7年前に書いた「三陸海岸大津波」(地方史)と言う本を読んだ。
明治29年三陸海岸を襲った大津波の高さは、50メートルもあった。
それ以後の津波も大多数は10メートルを越えたものばかりだった。
津波の数ヶ月前から海藻(川菜)が、濃い密度で磯を縁取り、鰻の大群が現れた。
津波の前には井戸の水が白か赤に濁り始め、夜になると青白い怪しげな火が沖合に出現した。
海に著しい変化が起こっていたのだ。
1958年7月にアラスカのリツヤ湾を襲った津波は史上最高のもので地上500メートル(50メートルの間違いではない)の高さにまで達した。
1771年4月24日、石垣島を高さ85メートルの津波が襲った。
昭和8年、昭和35年にも10メートルは優に越える津波が三陸海岸を襲っている。
とにかくひどい地震に見舞われたら夜中でも黎明でもすぐに高台に逃げることが先決である。
数限りない津波の襲来を受けていても、なぜ人は高台に移らず、津波を受けた同じ場所に家を建設するのだろうか。


劇場映画「ザ・ライト エクソシストの真実」 監督ミカエル・ハフストローム
2011年 アメリカ
<悪魔の存在を信じると言うことは神を信じることであるという台詞が何度も使われている>
21世紀の現在にも実在している悪魔祓いを天職とするエクソシストは、バチカンが公認した職業である。
エクソシスト養成講座は7年前から毎年1回バチカンで開かれており、エクソシストは300人ほどになった。
キリスト教で言う悪魔は、エクソシストによって自分の名前をつきとめられるか、明かさなければならない窮地に陥った時に、自分の名を白状してしまった場合、退散せざるを得ない。
1973年のドラマチックな映画「エクソシスト」(監督ウイリアム・フリードキン)では、悪魔の名前は「パズズ」。
今回の映画「ザ・ライト エクソシストの真実」では「バアル」である。
バアルとは蝿の王(旧約聖書)、ネコとガマガエルに姿を変える悪魔のかしら(新約聖書)、ルシファーの右腕(悪魔学)と言われている。
パズズはメソポタミアの邪悪な熱風の神で4枚の翼とライオンの顔と爪を持っている。
人にとりついている悪魔は、まずはいないふりをしているが、エクソシストとの対決の時は、信仰に対して少しでも懐疑心を抱きひるんでしまうことがあると、司祭は悪魔に憑依された人間と共にズタズタにされる。
悪魔を人の体内から追い出し、豚の体内に追い払って海に墜落させる奇跡を行ったキリストの名において悪魔を祓わなければならない。

映画「ザ・ライト エクソシストの真実」では、何千回も悪魔祓いをやったことがあるベテランの神父のルーカス(アンソニー・ポプキンス)と、葬儀店を営む父に育てられ不快なものや気味の悪いものにも耐えられる新米の司祭マイケルと、精神的な病を持っていた(悪魔に憑依されていたかもしれない)弟を見捨てた女性記者のアンジェリーナが登場する。
それぞれ過去の人生において苦しい思い出を持っている3人は、過去の出来事について悪魔から指摘されなじられて動揺する。
精神科医や心理学者とエクソシストは協力し合うのだが、医者や科学者が説明できない事が一つある。
悪魔は、人が誰にも話したことのない、本人だけしか知らない、個人的な過去の罪や傷を熟知していて、あばきたてる。
本人以外誰も知らない事を悪魔が知っている事に驚くエクソシストや介助者を、揶揄し、嘲笑しひるませるのだ。
悪魔は常に執拗にゆさぶりをかけてくる。
悪魔に憑依された身重の少女や少年を、悪魔祓いで助けようとするがてんで歯が立たない。
悪魔の存在を痛感すると、イエスと精霊と神の名において悪魔を祓うことができる。

脚本家のマイケル・ペトローニが脚本に書かなかった実話と言うのが映画のパンフレットに載っている。
ある神父から脚本家が聞いた話として、信じてもらえない可能性があることを前提に述べられている。
悪魔に憑依された女性がバケツ1杯分の精液を吐きだし、神父が身につけていたガラス製のロザリオが粉々にされ、階段に円錐形に並べられてあった話など、あまりにも恐ろしすぎたりすると編集段階でカットされるそうだ。
1973年の映画「エクソシスト」では、悪魔に憑依された少女の首が360度回り、緑色の液体を吐いたが、今回の映画「ザ・ライト エクソシストの真実」 では妊娠した少女が、釘を何個も吐き出し、出血多量で亡くなる。
蛙が部屋中に散らばり、悪魔の使いの馬が現れ、神父自身が悪魔に憑依され、祝福して下さいと言う少女を殴ることがあった。

エクソシストが出てくる著作
島村奈津著 「エクソシスト急募」「イタリアの魔力」 
ラルフ・サーキ著(ニューヨーク市警) 「エクソシストコップ」
トレイシー・ウイルキンソン著 「バチカン・エクソシスト」

















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想定外の天災以後の人災 避難住民 汚染拡散   劇場映画「再会の食卓」 [震災と映画]

