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沈黙ーサイレンスー(5)個人的な覚書  ああ殉教 モキチ  他 [映画]

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モキチ

参ろうや 参ろうや パライソの寺に参ろうや  
この地上は日本人の彼らにとってあまりに苦しい。
苦しいゆえにただパライソの寺をたよりに生きてきた百姓たち。


モキチ水磔.jpg

殉教でした。しかし何という殉教でしょう。略 
~たとえばその人たちの魂が天に帰る時、空に栄光の光がみち、天使が喇叭(ラッパ)を吹くような赫(かがや)かしい殉教を夢見すぎました。略~
日本信徒の殉教はこんなにみじめで、こんなに辛いものだったのです。
ああ、雨は小やみなく海にふりつづく。
そして海は彼らを殺したあと、ただ不気味に押し黙っている。
遠藤周作「沈黙」より

★基督教では洗礼を受けると今までの罪は許される。
<告解>カトリックでは洗礼を受けた後、受洗後に犯した罪の許しを告解室で神父を通して受けることができる。

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「死の棘」島尾敏雄 新潮社

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「狂うひと」梯久美子著 新潮社 
島尾敏雄と島尾ミホ(どちらもカトリックで洗礼を受けた)のことに言及した小説「死の棘」
の妻の場合「そのとき私は、けものになりました」
★このような赤裸々な美しく悲しいものをブログ主は初めて読みました。
追い追いブログに書き付けてゆくつもりです。

最近見た劇場映画
「アサシン クリード」「モアナと伝説の海」「ラ・ラ・ランド」


柴犬カンチの足跡日記
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沈黙ーサイレンスー (4)個人的な覚書 ~つづく~ [映画]

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通辞(通訳)   浅野忠信
地侍の息子が世に出るための学問として、天草や大村や有馬にある神学校に通い、洗礼も受けるには受けたのだが、修道士にも切支丹にもなるつもりはなかった。
「パードレたちは、いつも我々日本人を、馬鹿にしとられた。カブラルと言うパードレは格別我々を蔑(さげす)まれておられた。日本に来ながら、我々の家を嘲(あざけ)り、我々の言葉を嘲り、我々の食事や作法を嘲られておられた。そして私たちがセミナリオ(神学校)を出ても司祭となることを決して許されなんだ」遠藤周作著「沈黙」より 


浅野忠信1.jpg
通辞(通訳)
「デウスにまこと慈悲の心あらば、なにゆえ天国に行く道に至るまで、さまざまな苦しみやむつかしき事を与えるとおもわるるか」

別の侍の言葉を通辞はゆっくりと訳した。
「ある土地では稔る樹も、土地が変われば枯れることがある。切支丹と呼ばれる樹は異国においては、葉も繁り花も咲こうが、我が日本国では葉は萎え、つぼみ一つつけまい。土の違い、水の違いをパードレはかんがえたことはあるまい」遠藤周作著「沈黙」より

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隠れキリシタンたちが祈ったマリア観音

「パライソ(天国)に行けば、ほんて永劫、安楽があると常々申されとりました。。あそこじゃ年貢のきびしい取り立てもなかとね。飢えも病の心配もなか。苦役もなか。もう働くだけ働かされて、わしら」
「ほんと、この世は苦患(くげん)ばかりじゃけねえ。パライソにはそげんものはなかとですかね、パードレ」遠藤周作著「沈黙」より

枯松神社おらしょ.jpg
枯松神社 の神社祭 長崎
弾圧のなかで、「神 社」としてカモフラージュしながら、信仰の対象となるサン・ジワンさまを祀ったキリシタン神社

★潜伏していた切支丹たちの信仰は、200年もの間司祭から指導を受けられず、悲母観音像を聖母マリアに見立てたりして、仏教や神道、民俗信仰と結びつき変化していった。



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