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ツタンカーメンのエンドウ豆とすずめあれこれ(再載記事) [エッセイ風]

私には、すずめのお宿でのんきに暮らしたいという願望がある。
怪我をしてから特にそういう気持が強くなってきた。
しかし電力を大量に使用する劇場映画も見たいのだから、いいとこ取りになってしまって申し訳ない。


いつのころからか、ツタンカーメンのお墓の副葬品の中から出てきたえんどうまめの子孫を欲しいという人にはさしあげている。
収穫時の4月~5月には実ったツタンカーメンのえんどうまめをあちこちから沢山いただく。
食べきれなかったものは干して保存し、播き時の10月前に種として人にあげている。

ツタンカーメン2.jpg
再現されたツタンカーメンの顔(フランスチーム)
1922年、英国の考古学者が王家の谷で発掘した3300年前の副葬品の中に、干からびたエンドウ豆を発見した。

enndou2.jpg

                         (上)ツタンカーメンのえんどうまめ

お赤飯.jpg

                      (上)炊飯器で炊いたツタンカーメンのえんどうまめ お赤飯にそっくり




3階のベランダにツタンカーメンのえんどうまめを干していると、おしゃべりなすずめたちがやってくる。(現在は6階に住んでいるが相変わらずすずめたちはやってくる。)
誰も教えないのに、なぜすずめたちにツタンカーメンのえんどうまめが、ベランダに干されていることが分かるのだろう?
普段はほとんど見かけないすずめたちがどうやって見つけるのだろう?
常にめぼしいものを見つけて回るために、ここのベランダもすずめたちの散策ルートに入っているのだろうか?
人影がなくなると3羽〜5羽でにぎやかにさえずりながら、ツタンカーメンのえんどうまめをついばんでいる
毎年現れるすずめ全部に佐和音(さわね)ちゃんと言う名を付けて、様子をうかがっているが網戸を閉め忘れて出かけて帰ってみると、明らかに佐和音ちゃんが布団の上や食卓で遊んだ跡が残されている。
ほほえましいがちょっと困る。
台所のボールで水遊びする佐和音ちゃんを見た。
出て行く窓がわからなくなって網戸にへばりつき、ジュクジュク騒いでいる佐和音ちゃん。
洗濯物のピンクのハンカチのドレスを着ていた佐和音ちゃん。
時たま現れるカラスに中空でやられて、地面に落ちて即死する佐和音ちゃんもいる
猫も寄ってきて「カカカ」と言ってベランダの佐和音ちゃんを見つめている。


神社で一番小さなピッコロオカリナを使って小鳥の歌を吹くと、すずめが何羽もやって来る。
山鳩もしっかり鳴き始める。
木のてっぺんで1羽だけで呼応する高い声の鳥もいる。
ピッコロよりも少し大きな3Gのオカリナの音でも、高い声の小さな鳥の親戚だと思って安心するのか
寄って来る鳥が多い。
5Cのアルトのオカリナだとしばらくしーんとするが、カラスが牽制しにやってくる


柴犬カンチの足跡日記 カンちゃんがもし人間になった時は・・・
http://blog.livedoor.jp/kanchi_m/

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油蝉 アブラゼミ [エッセイ風]

腹を上にした油蝉が、ベランダで何匹も骸になっている。
早朝からそうとうの数の油蝉が、名前どうりに油でものを揚げる時の音そっくりに「ジージージワジワ」と泣き始め、ずっと聞いていると「ワシワシ バシバシバシ」ともっとひどい声で押してくる。
アブラゼミ2.jpg


電車の中で会社勤めらしい男性が連れの女性と嬉しそうに話していた。
男性「最初にジジ-っとどっかで鳴き始めたと思ったらね それからずーっと鳴いているんだよ。あははは。
みんなであちこち探したら、何でこんなとこでっていう隣の部屋の床で蝉が見つかってね、くっくっく。
それから油蝉を掴んで外に飛ばした人がいるんだ。ははははは。野生児って言われている人だけど、一匹の
蝉で大笑いだよ。」
女性「その人きっと森山君でしょ」
男性「あたり!ぶわははは」