地震から1か月もたつのに、欲しい物資が行きわたってない地域の避難住民がテレビで助けを叫んでいる。
原発では汚染水が大量に海に流されたが、国際法にひっかからないのだろうか。
東日本大震災は戦後最大の危機をもたらしているが、毎日のように頻繁に起こる余震による津波の心配があり、元の場所に家屋を建設することはできないと言われている。
卓越なリーダーの出現と、確固とした方針の実行が待たれている。


劇場映画「再会の食卓」
2010年 中国 監督ワン・チュエンアン

1949年の中国、蒋介石が率いる国民党軍は中国共産党軍との戦いに敗れ台湾に逃れた。
台湾に逃れた国民党軍の夫と上海に残ってしまった妻とはその後40年間会うことがなかった。

生き別れになってしまった妻(玉娥 ユィアー)と夫(燕生 イエンション)は、それぞれ上海と台湾で再婚した。
夫は台湾で再婚した妻に死なれ、40年ぶりに上海に住んでいる元妻の(玉娥 ユィアー)に手紙を書いた。
元の夫は、帰郷団の一員として、新しい家族をもっている元の妻を上海に訪ねる。
40年ぶりに会った元の妻の玉娥(ユィアー)と2人の男性、元の夫の(燕生 イエンション)と現在の夫(善民 シャンミン)が、時には上海の家族と共に、酒席の食卓を囲み、御馳走を分かち合うことで、気持ちがほぐれ、徐々にお互いの心の深奥を知ることができ、ストーリーの展開が行われてゆく。
食卓は狭い場所で皆で囲む時もあれば、3人で囲む手ずづくりの蟹料理であったり、外食であったり、家の外の路地にテーブルを作って急な雨にあい、あわてて皆で片づける食卓であったりする。
玉娥(ユィアー)には元の夫との間には長男がおり、現在の夫との間には2人の娘がいる。
元の夫は元の妻を台湾に連れて帰りたいと申し出る。
娘たちは、妻が亡くなったので元の妻を台湾から取り戻しに来る、虫のよい元の夫(燕生 イエンション)をなじるが、現在の夫(善民 シャンミン)は、元の夫(燕生 イエンション)を丁重にもてなし、御馳走をいっしょに食べ、決して強い言葉を吐きかけたりしない。
はじめは現在の心やさしい夫の善民(シャンミン)は、妻を元の夫に返すことについて承知したものの、国民党の夫の燕生(イエンション)の子を身籠っていた玉娥(ユィアー)と共に40年の歳月を、共産党の国で差別されながら生きぬき、苦労を共にして来た事を、酒席でしゃべり始め、勢いで隣の席にいる他の客に喧嘩を売り殴りつけようとする。
歴史に翻弄された結果、夫の善民(シャンミン)が、ほんとうに殴りつけたかったのはだれだったのだろうか。
元の夫(燕生 イエンション)と台湾に行く決心をしていた玉娥(ユィアー)は、結局は行かない決心をする。

次回予告 劇場映画「ザ・ライト エクソシストの真実」


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福島第1原発汚染水放出停止・冷却システム復旧・コウナゴ漁停止・仮設住宅60万戸必要  光明禅寺  [2011震災と原発]

荒れ狂う原発の先行きに、絶望的な不安を感じながら、海の自然の解毒の力に汚染水を薄めてもらおうとしている現状を見守っている。
太陽や火や水による発電に切り替えようと言う考えもあるが、今や生活になくてはならない電気を供給してくれる原発と、手前勝手な人間の友情は成立するのだろうか。
汚染水の人的放出は中止されたものの、人為の及ばない流出が始まっているかもしれない。
事故後の東京電力の男性の方々の、テレビでの涙にはどう言う理由と意味が含まれているのかわからないので不安がつのる。
廃炉は止めたままにすると、穴があいて放射能漏れをするので解体できないそうだ。
放射性廃棄物を貯蔵している青森の六ヶ所村のドラム缶はほんとうに300年もつのだろうか。


国立博物館が休館だったので、鎌倉時代からある光明禅寺に10年ぶりに立ち寄って見た。
訪れる人もなく深閑としていて、表の枯山水の海流が光の中で静かな音を立てて横たわっていた。
憧れの七つの海から、そのまた海への旅、またははるかかなたの宇宙への旅を思い起こさせた。
白砂の流れを自己の左右に流している岩は、島宇宙の中の惑星を現し、人1人を現しているように思えた。
裏庭には苔むした岩や石像が点々と置かれ、100本近くあろうかと思われるもみじが、裏手の山から吹いてくる風に葉を揺らし、寄り集まった葉音があたりに音鎖の飛び散ったような流れを作っていた。
様々な緑や土色の苔の庭は、何百年もの間沈黙を守っており今もそれを続けていた。
その優しさと無言の制御と永遠の時の流れに目頭が熱くなった。
山から吹き下ろしてくる風は、地球が緑におおわれたころから変わっていないのかもしれない。
風は自分で吹くのではなく、地球の自転で生まれるエネルギーである。
それを風と名づけた人がいたのだ。


次回の劇場映画紹介  「再会の食卓」中国映画2010 監督ワン・チュエンアン



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