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映画「赤んぼ少女」 監督・山口雄大  原作コミック・楳図かずお [映画(原作コミック)]

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映画「赤んぼ少女」監督・山口雄大  2008年 

嵐の夜の稲光、幽霊屋敷と呼ばれている瀟洒な西洋館。
レースのカーテンと房を下げた風格のある分厚いカーテン、彫像のある廊下、木々の葉が影を落とし、草の胞子が飛び交う暗い庭、不気味な絵、草に覆われた古井戸、得体のしれない召使い、と言うようにホラーになくてはならない道具立てがそろっている。
原作者の楳図かずおは、とことん悲しいまでに悪意を描いて見せる。
嫌と言うほど執拗に、憎しみや怨念や狂気を描く漫画家も珍しいが、読まずにはいられない吸引力がある。 
バランスを取るために、時には角度を変えて、世の中に隠されているありがたくない感情の痛すぎる出所を、確認しょう。
悲しいほどに蠢く(うごめく)邪悪な感情に翻弄され、広がってゆく波紋。


映画「赤んぼ少女」
赤んぼのままで、成長が止まっているタマミは15歳。
タマミには、赤んぼの小さな肉体と、異様に伸びた茶色い右腕しかなく、しかも指は節くれだって変形していて、爪も悪魔の爪のようにとがっている。
顔には深いしわが刻まれ、歯はぎざぎざで醜い。
タマミには、天井裏をはいずりまわり、壁をリスのようにピョンピョン飛び、西洋館周辺の執拗な探索をすることによって、15年もの間鍛えられた怪力が備わっている。
黒くとがった歯の生えた口を開けて泣きつづけ、気に入らない者には、「ビヤー ビヤー ビヤー」とひしゃげた高音を口内で発して、相手に飛びつきざま噛みつく。
西洋館を訪れた者が井戸をのぞくと、怪力で引っ張り込み、異常に強い指の力で首を絞めて殺す。
タマミは、ほとばしるような邪悪な憎しみを、他の人間に正直に向ける以外に、人と関わる方法を知らない。

南条家には15歳の2人の姉妹がいる。
醜悪で残忍な赤んぼ少女タマミと、美形の少女葉子。
奇形に生まれたタマミは、病院で死んだと思われていた。
しかし母親が、父親に内緒で、タマミを、仏像の裏の秘密の隠し部屋で育てていたのだ。
タマミの生存を知った父親は、タマミを鞄に詰め、川へ投げ込むが、タマミは鋭い爪で鞄を破って出てくる。

タマミは醜くく生れついた自分に納得することができず、葉子の美しさに嫉妬し、葉子を盗み見している。
葉子の口紅を、自分の魔物のような唇に塗りつけた後、おのれのあまりの醜さに怒り狂って鏡を割り、葉子の部屋を滅茶苦茶にする。
奇声を発しながら、美しいものや自分を受け入れない者を、父親であろうと、姉妹であろうと、殺そうとするタマミの怨念は悲しい。

燃えさかる西洋館の中へ、気のふれた母親に抱かれながら戻ってゆく醜いタマミ。
「オ・カ・ア・サ・ン・・・ゴ メ ン ナ サ イ」とつぶやき死んでいくのだった。
母に抱かれたタマミの骸(むくろ)が哀れ極まりない。
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映画「サン・ジャックへの道」 ・ 序説 [映画]

映画「サン・ジャックへの道」
監督 コリーヌ・セロー  2005年 フランス 108分 カラー

9人の男女が、2ヶ月かけて、フランスのル・ピユイからスペインのキリスト教の聖地のサン・ジャックまで、1500キロの道を徒歩で旅する物語だ。
美しい自然の中のゆっくりした徒歩の旅の中で、それぞれが抱えた問題が交錯しあう。
少しずつ深まってゆく人間関係が、今までみんなになかった、人を思いやる気持を必要とさせる方向に向かう。
人種差別をする聖職者なども現われて、飽きさせない内容だ。