暑い日の会社の仕事の最中に、油蝉に訪問されたことがこんなに喜ばれている。
均一化された顔で仕事をしている中で、森山君が野生児の表情を取り戻し、油蝉をつまんで、みんなの前を横切ったことが嬉しかったらしい。
白いシャツを着た森山君にそっくりな大きな油蝉が思い浮んだ私は笑いをぐっとかみ殺した。



鳴くのはアブラゼミのオスだけで、腹の発音筋で発音膜を震わせて音を出し、腹の中の空洞に音を響かせるので音響効果抜群。
後ろ足の付け根の左右にある腹弁(ふたのような硬い膜)で音を整える。
腹弁をめくってみると白い膜があるが、これが耳の鼓膜にあたり、他の音と仲間の声を聞き分けることができる。
鳴くのはメスをさそう「本鳴き」や、「呼びかわし音」、「悲鳴音」、「休息音」などあるが、一番感心したのは、仲間の声にこたえて鳴く「合いの手音」だ。
相手に反応して合いの手を入れるかのように鳴く。
序奏、中間奏(興奮気味)、後奏もある。
口吻を見ると長く、木にさしこんで汁を吸うにはもってこい。
つかんだ時におしっこをかられけると思っていたが、あのあの液体は木の汁の余分だった。


★「アブラゼミ」は4年前に投稿した文を再掲載。 
  しばらくはナイスが0だった昔の投稿文を再投稿するかもしれない。
★ある通信制高校の夏季講座では、200人近くが集まる。
外部の者を講師として呼んでめったに聞けないことなどを聞くらしいのだが、私は講師として土笛・石笛の演奏と欠陥家族の体験談を急きょ話すことになった。
次の夜父が初めて夢に現れた。そのことについては後日書けるかもしれない。
それからというもの深部から揺り戻しが来てあらゆるものに興味が持てなくなったが、だんだんに取り戻しつつある。
詩のほうも人間の濃い業や影の部分を追及しているので誤解を受けやすく詩誌にしか公開していない。


はまっているブログここをクリックhttp://blog.livedoor.jp/kanchi_m/
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バスツアーに行ってみた [エッセイ風]

★申訳ありません。御紹介したいブログ数が沢山ありすぎ、30人を超えますので「ブログを紹介する」は割愛させていただいています。



早朝から、10時間かけて3つの窯元をバスツアーで巡る民陶祭に行ってみた。
私に当てられた座席は、後方に近く少しだけ高くなっていて、乗用車よりも高い視点で空中を飛んでいるような感覚で風景を眺められた。
判円の風船状に盛り上がった緑の木々は、濃い影によってますますふくれあがっていっているようだった。


ツアーで初めて会った人たちは皆、人生で出会っていっしょにすごしたことのある人たちの誰かに似ていて、バスの乗り降りに顔を合わすだけなのに懐かしい気がした。
仮にも事故などが起こらず、人が幸せに存在できている時に漂う雰囲気が、バス空間の中にあふれていた。


帰る道が分からなくなり15分遅れてやっとバスにたどり着いた2人組の中年のご婦人がいた。
貴重な皆の時間を奪ってしまったわけだが、ツアーの搭乗員の女性が誰が聞いても納得がいくやんわりとした言い方で、責めず、叱らず 事務的な注意事項を読み上げて気付かせるやり方をとり、それはお客さんにはまた来てもらわなくてはならない配慮から来るものでもあるが、楽しい雰囲気が崩されないプロの言葉だった。



下駄は沢山持っているが、昨年買ったこんな下駄をはいて行って見た。
最近は電車の中でもよく見かける。
下駄水玉.jpg

男下駄は大きくて、地味な鼻緒で、はきやすい。
男下駄.jpg


陶工は男性が多く、代々長男が受け継いでいる窯元が多かったが、陶工の奥さんや娘さん、お孫さんたちだろう、妙齢の女性たちのふっくらした対応とさくさくした客さばきに祭りの気分は盛り上がった。


