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レ・ミゼラブル 警官シャベールの死 [映画と本]

レ・ミゼラブル.jpg
レ・ミゼラブル 」   監督 トム・フーパー 2012年12月21日日本公開  152分
<踊らないミュージカル その場で歌を録音したので自然な盛り上がりがあると言われている>
ジャン・バルジャン役   ヒュー・ジャックマン ポスター右上
時代は19世紀前半、国はフランス。

⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒ 以下内容に触れています⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒

前おき

ジャン・バルジャンがパンを盗んで19年も投獄され苦役を担わされたことはむごいことである。
作者のビクトル・ユーゴーの時代には、1日中働いてもろくな食事もとれない貧しい民衆が沢山いて、パンを一切れ盗んだだけで投獄され身を滅ぼしており、物語の中のジャン・バルジャンもその一人だった。
出獄しても黄色い旅券(身分証明書)の所持を義務づけられ、復職するのが難しく再犯に走るものが少なくなかった。
ジャン・バルジャンのように四回脱獄に失敗すれば、刑期が加重され19年になることは十分にあり得た。

警官シャベールは黄色い旅券(身分証明書)を破り捨てて姿を消したジャン・バルジャンを宿敵として追い続けていた。
ジャン・バルジャンは出獄した後、教会の銀食器を盗んで捕まったが、「私が差し上げたものだ」と司教に言われ再投獄を免れ無償の愛を知った。
ジャン・バルジャンは工場主、市長となって世に現れ、工場を止めさせられ娼婦になってテナルディエ夫妻に預けた娘のコレットに送金していたフォンテーヌの最後を看取りコレットを引き取った。
その間執拗に警官シャベールに追われる身となっている。

☆レ・ミゼラブルの1つの意味はしいたげられた人々、もうひとつの意味は見下げ果てた奴、憎むべき人々である。後者を代表しているのはテナルディエ夫妻と警官シャベール。明治35年(1902年)黒岩涙香(くろいわるいこう)が萬朝報(よろずちょうほう)にレ・ミゼラブルを連載した時に、ああ無情と訳している。


ジャン・バルジャンは常に貧しい者の味方になり、自分の身分がばれるかもしれないのに馬車の下敷きになった老人を助け、間違われて自分の身代りに投獄された男の無実を晴らした。
ジャン・バルジャンは、革命軍(少人数)に捕まった警官シャベールが殺されかけているところを助けて逃がした。
養女のコレットの恋人(革命側)を背負って下水道から逃れる時に警官シャベールと出くわしたが見逃してもらった。
お互いに命を助けあったジャン・バルジャンと警官シャベールだったが、今まで罪人を逃したことがなく、法を破るという許されざる行為の体験の無い警官シャベールの衝撃は、彼自身に打撃を与え心を底からゆさぶった。

シャベール.jpg
警官シャベール ラッセル・クロウ

警官シャベールは、徒刑囚として投獄されていた両親から生まれた。
出獄した両親は再び犯罪を犯しジャベールは両親を捕らえて投獄した苦い体験を持っている。
シャベールはやがて警察官となり、冷酷無比な法を忠実に実行するようになった。
両親の出身階層を嫌悪し憎しみから権力に盲目的に奉仕するロボットのような人間になって行った。


「ジャヴェル(映画では、警官シャベール)を驚かしたのは、ジャン・バルジャンが自分を許したことであり、彼をぼう然自失させたのは、彼自身がジャン・バルジャンを許した事であった。」
「ジャヴェルは警察の全ての規則に反し、社会上および司法の組織にそむき、またあらゆる法律にそむき、正しいこととして罪人(ジャン・バルジャン)を放免したのである。これはジャヴェル個人にとっては、しごく当然のことあった。しかし彼は私事のために公務を犠牲にした。あらゆる定理は、ジャン・バルジャンの前に崩れおちてしまった。」
「ジャン・バルジャンの寛大さは彼を圧倒した。」

ジャヴェル(映画では、警官シャベール)は、いつの間にかジャン・バルジャンを尊敬し讃嘆していた。
ジャン・バルジャンのことを慈善を施す悪人、敵を滅ぼすよりも自分を滅ぼそうとする高い徳をもつ人、人間よりも天使に近い囚人、・・・・ジャヴェルはそのような怪物が世に存在することを認めないわけにはいかなかった。
法律の正直なしもべジャヴェルが、一人の男ジャン・バルジャンを放免する罪と、彼を捕える罪との間に板挟みになった。
ジャヴェルが立っていたのはセーヌ川の岸の急流のそばであり、恐ろしい水の渦巻きが目の下にあった。
彼は暗闇の中にまっすぐに落ちて行った。