今回は、ストーリーと言うよりも、監督のコリーヌ・セロー(女性)が、具体的な旅のストーリーの合間に挟み込んだ、幻想的な夢のシーンを取り上げることにする。
このような内的な夢の映像なしでは、この映画は撮れなかったと言う。
隅々まで、美的緊張感のある夢のシーンは、物語に新鮮に溶け込み、映像には、グループ全員の心の問題が影を落としている。
この傑作な夢や白昼夢の場面に出会った驚きは、フランス映画の「地下鉄のザジ」や、「アメリ」と少し似ている。
表現は映画「サン・ジャックへの道」の方がスマートだけれど、深さや濃さにおいては、日本で言うと寺山修司の映像から受けたショックや、強烈な郷愁につながってゆく。
夢のシーンの中には、アルファベットのAが、失読症の少年を追いかけて来るシーンがある。
Aの文字は少年にかぶさり、Aの文字の上のわくの中にたまった水に落ち込んだ少年が溺れそうになる。
少年は言葉や文字を覚えられないことにに対してコンプレックスを持っているので、文字自体に脅迫される夢を見たのだろう。
川を飛んで渡る黒ずくめの天使の後に従って、青年も川を飛び越え、青年が着地すると天使がスローテンポで、黒い美しい馬になり、馬に青年が乗って行くシーンがある。そこには恋に悩む青年がいる。
これはギリシャ神話の好きなコリーヌ・セロー監督の好みのシーンのようだ。
またランプをかざした9人が庭園の迷路をめぐるシーンは、みんなの不安を現わしているのがわかる。
好きだったのは、ぬいぐるみとも違う、心の世界のいきものたち、色とりどりの羽のフクロウ、一角獣、鷲、孔雀、ワニ、人間の体を持った黒猫、キリン、ライオン、猪、緑のイグアナが、草原に集まって、ただ立って均衡を保っている存在感のあるシーンだった。
彼らは、聡明で柔和な平和感覚の持ち主であることがわかった。
ストーリーを進めてゆく中で、これらの夢のシーンは、物語の展開だけでは表わせない深みと、影の世界からの暗示を与えてくれている。




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詩「にょしんらいはい」 小川アンナ  ぺッパーランド編「母系の女たちへ」 現代企画室 から [詩]

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「母系の女たちへ」ペッパーランド編(現代企画室・1992年12月15日初版)


詩「にょしんらいはい」 小川アンナ

おんなの人を きよめておくるとき
いちばん かなしみをさそわれるのは
あそこをきれいにしてやるときです
としとって これがおわりの
ちょうどふゆのこだちのように しずかなさまになっているひとも
おばあちゃんとよんでいたのに おもいのほかにうつくしい ゆきのあしたのように
きよらかにしずまっているのをみいでたときなどは
ひごろいたらなかったわたくしたちのふるまいが
いかにくやしくなさけなく おもいかえされることでしょう
そこからうまれた たれもかれもが
けっして うみだされたときのくるしみなどを
おもいやってあげることなどなく
それは ひっそりと わすれられたまま
なんじゅうねんも ひとりのこころにまもられていたものです
てもあしもうごかず ながやみにくるしむひとのかなしみは
あそこがよごれ しゅうちにおおうてもなくて
さらしものにするこころぐるしさ


いくたびもいくたびも そこからうみ
なやみくるしみいきて
いまはもうしなえたそこを きよめおわって
そっとまたをとじてやるとき
わたしたちは ひとりのにんげんからなにかをしずかにおもくうけとって
いきついでゆくとでもいうのでしょうか



詩人 小川アンナ(1919~ )
詩「にょしんらいはい」を初めて読んだのは、「母系の女たちへ」ペッパーランド編(現代企画室・1992年12月15日初版)を詩人の水野るり子さんにいただいた時である。 
詩「にょしんらいはい」は、冒頭に掲載された詩で、心構えや覚悟を噛みしめた。
亡くなった女性たちの姿が次々に浮かび、そのことによって、この詩は私にとって、その人たちが生きていたことを確認するためのお経のようなものになった。
「母系の女たちへ」ペッパーランド編は、詩人の水野るり子さんが主に携わったと聞いている。
17人の女性詩人たちが、母への思いを、詩とエッセイで綴っている。
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原初的なエネルギー  映画「紅いコーリャン」 [映画]

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「紅いコーリャン」

監督 チャン・イーモウ
原作 モオ・イエン
1987 中国  カラー 91分

要所要所に割れるがごとく響きわたるドラの音。
いまだかつて聞いたことのない、噴出するマグマをかき混ぜたように熱い強烈な歌声。
粗野でダイナミックな男たちの、大地に根ざした地鳴りのような声は魅力的である。
コーリャン酒も紅、花嫁の御輿(みこし)も衣装も紅、昼間の太陽も夕日も紅。
扇情的な紅を基調色にして、民族色豊かな物語は進む。
生き物のすさまじい触手のようにざわめくコーリャン畑。
コーリャン畑の緑と対比させた紅色の圧倒的な色彩の美学を見せ付けられる。