頭に紺色の綺麗な布をまき、作務衣を着られた華奢な70代後半の女性がおられた。
器を見ておられるだけで買おうとはせず、ニコニコしながら歩くことを楽しんでおられるようだった。
帰りのバスの横で女性たちの輪ができ、やんややんやの喝采が響いていた。
頭の布をとり、僧職をあらわにされた尼僧が、自分の生い立ちや人生を振り返る話をしながら健康体操を披露していた。
そう言う修行の仕方が、尼僧個人にはあるのだろうと思いながら、
「それはいつするの」と私が聞いて見ると、皆が声を合わせて「今でしょ」と言った。




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おじさんやおばさんたちの小学校の同級会の遠足 [エッセイ風]

★申訳ありません。御紹介したいブログ数が沢山ありすぎ、30人を超えますので「ブログを紹介する」は割愛させていただいています。


山国道の駅.jpg
「道の駅」
どこにでもある道の駅の一つが故郷(父方)にもある。
道の駅のおおよそ100メートル向こうに10年間住んだ場所があるが
新しい家が建てられている。


地下に無数の地底湖があると言われている道をたどるための遠足の言いだしっぺは私だったらしい。
もう20年も前から個人的に皆を誘っていたのは確かだ。


故郷の土を踏むと鈍っていた子どもの頃の野性的な感覚が戻って来る。
現在の自分の鬱気分と明快な驚きと喜びの気分の出所(根元)に対する、視点を変えた(屈託のない幼友達の視点も取り入れる)傾向と対策の素となる闇の道筋が、月に煌々と照らされ、草むらの木陰の影にそって現われ、不安定なままではあるが安定した定着地を見せてくれる気がするのである。
そこは霧に煙っていて見えにくいのだが何かいきいきとしたものの気配が感じられる。


小学校の5年1組の受け持ちだったS先生(現在76歳 吉永小百合さん又はフランス女優のジャクリーヌ・ササール似と言われている)を中心に4月末に道の駅で待ち合わせをし、皆で小学校まで歩き、よく遠足に行った山に登った。
S先生は男子の憧れの的で、そう言う意味で誰かが先生に出席してもらう約束を取り付けたのだった。



山国群千峰.jpg
よく遊んだ小学校の裏山には岩山がある。 杉を植えたのは私たちだった。
風の又三郎が遊んでいてもおかしくない木造の雰囲気のある小学校の建物は今はもうない。




山国町2.jpg
写真のまん中あたりから左に伸びる灰色の道は、まだまだ続いており、写真には映っていないのだが
右へ曲がり、中心に向かって来る。山へ向かう道はさらに林の中の坂道を登って行く。



乙女のようなS先生を入れて総勢18人、うしろになり前になりながら今はもう誰も住んでいない友人の家を眺めながら、今は亡き友人の話をして歩いた。
駄菓子屋だったTちゃんは、お菓子のはずれなしのクジを持ってきておじさんおばさんたちに引かせてくれた。
白米のおにぎりと田舎漬けのたくあん、朝4時半に起きてRちゃんが作ってくれたおこわがとっても美味しかった。


よく覚えていないが、やさしかったS先生が激しく怒り狂ったことがあった話も出た。
教職と言う権威の失墜事件がやさしいS先生だからこその教室で起こったらしい。
「受験戦争に勝たなければ出世できないよ」と言う大人側の圧力と差別が子どもたちを毎日傷付けていて、そのガス抜きが子どもたちの反乱になったのではないか。


昼食後の3分間トークが一番の御馳走だった。
やさしい声で悲しく(短調の曲のように)語りかけるS先生の横に座った子どもの頃から素直だった男子の一人が感極まって泣き声で感謝の意を述べ始めた。
彼は中学の同窓会にも1度も出てきたことがなく、人生苦労続きだったらしい。
寒村に生を受け同じ空気を吸ったいたずら好きの仲間同士気持は理解できた。


昔からS先生の声は私たちの悲しみに届く。
こんな声が出せるなんてS先生の20歳までの人生に何があったのだろう。

次回こそ、河童や烏天狗、池の大蛇や川に流された子どもたちに出会うミステリーツアーを!!