「レ・ミゼラブル」ビクトル・ユーゴー作 岩波少年文庫 豊島与志雄 編訳より


★一徹な澄みきった頭脳を持っていた彼(ジャヴェル)は自分の中の闇と共存するよりもそれを殺したかったのだろうか。
ジャヴェルには警官の仕事を止め、ジャン・バルジャンと共に第2の人生を民衆に捧げるという別の生き方もあったのではなかろうか。


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参考本
「レ・ミゼラブル」 上・下巻  ビクトル・ユーゴー作 岩波少年文庫
豊島与志雄 編訳
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見つめる者をとらえて離さず、所有するものに働きかける金の指輪 「指輪物語」原作J・R・R・トールキン  瀬田貞二・田中明子訳 [映画と本]

以下ところどころ内容に触れています。


ほとんどの者が、悪の瞑王サウロンが作った金の指輪を見ると、自分のものにしたいという激しい内心の葛藤と戦わなければならなかった。
仲の良かった友だちを殺してまで金の指輪を手に入れてしまったゴクリは、生まれつき好奇心が強く、賢者も思い及ばないほど強靱な精神力を持っていたが、魔力にも当然魅かれやすかったため、逆に金の指輪に取り込まれてしまった。
金の指輪を友だちが川底で見つけなければ、そしてゴクリがそれをが欲しがらなければ、彼は一生好奇心の強いいきいきしたホビットのスメアゴルとして女酋長の祖母の手助けをして和やかに暮せたかもしれない。

金の指輪はゴクリ(映画ではゴラム。まだ小人族のホビットだったころの名前はスメアゴル)の心を食い荒らし、その苦痛は耐えがたいものだった。
ゴクリは、さめざめと泣き、むごいと言い、へつらい、細い長い手をこすり合わせて指をしゃぶりったりしたが、その様は責めさいなまれた古傷が疼くのを見るようだった。

2ゴラム.jpg
「ロード・オブ・ザ・リング」王の帰還 監督ピーター・ジャクソン
二重人格のゴラム


堪え難い試練の結果ゴクリの人格は二つに分かれ、映画、ロード・オブ・ザ・リングでは2重人格のゴラム(ゴクリ)の対話が高揚感のある一人芝居のように繰り返され、自分のことをおれたち(2人)と呼ぶようになっていた。
異様な姿かたちに変わってしまいゴクリになってしまったスメアゴル(ゴクリことゴラム)の孤独な葛藤の会話は、滑稽ではあるが、闇に耐えていることが分かるので哀れをもよおし私を泣かせる。
ゴクリの心の片隅には、ホビット(小人族 ストゥア族)だったころのまともな本心が残っていて、暗闇の中の割れ目から洩れた過去からの光のようにゴクリの心に射しこんできた。
ゴクリは、ホビットのビルボ・バギンズ(フロド・バギンズの叔父)となぞなぞを解きあう時に、彼の思いやりのある声を耳にして、正直な所気持ちがよかったし、風や木や、草に射す日の光と言ったとうに忘れていたものの記憶が蘇って来た。
ゴクリが、なぞなぞの答えで、しなげし(雛罌粟 ひなげし)の上のおしさま(太陽)と答えるところがあるが痛々しい。


ビルボ・バギンズは甥のフロド・バギンズに金の指輪を渡し、フロド・バギンズは庭師のサムワイズと一緒になにかに追われるように旅に出るが、旅先でゴラムに後をつけられ3人で滅びの山を目指して旅をする。
3人.jpg
「ロード・オブ・ザ・リング」王の帰還 監督ピーター・ジャクソン
左から ゴラム(ゴクリ)、サムジャクソン・ギャムジー(庭師)、フロド・バギンズ




金の指輪は間違いなくゴクリのいとしい人(いとしいしと)であり、彼が大切にしていた唯一のものだったが、しかしもう一方で、とりわけ彼は金の指輪を憎んでいた。
憎んでいたのならどうしてそれを厄介払いし、振りすてなかったのかと言うと、ゴクリは自分自身を憎みながらかつ愛していたように、金の指輪を憎み愛したので捨てることができず、そうしょうにももはやゴクリになってしまってからは意思の力が残っていなかったのだ。

不可思議なことに金の指輪の背後には指輪の作り主の意図をも超えた、何か別のものが働いていた。
ゴクリもビルボ・バギンズもフロド・バギンズもその他指輪を手にしたものたちは、金の指輪をみつけるように定められていたと言うことだ。
小説のこういう言い回しは宿命論的で広がり過ぎてとらえ難いが、興味の段階を越えてしまった今はこちらも広げて受け止めて見るほかはない。

★背後に働く意図と言うのは誰のどのような意図であろうか?ほとんどおいて無関心を感じる神の名を出さないとすれば、宇宙の意思?
  