18歳の花嫁(九児 チウアル)は、酒造り(コーリャン酒)のハンセン氏病の老人に嫁ぐことになった。
上半身裸の男たちに担がれた花嫁の御輿は、盗賊に襲われ、花嫁は御輿をかついでいた男たちの中の1人、のちに夫になるユイに助けられる。
当時の習わしとして婚家から、3日後に実家に戻る途中、花嫁はまた襲われるが、花嫁をひょいと横抱きにしてかっさらったのは、ユイだった。
2人はコーリャン畑で意気投合する。
もどって見ると夫の酒造りの老人は、行方が分からなくなってしまっており、花嫁は未亡人として酒造りを続ける。
コーリャン畑で身籠ったユイの子供が生まれる。
またもや酒屋が盗賊に襲われ九児が連れ去られたりするが、残酷極まりない日本軍(映画の中の設定)がやってくるまでは順調だ。
したたかな九児との、心の行き違いに怒ったユイが、コーリャン酒の甕(かめ)の中に放尿するが、最高の味のコーリャン酒になる。
美酒が出来た時の喜び方も尋常ではない。
喜びがこめられた爆声がきもちいいほど!
コーリャン酒の甕や器は、作法など無視されて、地面や台の上にたたきつけられるように置かれるが割れない。
原初的な感情が乗り移ったような「酒造り歌」は、日本の物やロシア民謡とも異なって、圧倒的な地響きをたてる。
九児は日本軍に殺され、ユイと息子は生き残る。

★幸せ3部作「あの子を探して」、「至福の時」、「初恋のきた道」の チャン・イーモウ監督の最近の作品、「サンザシの樹の下で」は見そびれてしまっている。
★映画「紅いコーリャン」は、九児役の中国女優コン・リーの初演映画。
コン・リーの秀いでている顎の線は心とつながっていて、役柄によって柔らかい情感やスッとした意志を現わす時があるのではないかと一人で納得している。
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娯楽映画としての「怪猫もの」とのつきあい [エッセイ風]

その昔、田舎の娯楽は、全国を巡業する映画と芝居だった。
現在はエイリアンや、ロボットものを楽しんでいるが、何を隠そう子供のころから怪猫(化け猫)映画の大フアンでもあった。
夜になるとまだうっそうとした暗がりが残っていた時代のことだ。
行燈(あんどん)の油を舐めていた化け猫が、お城の女中に見つかり、「みい~た~な~」と言いながら女中を襲うシーンンの台詞が、子供たちのお気に入りで流行っていた。
のんびりした良き時代の昭和の思い出である。
怪猫(化け猫)は、人の目を盗み、池の鯉を盗って、床下に潜り込んでむしゃむしゃ食べた。
腰元(お城の女中)に見つかると「みい~た~な~」と言って腰元の帯をくるくると解き、バック転を何回もさせてじゃれて遊んだあとに、自分の手下にするのだ。
化け猫には、権力者(城の殿さま)による無謀な振る舞いが原因で、飼い主を殺され、仇を取るために化猫にならなければならなかった哀れさがあった。
その構図は人は変われども、現代でも当てはまる。

思い出そうとすると10以上の怪猫映画が脳裏をよぎる。
「怪猫からくり天井」、「怪猫呪いの壁」、「怪猫夜泣き沼」、「怪猫有馬御殿」、「怪猫呪いの沼」、「怪猫お玉が池」、「怪猫逢魔ガ辻」、「怪猫岡崎騒動」の中などでも、一番怖かったのが「怪猫佐賀屋敷」だ。
月の赤い晩や、そぼ降る雨の夜道を、一人で帰路につく時など、どこかしら映画の雰囲気とつながっている暗がりに出くわし、いくつかの映画の化け猫たちの顔をふと思い出した。
いまだに震え上がるほど怖くなる。
怖いものに惹きつけられるのは、普段とは違うどきどきする瞬間を持ちたかったからだろう。