映画「ブラック・ブレッド」(黒いパン)を思い出す。
スペインのカタル―ニャの寒村の少年が
両親や町長や教師の裏側を見てしまい大人を信じなくなる。
いとこの少女が教師と通じていることを知り見下すようになる。
黒いパンは貧しい人々の食べ物。
ブラックブレッド.jpg
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実家の後片付け [エッセイ風]

廊下2.jpg

6年前に亡くなった実家の父の部屋の整理と7回忌の準備のために弟と私は帰郷した。
私が生まれてから9回目に移った父母だけが23年間住んだ家は空き家になっている。
まだ使えるテレビや冷蔵庫やベットは縁者にもらってもらった。
庭木は昨年業者に短く切り込んでもらっていたのでしばらくは草刈をしてもらうだけでいいだろう。
久しぶりに片道2時間30分かけて車で通った路端には、亡くなった人々や何年も前の自分たちの懐かしい姿が見え隠れした。



故郷の緑のレースをまとった木々の揺れやゆったりとした川の流れが白いさざなみを立てる。
その振動による異世界への目覚めが微かに始まっている。
現実の記憶から細い糸でつながった物語。
詩という創作の手を借りて、置き去りにしてきたまるである種の呪と悪意と悪夢を凝視し、噛みしめる。
解かれ放たれたいための地獄めぐりがいつまで続くのだろうか。



★小学校の同級会の遠足が先生を招いて4月末にあるので参加することにした。
★仕事やそれから波及する必要な雑事、実家の後片付けのために訪問が遅れがちで申訳ありません。


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落ちこぼして来たものを訪ねて・・・ ワタリガニ・ 旅は道づれ ・ 宮沢賢治 [エッセイ風]

御無沙汰気味です。
なかなかお邪魔できなくて、拝見する所がいくつもあもるブログは、
拝見していないところからずっと読ませていただきナイスをクリック
し、トップを拝読してからトップにもナイスを入れています。


★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
わたくしごと

竹崎ガニ.jpg
竹崎蟹 (ワタリガニ)

何年もチャンスを逃し、見送っていた竹崎蟹を食べに行って来た。
茹で蟹、から揚げ、酢の物、グラタン、スパゲッティ、雑炊などで蟹
を堪能でき、すこぶる美味であった。
8人の仲間で舌鼓をうち、湯につかり、行き帰りに潮の満ち引きが
はっきりわかる海をのんびり眺めた。
太良にはいきいきした現地感が漂い、ひなびた空気が心地よかっ
た。
話しこんでみると、同郷であり、共通の知人の名を知っていたりした
人もいたので、嬉しい発見に沸き、小躍りし、場がなごんだ。
好きな俳優を、それぞれ言いあうと言う話のきっかけを作る必要もな
かった。
最初は黙して蟹食に集中、空腹が満たされた後に、大事な人に死
なれた苦労話で涙し、励まし合う気持ちがあふれ、それなりの浄化
作用があった。


★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★どうわ
けんじ童話 

法華経の行者と芸術の人が1人の中に同居し、科学者としての農業指導、
社会的な実践事業にも携わった宮沢賢治の童話については「銀河鉄道の
夜」、「どんぐりと山猫」、「風の又三郎「」、「やまなし」、「セロ弾きのゴーシ
ュ」、「よだかの星」、「水仙月の四日」、「注文の多い料理店」、「双子の星
」、「鹿踊りのはじまり」、「祭りの晩」、「おきなぐさ」など思い出すだけでも
沢山浮かんでくる。

木枯らしの夜寒に、落ちてくる木の実がほとほとと戸を叩く音に目が覚めた。
月夜のうずのしゅげ(ブログ主)は、今まで素通りしてきた恐い面のある
賢治童話を読んでみることにした。