「指輪物語」二つの塔上・下 評論社 瀬田貞二・田中明子訳 作J・R・R・トールキン
「指輪物語」王の帰還上下 評論社 瀬田貞二・田中明子訳 作J・R・R・トールキン
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地底湖でのなぞなぞ対決  ビルボ・バギンズとゴクリ(ゴラム) [映画と本]

向かって左 ホビット族 ビルボ・バギンズ(マーティン・フリーマン)
向かって右 ゴラム(ゴクリ) アンディ・サーキス(CG化) 
映画 「ホビット 思いがけない冒険」 監督 ピーター・ジャクソン 170分 日本公開2012年12月14日
ギルボとゴクリ.jpg

以下内容に触れています★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
岩波少年文庫「ホビットの冒険」 上・下巻 J.R..R.トルーキン作  瀬田貞二訳



ゴクリ(ゴラム)とビルボ・バギンズのなぞなぞが始まった。
かつてまだゴクリに仲間がいた時に、ゴクリにとってなぞなぞは皆といっしょに穴の中で遊んだ、ただ一つの気晴らしの遊びだった。
ビルボ・バギンズにとっては、なぞなぞが解けなければゴクリに食われてしまう生死をかけた対決である。


ゴクリ
「 それではしとつ、かけようかい。 いとしいしと(ゴクリは自分のことをこう呼ぶ)。いとしいしとがなぞをかけ、あいつがこたえられなきゃあ、こっちが食う。 あいつがなぞをかけて、こっちが答えられなけりゃあ、あいつのおのぞみどうりにしる。し、どうしる?ぬけでる道を教えてやるが、よしか?」


山、歯、卵、シナギク(ひなぎく)の上に照るおしさま(太陽)、くらやみ、魚などのなぞなぞの答えに、なるほどとがてんがいき興味が湧く。
8つのなぞなぞの答えの中には、「魚が台の上に置かれていて、そばで人間が床几に腰かけ、猫が骨を食べている」と言うような複雑なものさえある。
ゴクリの言葉使いは奇妙だが本当に味わい深い。
ゴクリと言う、老人のような子供のような奇怪で哀れで悲しく残忍でどうしょうもない者を避けて通れなかった。
いったい見るもおぞましい餓鬼のようなゴクリがどうなってしまうのか気になってしかたなかった。
なぞなぞの問いも面白いので1つ2つ紹介しょう。

ゴクリの謎かけ
「声がないくせに、しいしい泣くし、はねがないくせに、ばたばた飛ぶし、
歯がないくせに、きりきりかむし、口がないくせに、ぶつぶついうもの、は?」
ビルボ・バギンズの答え
「風だ!」

ゴクリの謎かけ
「どんなものでも食べつくす、鳥も、獣も、木も草も。鉄も、巌も、かみくだき、勇士を殺し、町をほろぼし、高い山さえ、ちりとなす。」
ビルボ・バギンズの答え
「時間だ、時間だ!」


ビルボ・バギンズは、むねをかきむしったり、ひざをつねったりして、なぞなぞを考えに考えていたけれど、ゴクリ のようないやな、しめっぽいつめたい奴が、となりにすわりこんで、ビルボ・バギンズのからだを、なぜたりさすったりしていては、なんのなぞなぞも思いつけなかった。
ビルボ・バギンズはあせりにあせって、ひとり言だったのだが 「 このポケットにあるものは、何だ?」と言ってしまった。
このなぞなぞは、昔からのしきたりに従った、ちゃんとしたなぞなぞではなかった。
ゴクリは言う 「三つあてさして、いとしいしと。三つだけ、あてさして、し 、し。」
1回目の答え「手、でし!」 2回目の答え「ナイフ!」 二つもと答えたが違っていた。
答えは「金の指輪」。
その昔冥王サウロンが作らせたと言うこの指輪をはめると姿を消せるのだった。