素顔が美人で化け猫のメーキャップで怖さが倍増した入江たか子さんや、お城の暗がりの蜘蛛の巣のエキスから生まれたような毛利菊枝さんの怖わかったこと。
この2人、どこかひゃーっとするような水分を持っていた。
奥方や老女から、怪猫に切り替わる瞬間が恐ろしく、怪しい立ち居振る舞いなど、何と言っても妖怪の目つきにぞっとさせられた。
待てど暮らせど、一度も怪猫が出てこなかった映画「怪猫五十三次」もあった。
怪猫映画では必ず、飼っていた猫が飼い主の血を舐めて化け猫に変身し、主人の敵を討った。
そして化け猫は、必ず侍に討たれ、家に戻って屋敷の中で亡くなり、生き残っていた家人に抱きしめられるのだった。

怪猫は御殿の寝所に眠る殿様を襲い、家来を散々てこずらせたあと、喉に噛みつき、アクロバット回転飛行をしながら天井を突き破って逃げた。
怪猫封じのための密教の坊さんの熱のこもった護摩焚きシーンや、徳の高い坊さんにもらって入り口に貼った御札が怪風で1枚づつ剥がれていくシーンなどがあった。
次に迫り来る惨事の前ぶれとして胸がどきどきしたものだった。
惨事の前には、前触れと言うものがあることを知ったのも子供の頃だった。






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ふたたび怪異もの  映画「藪の中の黒猫」 新藤兼人・1968年 [映画]

芸術作品としての怪異な怪猫(妖女)ものの極めつきは、日本の能を取り入れた新藤兼人監督の映画「藪の中の黒猫」だろう。
母役の妖怪の乙羽信子が舞う能は、凄みを帯びていて怪しく神秘的である。
あの世にありながら現世に人の姿を取って現われ、現われるかと思えばかき消え、その境を行ったり来たりする能の世界は、幽玄の世界だと言われている。
人間の欲と言う欲を突きつめては、日ごと人間を支配する宿業として、醜かろうと怪しかろうと、ありありとした存在感を持たせている。
太地喜和子と中村吉右衛門が夫婦役を演じ、新藤兼人監督作品には必ず出る乙羽信子が、母親役で出演している。
地獄に落ちて悔いなしと心から言える、人間の情の濃さと、その狂おしいほどの切なさを、新藤兼人監督は追求する。
百姓役に殿山泰司、頼光役には佐藤慶、観世栄夫も登場し、なくてはならない味を出している。



平安末期の乱世の頃、百姓の夫(中村吉右衛門)は妻と母を残し、蝦夷征伐に出かける。
敵の大将を討った夫は、のちに藪の銀時と言う名を源頼光から頂戴する。
藪の銀時の同僚の落武者たちが、妻と母の住む粗末な家に上がり込み、食べ物を盗み、2人を犯し、家に火をつける。2人の哀れな焼死体が映し出される。
何処からともなくやって来た黒猫が、妻と母の血を舐める。
怪猫ものでは、血を舐めることで、猫と女性が合一し、妖怪が生まれると言うところが、結構ずさんだが、そう思えてしまうところが面白い。

天地魔神に、武士の血をすする誓いをたてることによって、人の姿でこの世に戻ることを許された妖怪(怪猫)の妻のシゲは、夜な夜な自分たちを襲った武士たちを、女性の色香でたぶらかし、屋敷に引き入れては喉笛を噛んで殺し、夫の帰りを待ち続けている。

夫が家に戻った時には、家は無く妻と母もどこに行ったのか消息がつかめない。
ある日、夫は妻と母にそっくりな女性にであう。
夫 「あなたたちを討ちに来たのではない。逢いたくてきたのです。」
あまりの恋しさに夫は、2人の屋敷に通いつめる。
夫を待ちわびていた妻は、夫と7日間の逢瀬を重ねる。
一夜を共にした男を食い殺すと言う、天地魔神との誓いを果たせなかった妻は、喜んで地獄に落ちていく。
夫 「あれはもういないのか、もう会えないのか」と身がちぎれんばかりに苦悩する。

何処までも続く日本の竹林と、2人の女の居住している屋敷の薄暗さが幻想的で美しい。
源頼光から、怪猫を討つよう命令された藪の銀時は、水溜りに映った母の怪猫の姿を見て腕を切り落とす。
その腕を取り戻して、空に舞い上がる母を、藪の銀時は半狂乱になって追いかけるが、竹林に倒れ動かなく
なってしまう。その上に雪が舞い落ち、あたりをおおい隠す、その時間が永遠を思わせる。
雪は、すべてを覆いつくす慈悲のように積もってゆく。