<賢治はこんな童話も書いていた>

1)童話「ツェねずみ」
作 宮沢賢治  絵 石井聖岳 出版社 ミキハウス
ツェねずみ.jpg


1)「ツェねずみ」
床下街道を歩くツェねずみは、会う人ごとに「償(まど)っておくれ(つぐなえ)」
を繰り返すので、嫌われ者になってしまい誰からも話しかけてもらえなくなる。
鼠捕り(擬人化されている)と、ともだちになるのだが、ある日ツェねずみは
鼠捕りを怒らせてしまう。
鼠捕りの籠の中に入って餌を食べようとしたツェねずみは、腐ったはんぺん
に怒って「償(まど)って下さい」を繰り返す。
怒った鼠捕りが、思わず針金をりゅうりゅうと鳴らしたので、鍵が外れ鼠捕り
の入口が閉じてしまう。
翌朝、ツェねずみは下男に捕えられ 「しめた、しめた とうとうかかった。意地
の悪そうなねずみだな」と言われる。


★ツェねずみがどうなってしまったか最後までの記述はない。
 会う人ごとに「償(まど)っておくれ(つぐなえ)」と繰り返し言っていると、人か
 ら嫌われるようになることをツェねずみに教えてくれる人は誰もいなかった。
 鼠捕りにつかまってしまったツェねずみを最後まで誰も助けに来なかった。
 童話「どんぐりと山猫」のような諭しもないし、童話「なめとこ山の熊」のような
 しみじみとした心根の交流もない。
 もっと凄い童話は、土神が狐を嫉妬心で殺してしまう童話「土神と狐」だが、
 次回に続く。


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「花のズボラ飯」から うんま~いレシピ ほか [エッセイ風]

「花のズボラ飯」うんま~いレシピ  
監修 久住昌之  画 水沢悦子  秋田書店
ズボラめし.jpg

あっと驚く 新鮮手抜き ズボラ飯
1)ドライカレー
  昨日の残ったカレー(鍋の側面にこびりついたカレー)に
  適量のご飯を入れてかきまぜる。これでできあがり!

2)ベイクド油揚げ
  油揚げを魚焼きグリルか、オーブントースターでこんがりと焼き、
万能ねぎ、おろし生姜をのせ醤油をかける。ハイできあがり!

3)キャベツとベーコンの蒸し煮
  きゃべつ四分の一玉。葉にベーコン適量を挟む。
  オリーブ油、酒、を入れた鍋に切り口を下にして入れる。
  5分煮るが、途中で1回、向きを変えるとよい。
  皿に乗せ黒胡椒を振る。お鍋におまかせして出来上がり!

4)おやつ パリパリそうめん
  そうめんニ分の一束。
  フライパンに1センチオリーブ油を入れ、半分に折ったそうめんを入れ
 こんがりと揚げる。そうめんには塩分があるので塩は降らなくてよい。
   乾燥うどんじゃ大きすぎるかも。



★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
わたくしごと

旅先でいただき物をした場合、宅急便で家まで送るほうがいい。
無理をして両手に持って帰ったキウイ60個で、2週間以上、腕の鈍痛、肩こり
に苦しんだ。
つかんだものがポロリと落ち、両足が重く目がかすむ症状、自転車が重くて風
が切れなくなり無気力になった。


★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★映画
えいが

映画「北のカナリアたち」の中の凍てついた海や離島の美しさ、
乱闘シーンや怪我のシーンの痛さが、なぜか身にしみた。
こちらの体調によっても感じ方が違ってくることがあるのだった。

小学校の若い女先生役をされた吉永小百合さんの授業風景
や若い警察官に恋をする説得力には、ぼかしがなくても納得
できる時もあった。
映画「デンデラ」(山に捨てられた70歳以上の50人のおばあ
さんたちの話)の時の、熊の特撮(着ぐるみか剥製に見える)
程ではなかった。
逆に若さには演技では補えない独特の張りと、さわやかなは
しゃぎ感があることが分かった。
それは見る方の想像力の問題であろうか。