ゴクリはこの指輪を、あきるまで指にはめていて、その次はからだにつける財布の中にしまい、それからは地底湖の島の岩にあいた穴のなかにかくしておいて、いつも指輪を見に帰っていた。
道に迷った子どものゴブリン(小人族)をしねった(ひねった・殺した)時に指輪をなくしていて、それを偶然にビルボ・バギンズが拾ってしまいポケットの中に持っていたのだった。
「 なくなった!いとしいしと。ないよ。なくなったよ!ちきしょう、ちきしょうめ、いとしいしとがなくなった!」
ここでゴクリは自分のことではなく指輪のことを 「 いとしいしと 」と言っている。


「 あんたは何をなくしたのかね 」とビルボ・バギンズはゴクリに、しつこいほどたずねた。
もうなぞなぞではなく、ゴクリの失せものさがしになってしまった。
そして勘のいいゴクリはもう一足先に答えを見つけてしまっていた。
ゴクリは、ビルボ・バギンズのポケットに入っているものが指輪であることをなぜだか知ってしまっていた。


ゴクリは一目散にビルボ・バギンズを殺しに来るが、指輪をはめたおかげで姿が見えなくなったビルボ・バギンズは、ゴクリの1メートル上を飛び越え、洞窟の穴から逃げのびることが出来た。
これから先も、ゴクリは執念深くビルボ・バギンズの後を追ってゆく。





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同一人物だった  映画「ホビット 思いがけない冒険」のゴラムと岩波少年文庫「ホビットの冒険」ゴクリ [映画と本]

ゴラムとゴクリは同一人物
ゴラムは映画「ホビット 思いがけない冒険」に、
ゴクリは小説「ホビットの冒険」(岩波少年文庫 J.R.R.トルーキン作 瀬田貞二訳)に出てくる
ゴクリ ゴラム.jpg
映画「ホビット 思いがけない冒険」のゴラム 


< 追いかけてくる哀れなゴクリに対するホビット族の小人ビルボ・バギンズの言葉 > 「ホビットの冒険」(岩波少年文庫より
「 何というあわれな奴!目的もなくはてしなくつづく日々。光もなく、暮らしがよくなるのぞみもなく、かたい岩と冷たい魚をあいてに、うごめき、ささやくばかり・・・・・」


★ホビット族の小人ビルボ・バギンズは洞窟で怪人ゴクリの落とした指輪を偶然にも拾い、その指輪をはめれば姿を消せることを知った。
彼はなぞなぞを解けないゴクリからなぞなぞの勝敗を無視して食われそうになったので逃亡する。

★ゴラムことゴクリは、こののち盗まれた指輪(ビルボ・バギンズに拾われてしまい持ち主がわかっているのに返してもらえなかった)に対する愛着とホビット族の小人ビルボ・バギンズに対する憎しみとで洞窟から抜け出し何処までも彼を追ってゆく。
ホビット族の小人ビルボ・バギンズが、指輪を他の者に譲ったためその者から指輪を奪い取る。
しかしゴクリには指輪もろともマグマの裂け目への墜落が待っている・・・・・(何て可哀そうな奴だ)




<ゴクリ> のこと
ホビットの冒険(岩波少年文庫) J.R.R.トルーキン作 瀬田貞二訳

「シュー シュー そうがみがみしるな。 おちついて、いとしいしと」 とゴクリは、話しの端々に「いとしいしと」を挟んでいる。「愛しい人」のことだろう。昔々仲間と暮らしていた日々に触れたであろうこの言葉を覚えていて、話し相手もいない独居の日常に頻繁に使うとは哀れであるが、「愛しい人」を覚えていられただけでもよかったかもしれない。
ゴクリが何時この言葉を覚えたのか、なぜ頻繁に使うのか知りたい。


岩波少年文庫に出てくる霧ふり山の洞窟の地底湖に棲んでいるゴクリは、挿絵を見るとホビット族の小人ビルボ・バギンズの3~4倍ほど大きく、顔は鯰とトカゲにそっくりで、手足はひょろ長くカエルのような水かきが付いていて、青ランプのような大目玉をのぞけば全身は暗闇のように真っ暗で、人間のように立って歩くのだった。
映画では体は痩せ細り、人間に近い顔形でホビット族の小人ビルボ・バギンズと同じぐらいの大きさだった。