ストーリーは、「雨月物語」と都に現れる鬼が母に化けて腕を取り戻しに来る「渡辺の綱と酒呑童子」の今昔物語と化け猫の話が溶け合った話になっている。


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今様(いまよう)ちょっと怖い大人の言葉遊び [大人のことば遊び]

<月夜のうずのしゅげの言葉遊び>

血気にはやる
吸血鬼
灸をすえる

コロッセウム
ころしあいで
コロン


火縄銃の
火種に
火をつけて
ひき金を
左の
ひとさし指で
ひく
瀕死の
比嘉さんが
左足
引きずって
日傘さして
日がさんさん

★言葉遊びは、何年か前にふと浮かんできたもの。
人としゃべる時はダジャレやお笑いの毎日を送っている。
投稿文だと少し姿勢を正しますので、緊張をほぐすために、時々息抜きをします。

★皆さんの所にお邪魔していてじっくり読ませていただくと、色々学ぶところや発見があり、あっという間に
半日が終わってしまいます。目がかすみますね。

★楽天市場の記事を載せていらっしゃる方のブログで、私が以前から調べていたアマゾンの本や、記事にした「ツタンカーメンのえんどう豆」、「ククミス」(おもちゃキューリ 苦い)の種の販売の写真が出て来ます。   楽しいのでおすすめです。

ツタンカーメンのえんどう雨.jpg
楽天市場 ツタンカーメンのえんどう豆
ククミス.jpg
楽天市場 ククミス おもちゃキューリ

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写真集「秘境国」  まだ見たことのない絶景 パイインターナショナル発行 [写真集]

秘強国.jpg
写真上 アフリカ レソト大国の滝   
写真下 アフリカのカーボヴェルデ共和国の山の中腹の家
<緑の大地の絶壁を流れる滝や高山の中腹にある色とりどりの家>

表紙の滝や壮大な山の中腹に肩を寄せ合って立っている色とりどりの家を一目見た時から、本から手が放せなくなった。
表紙の滝は、レソト大国の滝で、アフリカ地図の下方に位置している。
どこからあのように大量の水が流れてくるのかと思えるほどの水量がある。
アフリカのレソト王国は日本の九州より小さく、アフリカのスイスと呼ばれており、夏季の平均気温は21.2度。
アフリカの大地には、秘境国とか、まだ見たことのない絶景が多いのだ。
「秘境国」の紹介では50あまりの国の中でもアフリカは22国もある。
山の中腹にある家々も、アフリカのカーボヴェルデ共和国のものだ。
奴隷商人につかまらないために、人が追って来られないように住みついた高地である。

私が一番行ってみたいところは、絶滅したドード―(飛べない鳥)がいた、アフリカのエデンの園のようなモーリシャス共和国だ。
オランダ、フランス、イギリスなどの入植者たちにより、動植物たちは次々と絶滅していったそうだ。
(上記の説明は、まだ見たことのない絶景「秘境国の本文を参考にした)


日本で唯一紹介されているのは、日本の観光地だけれど、火星の大地のような光景を見せてくれる、大秘境「仏ヶ浦」である。
青森県の下北半島にあり、観光客は恐山までは足を延ばすが、仏ヶ浦まではほとんどがやって来ないそうだ。
仏ヶ浦 蓮華岩.JPG
仏ヶ浦  青森県の下北半島


故郷の深山の水が作った小さな滝は、木々の間から日が射すと虹が立っていた。
子供の頃の記憶によると、滝の後ろに洞窟があり、奥深く入って行くと、岩の中の金や水晶が光っていて、あたりが明るかった滝もあった。
滝の裏の洞窟を、記憶を頼って探しているのだが見つからないので、金山のトンネルの中にあった滝だっかもしれない。


写真集 まだ見たことのない絶景「秘境国」   
コラム 宮田珠巳(エッセイスト)
パイインターナショナル発行
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シネマ歌舞伎「高野聖」 を見て (2) ~続く~ [映画]

