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お盆の郷土料理 鱈胃(たらおさ) [珍料理]

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鱈(たら)

たらおさの煮物は、大分の日田近辺のお盆の郷土料理である。
鱈胃はたらおさと読み、たらのエラと内臓を干した乾物で、棒だらの身を取った後の残りものである。長さは30センチ〜40センチほど。
えらの部分はブラシのような形をしており、胃の部分はひも状に長く固い。

鱈の身の部分は途中で博多の商人に売れてしまうので内陸の日田にまでは届かなかったらしい。
高価な棒鱈を作った後、残ったはらわたとえらを捨てず、すべて食べ尽くそうとしたのだ。


子供の頃、お盆前頃から雑貨屋さんにたくさん置いてあったのをこっそり触ってみていたのを覚えている。
日田よりももっと内陸にあった我が地方では、夏に食べられる珍味としてありがたがられていた。
鱈胃(たらおさ)は1日~2日水につけて戻し、食べやすい大きさに切ったものを牛蒡、干し椎茸、こんにゃく、ニンジンなどといっしょに醤油や砂糖とともに甘辛く煮る。

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鱈胃(たらおさ) お盆の郷土料理
エラの部分はコリコリし、胃の部分は噛み応えがありどちらにも旨味があった。
内陸部に住む人たちにとってはイリコやするめ、干しエビ、鰹節と共に貴重なたんぱく源だった。
鱈おさ料理は、現在も酒のつまみとして、ごはんのおかずとして愛され続けている郷土料理だ。


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柴犬カンチの足跡日記
カンちゃんは10月で14歳。お耳がちょっぴり遠くなり、花火の音も少しだけ怖くなくなりました。
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私見 お盆前の納骨堂で  [雑感]

納骨堂の小さな骨壺の中は静止した川底に似ていて、黄色い目をした緑色の蛇のようなものが横たわっている。
緑青の水晶の時間が、父と骨の残っていない赤子(一美ちゃん)の骨壷をさびしく包んでいる。

「あんたは一美ちゃんの生まれ変わりやね」と母に言われた私の首に死んだ赤子がまとわりつく。
お盆がめぐってくると、再び母の声が聞こえて来て、耳を伝って降りて来る赤子が、冷たい火傷のように首にはりついて離れない。
悲しいかな、嬉しいかな、その重さが兄妹の絆を唯一確めるものとなっている。

私は渇(かわ)く。
冷静な均衡を取り戻すために、緑青の水晶の時間に私の喉(のど)が触れたがる。
液体になった時間を飲み下す時、喉を潤すものはサイダーに似た気泡を含んでいる。
生きていた死者たちを死から取り返せない現実が身にしみる。
もうとっくに認知症でそのことを忘れてしまった母は朗らかである。


寺を訪れた死者の家族は、亡き人への思いがつのり、はしゃいだり黙りこんだりする。
「あのような人だったけれど、今は悩みもなくなってどこまでいったろう。阿弥陀様に抱かれて、安らかに過ごしているんだろう。」

「魂などない、生きている人のためにお盆はあり、参列者のためにお経を読んでいる」と言う坊さんばかりで、私の嘆きは肩すかしを食らいながら闇の中へ落ちてゆく。

生身の人間が、肉体を失い、肉体がないので、そこできっぱりと何もなくなるってことか。
赤子の時になにもなさずに亡くなった親族や、猛烈に苦しんで亡くなった家族が、骨になってそこでもうおしまいでなのですか。



雨が何万年か前に山の噴火で固まった岩盤地形を侵食した。
硬い丸い石が川底を研磨した。
繰り返される豪雨のたびに、壺状の穴に幾つもの小石が入り込み輪廻のように回り続けている。
流水は入れ替わっていのるだが川底の時間の容量は無限である。
劫初から何事もなかったようなすがすがしい静けさが流れている。
時間は骨や骨にまつわるすべての人間関係が無くなってさえも存在し漂っている。


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