女先生が年をとり、人を助けるために事件を起こした1人の男
生徒をしばらくの間かくまうために、現地で他の5人の生徒を訪
ね歩く時の方がやはり安心できた。

「北のカナリアたち」先生と子供たち
北のカナリア 子ども.jpg



「北のカナリアたち」先生と成長した子供たち
北のカナリア 大人.jpg


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幼なじみの公ちゃんの秘密 (故郷の便り) [エッセイ風]

公(きん)ちゃんは、いい年のおじさんである。
子供の時の公ちゃんの声にはハスキーなシュルシュル音が混ざっていたのだが、
大人になったら声に確固たる意思が加わって、そこから出てくる、どすの利いた
演説口調の風圧に押されて、シュルシュル音が消えがちになってしまっているの
だ。
公ちゃんの話が終わらないうちは、こちらは口をはさめない。
何故かと言うと、堂々とした理屈が一本通っているので、はむかえないし、冗談も
言えないのだ。
歌舞(かぶ)いてはいないが、人の心のスクリーンに有無を言わさずねじ込む力
がある。
首根っこを捕まえて、相手に誠心誠意尽くす公ちゃんの声には逆らえないから、時
々窓を破って逃げ出したくなるが、そうすれば卑怯者とか恥知らずと言われそうな
のでじっと我慢している。
公ちゃんを公ちゃんたらしめている威風堂々ぶりはみごとなものなので、茶化した
りするのはもってのほかである。
公ちゃんを味方につければ、恐いものなしになれそうだ。
こんなこと言ってることが分かったら、ただじゃあ済まないだろうな。


公ちゃんの声のシュルシュル音は、故郷の山の上の霞んだ雲のあたりから吹いて
くるなつかしい風の音だった。
都会の夕暮れ時、美術館の蔦の葉の間から洩れて来るシュルシュル音は故郷の
風の音につながっている。
探せばいたるところに人の懐かしがる音や空間はあるのだ。


蛇が土の上や藪の中を這う時にはシュルシュルと言うかすかな音を立てる。
何を隠そう公ちゃんは今でこそゴルフをやっているらしいが、子供の頃は蛇捕りの
名人だった。
石垣の穴から引きずり出した蛇のしっぽをつかんでぐるぐるまわし人に投げつける
ので皆から恐れられていた。
公ちゃんが来ると皆がその場から散った。
私も勿論子供の頃は公ちゃんに近づかず、話しかけたことは一度もなかった。
公ちゃんが、蛇を見つける勘の良さは、現在はビデオや写真に活かされている。


先日ある用件で公ちゃんに電話をかけた。
やはり誠心誠意のありがたい会話の重さ、野太さにこちらはたじたじ。
蛇に睨まれた蛙になりそうだったが、用件も済んで感謝の言葉を述べた後、
「ところで公ちゃんは昔、蛇のしっぽを掴んでぐるぐるまわしていらっしゃいました
が、蛇がお好きだったんですか?」と恐る恐る聞いて見た。
公ちゃんは、「皆からそう言われるが、遊び相手がいなかったので、蛇をかまうし
かなかった」とのたまわれた。
かわいそうだったが、ええーっと言って吹きだして大笑いした。
人にかまわれたくて蛇を投げつけていたら、よけい人は逃げて行きますが。
自分に関心を向けたくて蛇をつかんで歌舞伎のような大立ち回りをしていたので
したか。
あれは逆効果でしたね。特に女性たちからは軽蔑されていました。
街で見かける前をはだけるおじさんと同じような、かわいそうさです。
ついでにもう一つ公ちゃんに質問。
「公ちゃんは、蛙がお好きだったのでしょうか、特にポケットに入れてかわいがり、
取り出しては、麦のさやのストローで吹いて風船にして爆発させておられましたが」
公ちゃんはこうおっしゃいました。
「誰が蛙なんか好きなもんか、うー(唸り声)、男4人の兄弟で・・」
おやおや、公ちゃんにしては、話の脈絡が繋がらずなんだか説明不足ですね。
つまりお母さんが、弟たちに手をとられて公ちゃんをかまってくれなかったから、蛇
や蛙で憂さ晴らしをしていたのでしょうか。