ゴクリは、唾を飲みこむ時に喉を不気味にゴクリと鳴らすのでつけられた名前で、自分のことを「いとしいしと」と呼んでいる。
他に話しかける人がいないので自分に向かって独り言をいう癖がついており、食べ物は魚や姿が見えなくなる指輪(黄金)をはめて絞めたゴブリン(他の小人族・王だけは巨大)たちだった。


大昔のこと、ゴクリは仲間全部と死に別れ、ただ一人追われ追われて山の奥底の暗闇にしだいしだいにもぐり込んでしまったのだった。
ゴクリの宝物は金の指輪だったが、ちびのゴブリンがきいきい泣くのをしねった(ひねった・殺した)時に落としてなくしていた。
ゴクリはホビット族の小人ビルボ・バギンズを食べたいために、またホビット族の小人ビルボ・バギンズは、ゴクリに地底湖からの出口を教えてもらうためになぞなぞをかけ合うことになった。
7つのなぞなぞを交互に解いた後、ホビット族の小人ビルボ・バギンズが8つ目のなぞなぞを出す時になって、お互いに正道からそれてしまう(なぞなぞ遊びと言うものは神聖な遊びごとで、どんな悪い奴でも、この遊びで相手をだましてはいけないことになっていた)のだが、その理由や言い分や詩的な謎かけや答えについては次回にまわすことにする。


ホビットの冒険本.jpg
「ホビットの冒険」上・下巻 岩波少年文庫 J.R.R.トルーキン作 瀬田貞二訳
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「のぼうの城」  [映画と本]

「のぼうの城」
のぼうの城映画ポスター.jpg
監督 犬童一心・樋口真嗣
日本公開2012・12月2日 145分
原作 和田竜 脚本 和田竜


本当に面白い映画だった。

豊臣秀吉が各地の城を攻め落としていた戦国時代、最後まで屈服しない
城主(北条方)の従兄弟に、のぼう様(でくのぼう)と呼ばれ百姓や家来た
ちから愛されている人物がいた。

のぼう様(成田長親 なりたながちか)は、百姓の田を手伝いに行っては
失敗し3日がかりで植え直しをされてかえって手間取らせ、城の台所を手
伝いに行っては食べ物をひっくり返し、何もしないで遊んでいてくれと言わ
れて厄介がられていた。

いよいよ石田三成を大将に豊臣秀吉の兵2万から忍城(おしじょう)を囲ま
れてしまう直前に、のぼう様は「北条家にも、関白(秀吉)にもつかず、今と
同じようにみんな暮すということはできんかな」と言って顰蹙を買っていた。
忍城の兵は2000、百姓が1000もいるかどうか定かではない。

忍城主は、北条を裏切り、豊臣方に内通するために城を出たが、仮の城主
を務めるのぼう様は戦いをする決心をした。

のぼう様は、何の武技もできず、聡明さもないと見受けられるのであったが、
余人が捨てたただ一つのものを持ち続けていた。
それは決してそのようには見えないのだが、「異常なまでの誇りの高さ」だっ
た。 

台詞の早いところがあって聞き取れない場合が多かったが、「おれたちが
付いていなければ何もできないのぼう様を助けよう」と百姓たちが忍城に
集まって来た。


最初の戦いには勝つが2回目の水攻めで忍城が落ちそうになった。
のぼう様は、水に浮いたように見える城を出て船を敵陣近くに浮かべその
上でみごとな踊りを踊るが、鉄砲で撃たれ手傷を負う。
元々百姓たちに混じって田楽(でんがく・農耕作業をする横で楽を鳴らし踊
りを踊る)を踊っていたので、人の心を掴んで喜ばせることにはたけていた。


忍城の外で敵方の加勢をしていたもと味方だった百姓も、のぼう様の必死さ
に心を打たれ、のぼう様が鉄砲にやられたのに憤慨し、堤を破壊して水攻め
で溜まっていた水を抜いた。

やがて小田原の城が落ち、のぼう様たちは皆殺しに合わないために開城す
ることになった。
和議の条件ものぼう様が立ち合うと、どこか間が抜けているようであったが、
何のその賢いものだった。

面白かった映画と言えば、「テルマエ・ロマエ」の時は奇想天外なタイムスリッ
プに大笑いしたが、今度は百姓たちや家来と、のぼう様のかけあいの伸び
やかさに笑わされ、坂東武者(関東の武士)のスピリットのかっこよさも感じ
させられた。

