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沈黙ーサイレンスー (4)個人的な覚書 ~つづく~ [映画]

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通辞(通訳)   浅野忠信
地侍の息子が世に出るための学問として、天草や大村や有馬にある神学校に通い、洗礼も受けるには受けたのだが、修道士にも切支丹にもなるつもりはなかった。
「パードレたちは、いつも我々日本人を、馬鹿にしとられた。カブラルと言うパードレは格別我々を蔑(さげす)まれておられた。日本に来ながら、我々の家を嘲(あざけ)り、我々の言葉を嘲り、我々の食事や作法を嘲られておられた。そして私たちがセミナリオ(神学校)を出ても司祭となることを決して許されなんだ」遠藤周作著「沈黙」より 


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通辞(通訳)
「デウスにまこと慈悲の心あらば、なにゆえ天国に行く道に至るまで、さまざまな苦しみやむつかしき事を与えるとおもわるるか」

別の侍の言葉を通辞はゆっくりと訳した。
「ある土地では稔る樹も、土地が変われば枯れることがある。切支丹と呼ばれる樹は異国においては、葉も繁り花も咲こうが、我が日本国では葉は萎え、つぼみ一つつけまい。土の違い、水の違いをパードレはかんがえたことはあるまい」遠藤周作著「沈黙」より

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隠れキリシタンたちが祈ったマリア観音

「パライソ(天国)に行けば、ほんて永劫、安楽があると常々申されとりました。。あそこじゃ年貢のきびしい取り立てもなかとね。飢えも病の心配もなか。苦役もなか。もう働くだけ働かされて、わしら」
「ほんと、この世は苦患(くげん)ばかりじゃけねえ。パライソにはそげんものはなかとですかね、パードレ」遠藤周作著「沈黙」より

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枯松神社 の神社祭 長崎
弾圧のなかで、「神 社」としてカモフラージュしながら、信仰の対象となるサン・ジワンさまを祀ったキリシタン神社

★潜伏していた切支丹たちの信仰は、200年もの間司祭から指導を受けられず、悲母観音像を聖母マリアに見立てたりして、仏教や神道、民俗信仰と結びつき変化していった。



柴犬カンチの足跡日記
http://blog.livedoor.jp/kanchi_m/
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