現在、同窓生の中でも一番の親孝行と言われ尊敬されている公ちゃんから、もっと
話を聞いてみたいものです。


★一つ前の記事「ふるさとの便り」で、男性Nと従姉妹の立場がt途中で入れ替わっ
ていたのに気が付き、すぐに訂正しましたが、それにしても解りにくい内容でした。
誤字はないようにしたいと思いつつ、必ず発見するので投稿後、3日以内には訂
正しているつもりですが・・・
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故郷の便り (たぐりよせているのは誰) & 映画「ツナグ」 [エッセイ風]

どちらが先にと言うことがはっきりしているわけではなく、朝な夕なに
お互いの池に、落柿のようにぽっちゃんぽっちゃんと水しぶきをあげ
て投げ込まれる言葉があり、波紋が岸に打ちつけられている。
留守電の録音時刻はまちまちである。
お化け屋敷でもないのに、家に備え付けの電話が雷に遭遇した時
のように金切り声をあげ、ゆでた栗が床を転がりはじめ、トイレの水
が止まらなくなったり止まったりを繰り返している。
スワ、怪奇現象か単なる磁力の仕業か錯覚か。
過去現在を飛び越えて、引き合いながら緩んでゆく距離感に、頭が
おかしくなってしまったのではないかと思うくらいだ。
電話を通してなされる意味のある言葉の伝達と言うよりは、強烈な
声やその音色の違いに反応する物語が人を通して語られている。
俗に言う虫の知らせは当たり前、偶然が偶然を呼んで、急にきりきり
舞の必然が起こる。
測り知れない心奥でのコミニュケーションは、遠いマグマの音を聞くよ
うなありさまで、しぶきを受けると煙炎が上がる。
一例をあげないと何のことを言っているのか分からないだろう。


<例その1>
50年前に生まれた男性Nがいるとしょう。
母親は彼を生んだその日に亡くなっている。
母親の妹Aが後妻に来て3人の子供を生んだので、兄弟姉妹は7人
になったが、このことは話の主流とは何の関係もない。
ある日、50歳の男性Nに従姉妹(生みの母の兄の娘)から50年前に
亡くなった母親の写真(結婚前の若いころの写真)が送られてきた。
男性Nは後妻に来て彼を育ててくれた叔母に当たる人に遠慮して、そ
の写真を従姉妹に送り返してしまったが、このことも話の主流とは無
関係である。
その後、従姉妹が持っている送り返されてきた写真にも歳月が流れた。


ある時ふと男性Nは、生みの母のことを懐かしく思い出した。
自分が、生みの母が、育ててくれた後妻さんのように気性が激しい人で
ないことを強く願っていることに気付いた。
生みの母の写真のことで、従姉妹に5年ぶりに電話をして見た。
従姉妹は彼女の故郷の友人Aの母親が亡き伯母(男性Nにとっては亡
き母)の実家に50年以上も前にお手伝い(子守り)に来ていたことを思
い出した。
その人に聞けば亡き叔母がどのような人であったか分かるはずである。


従姉妹はすぐに友人Aと叔母の実家(伯父が家を継いでいる)に電話を
して見た。
友人はその時、たまたま帰郷していて、その日、95歳の母親と共に男性
Nの亡き母の実家に何となく寄って見たい気がして立ち寄ったのだそうだ。
電話をした従姉妹に、伯父は男性Nの亡き母のことを話してくれ、彼女は
は大人しく優しい人だったと言うことが分かった。

男性Nの亡き母の写真はもう一枚あったので、友人が複写させてもらい、
その写真を男性Nは手に入れることが出来たのだった。
絡みあったものがキューンといっせいに後ろに引き、ぽんと投げ出されて
写真と言う物体になったと言う驚きと嬉しさがある。
ふとそんな気がした友人の95歳の母が、男性Nの亡き母の実家に行った
日が、従姉妹が実家の叔父に電話した日と重なったと言う50年に1度あ
るかないかの妙話である。