城を去ったのぼう様はその後どうなったかと言うと、旧家臣の仕官斡旋に
務めた後、新領地下野国烏山に住んだ。
がしかし当主・氏長と決裂。尾張国に渡ったと伝えられている。


出演  のぼう様(成田長親)・野村萬斉  男勝りの甲斐姫・榮倉奈々
     佐藤浩一  鈴木保奈美  尾野真千子  芦田愛菜  夏八木勲
     市村正親 上地雄輔  山田孝之 前田吟 他

2011年9月公開の予定を、水攻めのシーンがあるので東日本大震災に
配慮して2012年11月2日にしたそうだ。
興味のある戦の策略や登場人物をゆっくり知りたかったので、コミックや小
説も読んでみた。
策略の面白さと人物の面白さがつのって来る物語だった。


コミック 「のぼうの城」
原作 和田竜  作画花咲アキラ 小学館
のぼうの城コミック.jpg


小説「のぼうの城」上下巻   著者 和田竜 小学館文庫
のぼうの城 小説.jpg
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バーニーの変貌  映画「羊たちの沈黙」から映画「ハンニバル」へ [映画と本]

一人の人間において、社会的環境でこうまでも性格が変わることがあるのだろうかと言うようなことは、世間によくあることだ。
映画「羊たちの沈黙」の中の、ボルティモア犯罪者用精神病院の用務員の繊細で思いやりのある男性バーニーが、次回作「ハンニバル」ではではとんでもない人格に変貌していたことを知って驚いた。
映画「羊たちの沈黙」では、バーニーは、辛い肉体労働の中で、真面目で誠実な精神を持ち続けていた。
元精神科医ハンニバル・レクターを、ボルティモア精神病院に面会のために訪ねたFBI捜査官のクラリス・スターリングを、「何かあったら私がここにいるから」と励ます、人間的にも信頼できるたくましさを持っていた。

映画「羊たちの沈黙」1991年に公開。原作は小説家トマス・ハリス。
ボルティモア犯罪者用精神病院の用務員バーニー役(フランキー・R・フェイソン)
バーニー.jpg

大沼孝次著「ハンニバル」 フットワーク出版社
(ハンニバルの狂気と異常、カニバリズムとは)より抜粋記載。

「現実社会において、老人福祉、障害者福祉、病人介護、看護などの仕事において、献身的な姿勢を示す人々には、ある種、独特な心的外傷を抱えている場合が認められる。
愛情の注ぎ方の一つに、ナース(看護婦)と言う資質があるが、彼らは心や身体に傷を負った人々を介抱する行為によって、自分自身の心の傷を癒しているのだと言えるだろう。
いつも患者に、優しさと思いやりを示す看護婦には、暗い過去、辛い体験、現状として不幸を抱えている場合が多い。
そう、自分自身の心の傷を癒すために、彼らにはナースと言う行為が必要なのである。
~略~おそらく相当に高い確率で、彼(バーニー)には前科がある。この犯罪の背景には相当に辛い事情があったものと推察する。ここしか働けないのだから、もう後がないのだから。
狂気に満ちた世界の中で、人間性を保ったまま、実直、誠実、真面目、思いやりの気持ちを示し続けるには、彼自身の人生に対する背景がなければ実行するのは難しいと言わざるを得ない。

映画「ハンニバル」左バーニーと右車椅子のメイスン
バーニーとメイスン.jpg

ハンニバルレクターが逃亡し、ボルティモア犯罪者用精神病院は閉鎖される。
もちろんバーニーは失職する。
バーニーはボルティモア犯罪者用精神病院にあったハンニバル・レクターの私物を盗み出し、競売にかけて大金を得ている。
バーニーは、ハンニバル・レクターから顔の皮を剥がれ瀕死の状態にあわせられたメイスン・ヴァージャーに雇われ、卑屈さと自尊心を失った者の哀れさ、覇気のない怠惰な雰囲気を漂わせるようになる。
金に困って毎日の生活を変えざるを得なくなって、いつしか性格も変わってしまったのだろうか。
異形の怪物メイスン・ヴァージャーはハンニバルレクターを巨大豚に食わせようとし、自分が喰われてしまう。


映画「羊たちの沈黙」と映画「ハンニバル」に登場するバーニーは、まったく別の人物である。
映画「羊たちの沈黙」に登場したバーニーは、金に困って、仕事としての意義を感じられないメイスンの仕事にはついていない。
映画「ハンニバル」のバーニーは、失職し、金だけのために金持ちの犯罪者に雇われてしまうのだ。

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