小説映画の「高野聖」 に登場する、魔性と神聖を併せ持った嬢様は、修業僧の宗朝ただ一人に対してだけ、猿や蟇(ひき)や蝙蝠(こうもり)や兎や蛇や馬や牛に変える術を使わなかった。
なぜなのであろうか。
「高野聖」の嬢様には、「安珍と清姫」のように、蛇に変身した清姫が、釣鐘に隠れた安珍を焼き殺した時のような怨念はない。
雨月物語の「浅茅が宿」のように、心変わりした夫を霊魂になってまでも何年も待ち続けるような執念はない。


「叔母さんが世話を焼くのでござんす」(高野聖 本文より)と姉弟が内輪話をするような調子で会話がすすむ。
嬢様 「川へ落(おっ)こちたらどうしましょう」(高野聖 小説本文より)
宋朝 (あなたを)「白桃の花だと思います」(高野聖 小説本文より)
この「白桃の花だと思います」の言葉こそ、宋朝が嬢様への憧れと畏敬の念を抱いていることがすけて見える言葉である。
修業僧の宗朝は、気高い感性を持ち、慎みや恥じらいを失っていなかった。
もう2度とこの世であうことはないであろう、嬢様と宗朝は、お互いを気遣いあうのである。


シネマ歌舞伎「高野聖」 の中の嬢様役の坂東玉三郎、修行僧役(宗朝)の中村獅童には犯しがたい品と気丈な姿勢があった。
月丘夢路と葉山良二の映画「白夜の妖女」では、嬢様の妖艶さばかりが表に現われ、うろたえて逃げるように立ち去る宗朝には、薄情者だと言う印象を覚えた。
嬢様の魔性と言う孤独を救おうともせず、投げ捨てて逃げ出す坊様がいることにより、私の中に何十年も嬢様の哀れさが尾を引き、井戸に落ちてゆく小鳥の声のように残っているのである。

シネマ歌舞伎「高野聖」の嬢様は、宗朝の修業の成就を願い、命の尽きるまで、祈りつづける。
このような身でありながら、宗朝のことを思いつづけさせて欲しいと懇願する。
弧家(ひとつや)を立ち去り、人家が見えてきたところで、引き返そうと迷っている宗朝は、親仁(おやじ)に出会い、嬢様の魔性の秘密を知ることになるが、この秘密は今更驚くべきことではない。
ほとんど知れてしまった嬢様の秘密については後日言い及ぶことにする。
シネマ歌舞伎「高野聖」にも、映画「白夜の妖女」にも、現代において失われてしまったかのように思える感性を見つけ出すことができる。
物を食して生きる現実生活を、活き活きさせるためには、物語や音や美術、工芸の世界からも力を得なければならないことを実感する。


「高野聖」 泉鏡花の短編小説   ~~続く~~
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「世界あちこちゆかいな家めぐり」 小松義夫・文と写真  西山晶・絵  たくさんの不思議傑作集 [絵本]

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土のお城 西アフリカ トーゴ共和国 タンべルマの人々 泥でできた家

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承啓楼  中国・福建省の円形の家(土楼 どろう)

一度住んでみたい家は、みんなで輪になって暮らせる中国・福建省の円形の家(土楼 どろう)である。
4階建てで、200もの部屋があり、300人もの人がいっしょに暮らせる。5階建てもあるそうだ。
「中に入るととてもにぎやかです。ちょっと歩くと、お茶でも飲んで行けと、あちらこちらから声がかかります」(世界あちこちゆかいな家めぐり本文より)
まん中に先祖をまつる御堂があり、昔は敵を防ぐために壁を厚くし、入口を少なくしていたようだ。
豚、ウサギ、ニワトリなど飼っている。
写真集の名前は忘れたが、たくさんの人々が声を掛け合い、笑いながら過ごしている写真を見た時から、気になっていた。
写真は拝見するばかりで撮ったことはほとんどないし、建築家ではないので、数字で表わさなければならないような詳しいことはわからない。
歴史家でもなく、法律にも詳しくないので、どのような地理で、どのようなもめ事があるのかもわからない。
本職では疲れきることが多いので、その場で十分事足りてしまい、なかなかそれ以上は特別に音楽を聞いたりはしない事が多い。
「世界あちこちゆかいな家めぐり」には、モンゴルの組み立て式の家、インドネシアのとんがり屋根の家など愉快な家が沢山紹介されている。
どの家にも住んでみたいと言う好奇心だけはまだ残っている。

「世界あちこちゆかいな家めぐり」 小松義夫・文と写真  西山晶・絵  たくさんの不思議傑作集(福音館)
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