<最近劇場で見た映画>
 
「ツナグ」

亡くなった人に1度だけ会うことが出来、心残りだったことを確かめることが出来る。
死者もゆかりのあった生者に会いたいと願わなくては成立しない。
祖母がその役割を孫に引き継がせる。
その仲立ちをする家系は代々生者と死者を会わせる役割を果たしてきた。
工場経営者と母 女子高校生の親友どうし 会社員と7年前に疾走した恋人が会うことが出来た。

自分は死者の誰に会いたいかを強力突きつけられる映画だった。
ツナグ2.jpg

銅鏡の上に手をかざし、死者の魂を呼び寄せる祖母(樹木希林)。 
銅鏡の上に漂っている光るチリが亡き人の姿に変わる。
ホテルの一室に肉体を持った死者が現われる。
ツナグ.jpg

「ツナグ」
監督 平川雄一朗  出演 樹木希林 松坂桃季 遠藤憲一 八千草薫 仲代達也 
同名原作 辻村深月 
2012年 129分
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いかんせん 望郷の念 [エッセイ風]

8年ぶりに同級生と再会することが出来た同窓会から帰って来た後、
幼なじみと電話でのよもやま話に沸き上がり朝晩の時を費やしてい
た。
子供の頃、それだけ濃いふれあいがあったとは思えないのに、なつ
かしいと言う気持が湧きあがってくる故郷の15年間の吸引力はすご
いものだ。
同窓会に1度も出てこない人の悲喜劇、亡くなってしまった人や、同
級生同士結婚をして別れた人、人それぞれいちいち思い出しては、
心残りのないように追求し、言葉で追って行けるところまで行っては、
断崖でつま先立ちになり、はるかかなたを望んでは、断念していた。
そのような気持は、仲の良い遠い親戚どうしの愛情に近いものであ
って、何かあったら助けたいと思っているのに違いないのであった。
田舎では、他の家の釜の飯の様子までよく分かっていると言う風潮
があり、一家の事情が皆の胸に収まることによって、何事かの準備
がなされてゆくのだった。
それは、冠婚葬祭であったり、1泊2日の旅行の件であったり、共同
作業のことであったりするのだった。
幼いころ通りすがりに見た風景にしろ、個人的にしか興味の持てない
ことであったとしても、同級生間で話題になると盛り上がるのだった。

その昔、雲をかぶった山里の同級生の家の中庭には井戸があり、美
味しい水を飲ませてもらうことができた。
庭には裂いた竹が置かれてあり、傍でおじいさんが竹細工をしていた。
竹細工には、野菜を入れるもの、小豆や大豆、タケノコ、梅などの作物
を干す広いもの、背負うもの、鰻をとるものなど種類はたくさんあった。
どうしてなのか、そういう風景が私の場合、チベットのポタラ宮殿につな
がっているのである。
木の実が地面に落ちる音の心地よさ、朝方の靄の美しさ、新米の美味
しさなど、そう言えば丘の向こうから誰もいないのに読経が聞こえてきた
ことがあった。
私は現実と虚構の堺目に立っていたのかもしれない。
山々の遠心力(磁力)は強烈で惹きこまれてしまう。


田舎で結婚したり、仕事に就いた同級生たちは、同窓会は都市で開いて
欲しいと言う。
行ったこともないところに行って観光をし、大っぴらに御馳走を食べ羽を伸
ばしたいそうだ。
都市に住んでいる人々は、育った郷里で同窓会をして欲しいそうだ。
故郷に時々帰りたいと言う。
いつ行っても、誰でもが泊まれる田舎の家が欲しいと言う。
だれか山にそういう小屋を建てないかと要求する。
そこを拠点にして、思い出のある場所を歩きまわり満喫したいのだそうだ。



<最近劇場で見た映画>  自分の中に定着するのが遅く感想は延期している

1)ハンガー・ゲーム  2)ボーン・レガシー  3)アイアン・スカイ  4)エージェント・マロリー
5)バイオハザードⅤ  6)るろうに剣心  7)天地明察  8)あなたへ  9)白雪姫と鏡の女王

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